表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
配下からの信頼が重すぎる  作者: きなこもち
第1章 『黒翼の終王、目覚める』

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

20/37

「聖女のいる回廊」

 


 帝国北方方面軍の監視祠は、三日目にして早くも一つの壁にぶつかっていた。


 記録は増えている。


 観測結晶には毎刻の気流変化が蓄積され、祈祷師たちは雪原の気配を言葉へ落とし込み、記録官は尾根ごとの見え方の違いまで丁寧に書き留めていた。

 崩れた塔が朝には見え、昼には霞み、夕方にはまた違う角度で見える。

 鐘のような音が遠くで鳴る日もあれば、何もない日もある。

 霧の濃度は一定ではなく、しかも不自然なほど“自然”に揺れてみえる。


 情報は増えている。


 だが、分かったことは驚くほど少なかった。


 北方禁域は何も隠していないように見える。

 実際、完全に閉ざしているわけでもない。

 塔は見える。

 尾根も見える。

 霧の流れも分かる。

 風の流れも記録できる。


 それなのに、肝心なところだけがいつまで経っても手に入らない。


 ルークスは祠の狭い監視室で、積み上がった記録板をめくりながら眉を寄せる。


「増えたな」


 副官が乾いた声で答える。


「はい。増えました。ですが…」


「決め手がない、か」


「ええ」


 祠の窓から見える雪原は、相変わらずただ白い。

 だが、その白さの向こうに“見られている感覚”だけが薄く居座っている。


 それが嫌だった。


 何も分からないならまだいい。

 だが実際には違う。

 何かが見えているようで、肝心なところだけがずっと抜け落ちている。


 誰かが意図的に、“考える材料だけ与えてくる”ような感覚だ。


「記録だけが増えて、使える情報は増えんな」


 ルークスは結晶板を机へ置いた。


「これじゃ、監視を続けるほど向こうの土俵に乗ることになる」


 副官もその違和感は感じているらしい。


「報告書を読む側は、“あと少しで全容が分かるはずだ”と思うのでしょうね」


「そして、いつまでも監視を続ける」


 それはつまり、こちらの時間が相手に使われているということだ。


 監視そのものは必要だ。

 だが、監視だけではたぶん足りない。

 どこかで別の切り口が要る。


 その時、祠の外で飛竜の羽音がした。


 ルークスと副官が同時に顔を上げる。


 飛竜は一騎。

 帝都からの急使ではない。

 北方方面軍内部の重い伝令だ。

 着地の仕方で分かる。


 扉が開き、雪を払った伝令が入ってくる。


「隊長。ディグラス殿より」


 そう言って差し出された封を、ルークスはすぐに受け取った。


 中身は短い。


 ――監視を続けろ。だが、監視だけで満足するな。

 ――“見えるもの”ではなく、“相手が見せているもの”を疑え。


 ルークスは読み終え、ふっと息を吐いた。


 やはりそうか。


 自分だけが感じている違和感ではなかった。


「隊長?」


「ディグラス殿も同じことを考えてる」


 ルークスは紙片を副官へ渡す。


「向こうは、こちらに見せる情報を操作している。なら俺たちも、情報をそのまま受け取るなってことだ」


 副官は文面を読み、眉をひそめた。


「…難しいですね」


「難しい」


 ルークスは素直に認めた。


「だが、ここから先はたぶん“どれだけ見るか”じゃない。“どう見るか”だ」


 その変化は、前線にいる者にとっても大きかった。


 監視対象が怪異ではなく、意思ある勢力であるなら、記録の取り方そのものを変えなければならない。


 気流を記すだけでは足りない。

 見え方を追うだけでも足りない。

 何が見えたかではなく、なぜそれが今そこに見えているのかを疑わなければならない。


 ルークスは窓の外を見る。


 白い雪原。

 崩れた塔。

 霧。

 そして、何もいないように見える禁域の奥。


「…厄介だな」


 そう呟く声には、恐れだけではなく、奇妙な熱も混じっていた。


 相手が本気で“見せるものを選んでいる”のなら、それを見抜いた時、帝国は初めて同じ盤面へ立てるのかもしれない。


 ---




 ディグラスは帝都へ戻っていなかった。


 北方方面軍の一角に設けられた臨時宿舎へ留まり、監視祠から上がる記録を毎日読んでいる。


 帝国最強の武が、剣ではなく記録に目を通している。

 普段なら似合わない光景だろう。

 だが今回ばかりは、ディグラス自身がそれを必要だと思っていた。


 机の上には結晶板が山になっている。


 風向き。

 視界。

 遺構の見え方。

 音の記録。

 飛竜の挙動。

 兵の心理変化。

 些細なものまで全部だ。


「どうです」


 向かいの椅子に座ったエルマが問う。


 彼女も帝都へは戻っていない。

 北方に残り、帝国の監視がどれだけ“向こうの見せ方”に絡め取られているかを精査していた。


 ディグラスは一枚の記録板を机へ戻す。


「腹が立つ」


 第一声がそれだった。


 エルマは少しだけ口元を緩める。


「つまり、よくできていると」


「気に食わんがな」


 ディグラスは背もたれへ体を預ける。


「近づけば分かりそうだと思わせる。だが近づいたところで、本当に大事なものは見せない。しかも、俺たちが見続けること自体を織り込み済みで、境界線を組んでる」


 それはほぼ正解だった。


 エルマも同意する。


「はい。現時点で分かる限り、禁域側は“監視されること”を受け入れた上で、監視結果の質を調整しています」


「調整、か」


「ええ。完全に隠すのではない。むしろ、あえて見せています」


 そこが厄介なのだ。


 見せるからこそ、こちらは見続ける。

 見続けるほど、“あと少しで分かるかもしれない”という感覚が積もる。


「帝国を引っ張ってるな」


 ディグラスが言う。


「今のところは」


 エルマも率直だ。


「ですが、逆に言えばそこが限界でもあります。向こうは境界線の見せ方を支配できても、こちらがどう解釈するかまでは完全に支配できない」


 ディグラスは腕を組む。


「どういう意味だ」


「帝国が“見るだけでは届かない”と理解した瞬間、次の手を変えられるということです」


 例えば、とエルマは続ける。


「人ではなく、記録そのものを変える。あるいは、禁域境界線ではなく、その周囲に集まる人間を追う。もっと言えば、向こうが見せようとしていないもの――例えば、人の反応や補給の流れ、神話記録の再整理――そちらへ焦点を移すのです」


