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配下からの信頼が重すぎる  作者: きなこもち
第2章 『聖冠連邦は黄昏を拒む』

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「神敵認定会議」

 


 翌朝のセラフィスは、いつもより少しだけ静かだった。


 白い石畳。

 細い尖塔。

 空へ昇る祈りの煙。

 都そのものの姿は何も変わっていない。

 巡礼者はいつも通り広場を渡り、修道士たちは決まった時刻に水を運び、パンを焼く香りも朝の鐘と共に路地へ流れていく。


 だが、法王庁の中を行き来する神官たちの歩調が、ほんのわずかに早い。


 大きな変事というものは、たいてい最初から大きな音を立てない。

 むしろ逆だ。

 誰もがまだ平静を装っている時期の方が、空気は鋭くなる。


 目立った悲鳴もない。

 混乱もない。

 だからこそ、人々は余計に小さな違和感へ敏感になる。


 昨夜、北の空がわずかに沈んだ。

 それを見た者は多くない。

 だが少なくとも、見た者たちの証言は一致していた。


 ただ暗くなったのではない。

 空そのものが、一瞬だけ重くなった。


 それだけのことだ。


 それだけのことなのに、祈りの都にとっては十分すぎるほど不穏だった。


 ---


 法王庁本棟、諮問会議室。


 昨夜よりひと回り大きいその部屋には、すでに必要な者たちが揃っていた。


 長い白木の卓。

 壁には光神ルミナスの聖印。

 高い窓から差し込む朝の淡い光。

 豪奢というより、清潔さと権威を優先した室内だ。

 余計な装飾は少ない。

 だが、少ないからこそ、この場で交わされる言葉の重みがよく分かる。


 卓の奥に座るのは、法王ユリオス十三世。


 老いている。

 だが衰えてはいない。

 白い法衣と金の刺繍、細い指、穏やかな目。

 表面だけを見れば柔和な老人だ。

 だが、その穏やかさは相手を油断させるためのものではない。

 長い年月、祈りと政治と権威の交わる場所で座り続けてきた者だけが持つ、静かな支配の形だった。


 その右手には異端審問長グラウス。

 左には聖典管理局長、記録司祭長、巡礼監察院の代表。

 そして少し離れた位置に、聖女リュミエラと勇者アシュレイが並んでいた。


 全員が席についたのを見て、法王がゆっくりと口を開く。


「始めましょう」


 穏やかな声だった。


 だが、その穏やかさがこの場の重みを消すわけではない。


「北方禁域に関する異常報告は、昨夜の段階で都の夜番、大聖堂、聖典管理局、異端審問局のすべてに届いています。加えて帝国側では、すでに監視強化が進んでいる」


 法王は手元の報告書へ視線を落とす。


「問題は、これを何と見るかです」


 その一言で、室内の空気がさらに締まった。


 まさにそこが焦点だった。


 異常か。

 兆しか。

 災厄か。

 あるいは――神敵か。


 最初に口を開いたのは、巡礼監察院の代表だった。

 五十代の痩せた男で、常に言葉を測って喋る癖がある。

 良く言えば慎重、悪く言えば決して最初の責任を負いたがらない種類の人間だ。


「現時点では、断片報告に過ぎません」


 慎重な入り方だった。


「夜空の暗度変化についても、複数証言はありますが、天候との切り分けは未了です。帝国の監視強化についても、北方禁域という特性上、通常より敏感に反応している可能性はございます」


