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配下からの信頼が重すぎる  作者: きなこもち
第1章 『黒翼の終王、目覚める』

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「王はまだ動かない」

 


 帝国は一枚岩ではない。


 その当たり前の事実が、禁域の沈黙が破られたことで、ようやくはっきりした形を持ち始めていた。


 北方方面軍は慎重だった。

 ディグラスもグレイン将軍も、相手を軽んじていない。

 見続け、測り、盤面を崩さずに次を探ろうとしている。


 だが帝都まで視界を広げれば、話は別だった。


 皇城の中庭に面した長い回廊を、レオンハルトは早足で歩いていた。

 今日は軍装ではなく、皇子としての礼装に近い上着を羽織っている。

 だが足取りは軍人のそれだ。

 迷いがない。

 止まらない。


 向かう先は、軍務省の補助会議室。


 大きな軍議の場ではない。

 主だった決定が下る場所でもない。

 だが、そのぶん本音が混じりやすい。


 軍務卿の補佐官。

 地方貴族出身の若い武官。

 北方筋と縁のある役人。

 それに皇子の側近たち。


 そうした者たちが、最近よく集まり始めていた。


 理由は一つ。


 禁域だ。


 第二報までが帝都へ届き、黒騎士ガルドの存在が共有されたことで、かえって火がついた者たちがいる。


 恐れるからこそ押し込みたい者。

 帝国の威信が試されていると感じる者。

 北の問題を自らの出世や権限拡大に繋げたい者。

 あるいは、帝国の皇子たるレオンハルトの名を北方で立てる好機だと見る者。


 誰も口にしないだけで、そうした思惑はもう都の下に流れ始めていた。


 会議室へ入ると、十名足らずの男たちが一斉に立ち上がった。


「殿下」


 レオンハルトは軽く顎を引くだけで、席へ向かう。


 長机の中央には北方の地図が置かれ、監視祠、街道、北方方面軍の補給点、そして禁域境界線の推定線が細かく書き込まれていた。


 術式灯の光が地図の上で冷たく揺れる。


「始めろ」


 皇子が言う。


 最初に口を開いたのは、若い武官だった。貴族の次男坊で、北方筋の家門を持つ男だ。


「殿下。現状、帝国は相手の土俵に乗せられております」


 言葉が強い。


 だが、完全な間違いとも言い切れない。


「禁域側は、境界を見せることで我らの進軍速度を制御しようとしている。見続けるだけでは、向こうに時間を与えるばかりです」


 レオンハルトは机の地図を見たまま問う。


「ではどうする」


「押し込みます」


 即答だった。


「大軍ではなく、北方方面軍の精鋭のみを短く前へ出す。監視祠の線を一段前へ。遺構の見える尾根を一つ確保し、そこを恒常監視点に変えるのです」


 つまり、境界線を物理的に押し込むということか。


 軍事的には理解できる。


 相手が線を引くなら、こちらも線を引き返す。

 そうして前線を少しずつ奪っていくのは、帝国の流儀としては自然だ。


「相手がそれを越境と見たらどうする」


 レオンハルトの問いに、今度は別の補佐官が口を挟む。


「だからこそ、軍ではなく監視点として押し出すのです。祈祷師と記録官を前へ出す形なら、露骨な挑発とは取りにくいでしょう」


 賢いようでいて、危うい提案でもある。


 軍でなければ越境ではない、という理屈は人の側の理屈だ。

 禁域の主がその理屈を受けるかどうかは分からない。


「…面白い」


 レオンハルトはそう言ったが、即座に賛同したわけではなかった。


 自分でも分かっている。


 これは好機でもあり、罠でもある。


 帝国の側から一歩押すことで、禁域側の反応を引き出せるかもしれない。

 だが、逆にそれが“踏み越えた一歩”とみなされる可能性もある。


 そして、そうした危うい一手ほど、皇子の名を欲しがる者たちは好む。


「ディグラスは反対するだろうな」


 ぽつりと漏らすと、数人の空気が少しだけ固くなった。


 その反応で十分だ。


 この場にいる者たちも分かっている。

 今回の件で、最も現実を見ているのはディグラスと北方方面軍だ。