 なるほど、とディグラスは思う。


 向こうが“見せる境界線”に誘導するなら、こちらはその外側から削ればいい。


「つまり、見る場所を変えるわけか」


「はい」


 エルマは頷く。


「禁域そのものだけを見続けていても、向こうの思う壺です。なら、その外へ波及する影響を見た方がよい」


 その視点は、さすがの智謀だとディグラスは認めざるを得なかった。


 自分一人なら、どうしても“もう一度前へ出るか”の方向へ考えが寄る。

 だが、それだけが手ではない。


「…帝都にも伝えるか」


「伝えるべきでしょうね」


 エルマは結晶板を一枚持ち上げた。


「特に連邦と商盟の動きです。禁域を直接測るだけではなく、各国がどう意味づけ始めるかを見る必要があります」


 そこで、ディグラスは少しだけ目を細めた。


「連邦はもう動いてるのか」


「断片は拾い始めています。聖典異本の照会も増えていると」


 やはり早い。


 帝国が“どう見るか”を変え始めた頃には、連邦はもう“何と呼ぶか”を探り始めている。


「面倒だな」


「はい」


 エルマはあっさり頷いた。


「ですが、ここからは帝国だけの問題ではなくなります」


 その一言が、事態の変化をはっきり示していた。


 黒翼庭はただ北にあるだけで、各国の認識をずらし始めている。

 帝国が見続ければ、連邦は言葉を選ぶ。

 連邦が言葉を選べば、魔導王国は記録を掘る。

 商盟はその空気ごと値札をつけるだろう。


 ディグラスは机上の記録板を見下ろしながら、ようやくはっきり理解した。


 これは前線だけで片づく話ではない。

 北の雪原に立つ黒騎士一人の背後に、すでに“国の形をした何か”がある。


 ---




 聖冠連邦アルディウスの大聖堂は、昼の光を柔らかく砕くように造られていた。


 高い天井。白い柱。色硝子を通した淡い光。

 そこを歩く人々の足音まで、どこか丸くなる。


 その奥にある静かな回廊を、ひとりの少女が歩いていた。


 聖女リュミエラ。


 まだ若い。

 年は十代半ばほどに見える。

 白銀に近い金髪を肩まで垂らし、飾りの少ない純白の法衣を纏っている。

 派手な美しさではない。

 だが、視線を向けると自然に背筋が伸びるような、静かな清さがあった。


 その彼女を、法衣姿の記録司祭が追いかけるようにして呼び止める。


「リュミエラ様」


 聖女は足を止め、振り返る。


「どうなさいましたか」


「少々、お耳に入れておくべきことが」


 司祭は声を落とした。


「北方禁域についてです」


 その言葉に、リュミエラの表情がわずかに変わる。


 驚きではない。

 むしろ、そういう話が来る時期だとどこかで感じていたような、静かな警戒だった。


「入っても?」


「ええ」


 回廊脇の小部屋へ入り、扉が閉じる。

 外の光が少しだけ遠のく。


 記録司祭はそこで、今連邦上層へ入ってきている断片情報を簡潔に伝えた。


 北方禁域に変化あり。

 帝国が監視線を増やしたこと。

 “黒い羽”の目撃談。

 古い異本で《黒翼の王》に関する照会が増えていること。


 それだけだ。


 具体的な証拠はまだ少ない。

 だが、連邦の文脈ではそれだけで十分“重い話”になる。


「法王庁はまだ公にはしておりません」


 司祭が言う。


「ですが、いずれ聖女様のお耳にも正式に入るかと」


 リュミエラは少しだけ考え、それから静かに問うた。


「帝国は、どう見ていますか」


 やはりそこを聞くか、と司祭は思う。


「断定していないようです」


「断定、とは」


「神敵、あるいはただの禁域異常だ、と」


 リュミエラは目を伏せた。


 連邦なら、すぐにでも“神敵の兆し”と呼びたがる者がいるだろう。

 だが帝国が慎重なら、その重みも無視はできない。


「…なら、まだ急ぐべきではありませんね」


 聖女の声は静かだった。


 司祭は少しだけ救われた気分になる。


 少なくとも彼女は、まだ神話と恐怖だけで断じるつもりはないらしい。


「とはいえ、異端審問局は別の意見でしょう」


「でしょうね」