 穏当な整理だった。


 だが、それだけで終わるはずがないことは誰もが知っている。


「監察院は、いつも通り“まだ何も言えぬ”で済ませるおつもりか」


 グラウスが言った。


 声は静かだ。

 静かだが、ひどく乾いている。


 巡礼監察院代表は表情を崩さなかった。


「断言できぬことを断言しないのは、職務のうちです」


「結構」


 グラウスは小さく頷く。


「ですが、断言できぬことを“だから何もしない”へ繋げるのは、怠慢と呼びます」


 その一言で、室内の数人がわずかに眉をひそめる。


 あからさまな非難だ。

 朝からやるな、とクロウなら思っただろう。

 だがここでは、これが普通なのかもしれない。


 法王は制止しない。

 むしろ、あえて言わせているようにも見えた。


 グラウスは卓上の異本写本を一枚持ち上げる。


「北方禁域。黒翼の王。沈黙で裁く者。終王。古く、断片的で、詩的で、解釈の余地に満ちた記述ばかりです。ええ、承知しております」


 そこで一度紙を机へ置く。


「ですが、こうした断片が“現象”と重なり始めた時点で、連邦はそれを神学的案件として扱う義務がある」


 神学的案件。


 便利で、重い言い方だった。

 政治でも軍事でもなく、教義と秩序の領分へ引きずり込む言い回しだ。


「帝国が監視を強めたのは何故です?」


 誰へともなく問う。


「単なる気象異常であれば、そこまでの反応は不要です。昨夜、都の夜番が北に違和感を覚えたのは何故です?ただの雲なら、ここまで一斉には揺れない」


 そこまではその通りだ。

 誰も否定できない。


「ならば、いま我らが問うべきは“まだ分からない”ではなく、“何に備えるべきか”でしょう」


 この男は話がうまい。


 断定していないように見せながら、論点をすでに“危険がある前提”へ移している。


 リュミエラはそれを聞きながら、小さく息を整えた。


 この流れの危うさは分かる。

 怖いからこそ、先に言葉を置きたくなる。

 だが、そうして置かれた言葉は、その後に見えるものの形そのものを変えてしまう。


「聖女様は」


 不意にグラウスが視線を向けた。


「どうお考えですかな」


 真正面から来た。


 昨夜の会議では法王が場を運んでいたが、今朝は違う。

 グラウスは、ここで“聖女が何を言うか”自体を材料にするつもりだ。


 リュミエラは視線を逸らさない。


「重く見るべきだと思います」


 まず、それを認める。


 ここで“何もないかもしれません”とは言わない。

 それでは説得力を失う。


「ですが」


 続ける。


「重く見ることと、先に名前を置くことは別です」


 会議室が少し静まる。


 グラウスは表情を変えない。

 だが、聖典管理局長はわずかに目を細めた。


「北で起きていることが危険かもしれない。それは否定しません」


 リュミエラは言葉を整えながら続ける。


「ですが、怖いからという理由で“神敵”の名を置けば、その後に見るものすべてが神敵の証明へ引き寄せられます」


 巡礼監察院代表が、わずかに視線を上げた。

 記録司祭長も手元の紙から顔を上げる。


 響いている。


「我らは光を掲げる者です」


 リュミエラの声は大きくない。

 だが、白い部屋にはよく通った。


「ならばこそ、恐れで先に形を決めるべきではありません。見えていないものを裁けば、その裁きはいつか自分たちの眼を曇らせます」


 数拍の沈黙。


 そこへ、アシュレイが口を開く。


「俺も、近い意見です」


 勇者がそう言った瞬間、会議室の空気がまた少し変わった。


 リュミエラ一人の慎重論なら、“聖女らしい甘さ”と片づけたがる者もいただろう。

 だが勇者まで同じ方向へ立つと、話は変わる。


「勇者殿も、断定には反対と?」


 グラウスが問う。


「反対というより」


 アシュレイは肩肘を張らないまま答えた。


「見てもいない相手に、斬るべき理由がないからです」


 勇者らしい言葉だった。

 だが、熱血ではない。


「本当に敵なら、見るほどにはっきりしてくるでしょう。逆に、見てもなお定まらないなら、その曖昧さには理由があるはずだ」


「曖昧であることこそ脅威かもしれませんぞ」


 グラウスが返す。


「その可能性はあります」


 アシュレイはあっさり頷いた。


「だから見に行くんです」


 その言い方はシンプルで、強い。


 斬るかどうかは見てから決める。

 だが、見ること自体から逃げない。


 それがこの男の芯なのだろう。


「俺は、理由もなく斬るのが嫌いなんです」


 アシュレイは続けた。


「敵なら斬ります。そこは迷いません。でも、まだ何者かも分からないものへ“これは斬るべきだ”って理由だけ先に置くのは、俺にはできない」


 その言葉に嘘はなかった。


 彼は敵を斬ること自体は厭わない。

 だが、見誤ったまま斬ることを恥だと思っている。

 そこが、この男の格になる。


 法王ユリオス十三世は三人のやり取りを聞き終え、指先を組んだ。


「よろしい」


 穏やかな声だった。


「ならば、言葉を置くのは後にしましょう」


 グラウスが何か言いかけたが、法王は先に続ける。


「ただし、重く見ないわけではない。神敵認定は保留。ですが、北方禁域の件は放置しません」