 だが同時に、現実を見すぎる者の慎重さを“鈍さ”と呼びたがる者も出てくる。


 レオンハルトはそこで、ようやく顔を上げた。


「まだ決めるな」


 低い声だった。


「案としては持っておけ。だが、いま帝国が欲しいのは意地ではない。それをするに足る大義だ」


 言った自分でも、少しだけ苦い気分になる。


 自分は本当は、もっと前へ出たいのだろう。

 だがそれを飲み込み、意味を優先しろと口にしている。

 皇子としては正しい。

 だが、若い武の側からすれば窮屈だ。


 それでも、いまはそうするしかない。


「禁域がこちらをどう見ているのか。そこが定まるまでは、押し込みも後だ」


「…御意」


 若い武官は不満を飲み込みながら頭を下げた。


 だが火は消えていない。

 会議室の空気を見れば分かる。


 帝都の中にはもう、“境界を押し返したい”という欲が生まれている。

 それはたぶん、時間とともに強くなる。


 レオンハルトはそのことを、自分自身の中にも感じていた。


 気に食わないのだ。


 北の奥で、見えないままこちらを測る何かがいる。

 帝国がその前で歩幅を調整させられている。

 それがどうしようもなく不愉快だった。


 だが、不愉快だからといって、すぐ剣へ飛びつくのは違う。

 いまはまだ、そこではない。


 ---




 その夜、黒翼庭の影は帝都のその会議室にも届いていた。


 セラフィナは、影鴉衆から上がってきた断片を静かに整理していた。

 水鏡の上には人の声の輪郭だけが淡く残り、人物名、発言の強さ、周囲の反応が細い文字で並ぶ。


 ――監視点を前へ。

 ――祈祷師と記録官を押し出す。

 ――露骨な挑発ではない。

 ――まだ決めるな。


 帝都の空気が変わってきている。


 恐れて引く者ばかりではない。

 恐れた上で押し返したい者が、確実に熱を持ち始めていた。


 その報を玉座の間へ持ち込んだのは、ヴェルミリアだった。


「帝都の一部で、“境界そのものを前へ押し込む”案が出ております」


 クロウは玉座の上で、その一言を静かに聞く。


 やはり来たか。


 帝国が見続けると決めた時点で、次にそういう発想へ寄る者は必ず出ると思っていた。


 見て、慣れ、慣れたことで“もう少し押せるのではないか”と考える。

 人間らしい。

 そして一番危ない。


「決定事項ではございません」


 ヴェルミリアが続ける。


「ですが、第一皇子の周辺で火種になり始めております」


「レオンハルト自身は」


 クロウが問う。


「まだ抑えております」


 セラフィナが答えた。


「今は“意味を見極めるべき”との立場です。ですが、周囲が熱を持てばいずれ無視しきれなくなるかと」


 つまり、帝国の中枢はまだ留まっている。

 だが、都の空気そのものは、少しずつ前のめりになり始めている。


 それは好ましくない。


 帝国を監視国家として残すなら、無用な衝突で崩したくはない。


「押し込みをやらせると厄介だな」


 クロウが言うと、ヴェルミリアは深く頷いた。


「はい。軍ではなく祠や監視点の形で押し出されると、こちらがどこまでを越境とみなすか、曖昧な揺さぶりになります」


 そこが問題だ。


 軍列なら分かりやすい。

 だが記録官や祈祷師を少しずつ前へ出されると、“人の側の理屈”としてはあくまで監視に見える。


 だが黒翼庭からすれば、それは十分に境界の押し込みだ。


「やるなら早い段階で止めるべきです」


 ガルドが低く言う。


 いつの間にか入室していたらしい。甲冑の巨体が玉座の間の端に立っているだけで、空気が一段重くなる。


「一度でも押し込めたと学べば、帝国は次からそこを基準にする」


 もっともだ。


「だが、強く返しすぎれば逆に帝都の火がつく」


 クロウは言う。


「そうですね」


 ヴェルミリアが応じる。


「ゆえに今回は、“押し込みが意味を持たない”と理解させるのが最善かと」


「意味を持たない?」


「はい。境界そのものが固定線ではなく、こちらの認識に従って動くものだと分からせるのです」


 なるほど。


 帝国が祠を一歩前へ出しても、それで何かを得たことにはならない。

 こちらが“まだ外”と見なせば外だし、“越えた”と見なせばその瞬間に越境になる。

 そういう認識を植えつける。


 それなら、物理的な押し込みは効果を失う。


「できますか」


 バルザードが珍しく丁寧に問う。


 ヴェルミリアは答えず、代わりにクロウを見た。


 まただ。

 判断を求められている。


 だが今回は、少しだけ見えている。


「やれ」


 クロウは静かに言った。


「帝国に、“境界は場所ではなく意志だ”と分からせろ」


 言ってから、自分でも少しだけ痺れた。


 何だその王っぽい台詞は。


 だが、場にはとてもよく効いた。


 ヴェルミリアが深く頭を垂れる。


「御意」


 セラフィナは微笑む。


「では、押し込んだつもりで何も動いていないと知った時、彼らはようやく理解するでしょう」


 バルザードの目が輝いた。


「面白い!では監視点の前進を許容した上で、境界線認識だけをさらに一段ずらしましょう!」


「面白がるな」


 クロウは即座に釘を刺す。


「やりすぎるな」


「もちろんですとも!」


 たぶんギリギリまではやるな、こいつ。


 だが、方向は間違っていない。


 ガルドはただ一言。


「必要なら、再び立ちます」


 クロウは少しだけ考え、それから首を横へ振った。


「まだお前は出るな」


 ガルドの兜がわずかに動く。


 意外そうではない。

 ただ、理由を待っている。


「今は、相手に“押しても意味がない”と理解させればいい。お前が出るのは、その次だ」


 また少し、格好をつけすぎた気がする。


 だが本音でもある。

 ガルドを何度も出すのは違う。

 いざという時の重みが薄れる。


 ヴェルミリアはすぐに理解したらしく、静かに言った。


「では今回は、“境界の手触り”だけを変えましょう」


 綺麗にまとめるなあ、と思う。

 ありがたいが、やはり怖い。


 ---




 同じ頃、聖冠連邦でも空気は変わりつつあった。


 法王庁の一室では、北方禁域に関する断片情報が再び整理されている。

 帝国が監視祠を増設したこと。

 禁域境界線に“黒騎士”らしき存在が出たこと。

 帝国がいまだ大規模進軍へ踏み切っていないこと。


 その全てが、連邦にとっては判断を急がせる材料でもあり、逆に踏みとどまらせる材料でもあった。


「帝国がまだ動かぬ、ということは」


 若い神官が言う。


「相応に重い事態なのでしょう」


 記録司祭は頷いた。


「もしくは、帝国もまた何と呼ぶべきか決めかねている」


 そこへ、新たな文書が運ばれてくる。

 異端審問局からの意見書だ。


 ――黒翼の王に関する異本照合を進めるべし。

 ――北方禁域の変事は、単なる局地的異常ではなく、神敵的事象の前兆である可能性高し。

 ――帝国が動かぬならば、なおさら連邦が言葉を整えるべきである。


 言葉を整える。


 つまり、名付けるということだ。


 名付けた瞬間、連邦は動きやすくなる。

 大義ができるからだ。


 だが、その机の上に別の紙もある。


 聖女リュミエラの意見だ。


 ――まだ断ずるには早い。

 ――帝国がなお慎重である以上、連邦もまた軽々しく神敵の名を与えるべきではない。

 ――恐れと教義だけで先に名を置けば、事実はその後ろへ歪められる。


 法王庁の中でも、いま二つの流れが静かに拮抗し始めていた。


 帝国では“押し込みたい者”が増え。

 連邦では“名付けたい者”が増える。


 どちらもまだ主流ではない。


 だが、その火は確実に育っている。


 そして厄介なのは、その火がどちらも“正しさ”の顔をしていることだった。


 帝国側では、国境を守るために押し返すべきだと言う。

 連邦側では、民を惑わさぬため早く名を定めるべきだと言う。


 どちらも表向きはもっともらしい。

 だからこそ危うい。


 ---




 その夜、黒翼庭の静庭で、クロウは一人立っていた。


 高い格子越しの外光は薄く、白い葉の低木だけが静かに揺れている。

 遠くの水路の音が、妙にきれいだった。


 ここに来ると、ほんの少しだけ頭が整理できる。


 玉座の間では重くなりすぎる考えも、この静庭なら自分のものとして噛み砕ける気がした。