 その一言で、場の方向が決まる。


「まずは聖冠の眼で見ましょう。帝国の報だけでなく、我ら自身の視点で」


 法王は視線を順に巡らせた。


「聖女リュミエラ。勇者アシュレイ。お二人には、今回の巡察に関わっていただきたい。北方禁域の件は、もはや文書だけで扱うには重い」


 リュミエラは一礼する。


「承知いたしました」


 アシュレイも頷く。


「行きます」


 即答だった。


 そこへ、記録司祭長が慎重に言葉を挟む。


「陛下、異本照合については」


「続けなさい」


 法王は答える。


「ただし、民衆向けの言葉へはまだ下ろさぬこと。今の段階で神敵の語を広めれば、連邦自身がその語に引きずられます」


 この老獪さが、この人をただの温厚な老人に見せない。


 グラウスがそこで一度だけ口を開いた。


「法王猊下」


「何です」


「仮に、巡察の結果が不明瞭であった場合は」


 その問いの意味は明白だった。


 見てもなお曖昧ならどうするのか。

 その時こそ神敵認定へ進むのか。


 法王はすぐには答えなかった。


 窓の外の白い光を一瞬だけ見て、それから静かに言う。


「不明瞭であること自体が、次の材料になります」


 それは、あまり異端審問長が好まなそうな答えだった。


 だが間違ってはいない。

 曖昧さもまた情報だ。


「ゆえに今は、曖昧であることを恐れて先に名前を置かぬことです」


 会議はそこで締められた。


 椅子が引かれ、書記が筆を止め、神官たちが静かに動き始める。

 表向きは整然としている。

 だが、その整然さの下では、それぞれが違う計算を始めていた。


 巡礼監察院は、観測の段取りを。

 聖典管理局は、異本照合を。

 聖騎士団は、北行きの護衛と儀礼の準備を。

 異端審問局は――おそらく、それとは別の何かを。


 ---


 会議室を出た後、アシュレイは回廊の窓際で足を止めた。


 朝の光が白い壁を這っている。

 都はもう完全に起きていた。

 鐘楼の下では信徒たちが歩き、広場では修道士たちが朝の配給を整えている。

 平和な都の朝だ。


 だが、その平和の上に今、北の影が落ち始めている。


「勇者殿」


 後ろから声がして、アシュレイは振り返る。


 リュミエラだった。


 彼女は少しだけ表情を和らげていた。

 会議中の張り詰めた顔ではない。

 だが、完全に安堵しているわけでもない。


「聖女様」


「今朝は、ありがとうございました」


「礼を言われることはしていません」


 アシュレイは肩をすくめる。


「ただ、見てもいない相手を斬る気になれなかっただけです」


「それでも」


 リュミエラは小さく言う。


「私には心強かったです」


 その言葉に、アシュレイは少しだけ目を瞬かせた。


 聖女というのは、もっと遠い存在かと思っていた。

 だがいま目の前にいる彼女は、思ったよりずっと“考えている人”に見える。


「聖女様も、やはりおかしいと思っておられるんですね」


「はい」


 リュミエラは北の方角へ視線をやる。


「怖いのです。だからこそ、余計に」


「早く敵と決めたくない」


「…ええ」


 そこは同じだった。


 アシュレイは壁へ軽くもたれたまま、少しだけ考えてから言う。


「なら、北で見ましょう」


「はい」


「本当に敵なら、俺が斬ります」


 言い切る声には、軽さがなかった。


「でも、そうじゃないなら」


 そこで少しだけ間が空く。


 言葉の先が、彼自身にもまだ見えていないのだろう。


 リュミエラはその続きを促さない。

 ただ静かに頷く。


「その時は、その時に考えましょう」


 それで十分だった。


 二人は短く礼を交わし、それぞれ別の方向へ歩き出す。


 だがその背を、少し離れた回廊の陰から静かに見ている視線があった。


 グラウスだった。


 彼は二人の会話をすべて聞いていたわけではない。

 だが、表情と間合いだけで十分だった。


 聖女は慎重に傾いている。

 勇者もまた、簡単には斬らぬ側にいる。


 好ましくない。


 だが、想定内でもある。


「…ならば、こちらは別の確証を積むだけです」


 誰にも聞こえない声で呟く。


 会議で保留が置かれたからといって、北の脅威が薄れたわけではない。

 むしろ逆だ。

 曖昧なものほど、秩序にとって危険だ。


 グラウスは回廊の奥へ歩き出す。


 白い都セラフィスは、まだ揺れている。

 だが、その揺れが続けば続くほど、いずれ誰かが“早く決めよう”とする。


 その時、言葉を置くのは自分でなければならない。


 ---


 同じ頃。


 黒翼庭の遥か奥では、白い都で交わされた会話のいくつかが、すでに影鴉の耳を通じて拾われ始めていた。


 だがそれを知る者は、まだ・・・誰もいない。



最後までお読みいただき、ありがとうございました!!

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また、ブックマークや感想も今後の執筆の支えになります。

引き続きよろしくお願いいたします。

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