 帝国では押し込みの火が出始めている。

 連邦では名付けの火が出始めている。

 こちらはまだ剣を抜いていない。

 だが、もう“見るだけ”の段階は終わりつつある。


 どこかで一度、大きな線を引かなければならないかもしれない。


 その時、自分は何をどこまで見せるべきなのか。


「…面倒だな」


 思わず口に出る。


 実際、面倒だ。


 世界規模で面倒だ。


 そこへ、後ろから静かな足音が近づいた。


 ヴェルミリアだった。


「陛下」


「何だ」


「帝国の押し込み案ですが、今夜のうちに境界線監視へ反映を始めます」


「そうか」


「加えて」


 ヴェルミリアは少しだけ間を置いた。


「もし帝国が本当に一歩押してきたなら、その時は陛下のご判断が必要になります」


 クロウは振り返らずに聞く。


「なぜだ」


「次は、おそらく“見せ方”だけでは済まないからです」


 その一言は重かった。


 押し込みは、監視ではない。

 境界の解釈争いだ。

 そこまで来れば、単なる境界線演出では足りないかもしれない。


「帝国が自ら踏み越えるなら、こちらもまた“何を越えたか”を明確にせねばなりません」


 ヴェルミリアの声は静かだった。


「それは、四天王だけでは決めきれぬ線です」


 つまり、王の仕事。


 クロウは心の中で小さく息を吐く。


 結局そこへ戻るのだ。


 四天王は有能だ。

 だが、最後の線引きだけは自分がやるしかない。


「…分かった」


 短く言う。


「その時は、私が決める」


 ヴェルミリアは深く頭を垂れた。


「ありがとうございます」


 礼を言われるようなことではない。

 だが、この城ではそれが当然なのだろう。


 少しの沈黙の後、クロウはぽつりと問う。


「ヴェルミリア」


「はい」


「お前たちは、千年ずっと待っていたのか」


 聞いてから、自分でも少し意外に思う。


 だが、ずっと引っかかっていたことでもあった。


 四天王の忠誠は重い。

 重すぎる。

 だが、その重さはどこから来るのか。

 設定だから、というだけではもう済まない気がしていた。


 ヴェルミリアはすぐには答えなかった。


 風が静庭を抜ける。

 白い葉が少しだけ揺れる。


「…はい」


 やがて、彼女は静かに言った。


「少なくとも私は」


 たったそれだけなのに、クロウは少し言葉を失う。


 千年。

 その重みを自分は実感できていない。

 だが、この城の者たちはその重みの中で今日を待っていたのだ。


 だから信頼が重いのだろう。

 重いのは当然なのだろう。


 その答えに、クロウはしばらく何も言えなかった。


 やがて、ようやく短く返す。


「…そうか」


「はい」


 それ以上の会話は続かなかった。


 だが、その静けさは嫌ではなかった。


 重い。

 やはり重い。

 けれど、その重さを少しだけ別の角度から受け取れた気がする。


 忠誠というより、待ち続けた時間そのものが、ここには積もっている。

 だからこの城の空気は静かなのに重いのだ。

 だから自分の何気ない一言が、彼らにとっては簡単に流せない。


 そしてその時、遠くの城内で低い鐘が一つ鳴った。


 次の一手は近い。


 帝国が押すかもしれない。

 連邦が名付けるかもしれない。

 そのどちらかが起きた時、たぶん自分も本当に“王としての一手”を打たなければならない。


 クロウは静庭の薄い光の中で、ゆっくりと目を閉じた。


 王は、まだ動かない。


 だが、動かないことそのものが、もう意味を持ち始めている。


 沈黙はただの保留ではない。

 剣を抜かないこともまた、境界線の一つだ。

 それを見て、帝国は測り、連邦は言葉を選び、世界は勝手に重みを受け取っていく。


 面倒だ。

 怖い。

 重い。


 それでも。


 千年待っていた者たちがいるのなら、少なくとも自分は、その重さから目を逸らすわけにはいかない、そんな気がしていた。


最後までお読みいただき、ありがとうございました!!

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