 リュミエラは否定しない。


「だからこそ、先に聞いておきたかったのでしょう?」


 司祭は深く頭を下げた。


「恐れながら」


 聖女は小さく息を吐き、窓の外の白い光を見た。


 北方禁域。

 《黒翼の王》。


 子供の頃から祈りの場で何度も聞いてきた名だ。

 だが、それはいつも“遠く古いもの”として語られていた。

 いまその名が、再び現実の話として近づいてきている。


 もし本当に、北の奥で何かが目を開いたのだとして。


 それを何と呼ぶべきかは、まだ分からない。


 けれど、一つだけ確かなことがある。


 言葉は、剣より先に人を傷つける。


 そして、いったん与えられた名は、人の祈りや憎しみを勝手に集め始める。


 だからこそ急いではいけない。


「正式な場で話が出たら、私はそう申し上げます」


 リュミエラは言った。


「まだ断ずるには早い、と」


 その声は穏やかだったが、芯は強かった。


 ここで一度“神敵”と置いてしまえば、連邦はもう簡単には戻れない。

 ならば少なくとも、自分はそれを遅らせる側に立つ。


 その言葉が、後の連邦内部でどれだけ重みを持つかは、まだ誰にも分からない。


 ---



 その夜、黒翼庭では西方の新しい情報が上がっていた。


 聖冠連邦の上層で、北方禁域に関する古い異本の照会が増えていること。

 法王庁の周辺で“黒翼の王”という語が断片的に再浮上していること。

 だが一方で、聖女の周辺からは“まだ断ずるには早い”という慎重な空気も出始めていること。


 それを聞いて、クロウは少しだけ意外に思った。


「聖女?」


「はい」


 セラフィナが答える。


「連邦における象徴の一つです。若いですが、民衆と上層の双方へそれなりの影響力を持ちます」


 象徴が慎重派なのは悪くない。


 少なくとも、最初から全力で“神敵だ、討て”の流れにはなりにくい。


「勇者は」


 口にしてから、少しだけ気まずくなる。


 勇者、という単語がこの世界では冗談っぽく聞こえないからだ。


 だがヴェルミリアは淡々と答えた。


「存在はしております。現在の連邦において、対外的な武威の象徴と見てよろしいかと」


 本当にいるのか。


 いや、いるか。

 まあこういう世界観だしな。


「ただし、まだ北方禁域の件へ直接関与してはおりません」


「なら、まだいい」


 クロウは短く言った。


 勇者だの聖女だのが本格的に動き出すのは、正直かなり先であってほしい。

 物語好きとしては盛り上がるが、こっちの胃が持たないからな。


「ですが」


 ヴェルミリアが静かに言う。


「連邦がこちらを何と名付けるかは、帝国以上に重要です」


 それはそうだ。


 帝国は“危険な相手”として見る。

 連邦は“どういう敵か”で見る。

 言い換えれば、連邦の言葉はそのまま大義になりうる。


「名前を与えられる前に、こちらが先んじて印象を固めるべきかと」


 なるほど。


 向こうが勝手に定義する前に、“簡単には断じられない相手”としての実績を積む。

 それは黒翼庭にとって重要な方向だろう。


「帝国には監視を続けさせる」


 クロウは言った。


「連邦には、決めきらせるな」


 また少し格好をつけたような言い方になった気がする。

 だが中身は本音だ。


 ヴェルミリアは深く頷いた。


「承知いたしました。では帝国には“理解できそうでできない境界線”を、連邦には“断じるには材料が足りぬ沈黙”を」


 やはり一瞬で翻訳される。


 すごい。

 そして怖い。


「その上で」


 セラフィナが続ける。


「連邦がどう選び、誰がそれを押し出すかを見極めます」


「必要なら切るのか」


 クロウが聞くと、セラフィナは一拍だけ黙った。


「陛下がまだ早いと仰る限り、そこまではいたしません」


 その返答に、クロウは少しだけ安堵する。


 少なくとも今は、まだ止まるつもりらしい。

 だが裏を返せば、“その時”が来たら本当にやる気なのだろう。

 やはり怖い。


 ヴェルミリアが視線を地図へ落とす。


「問題は、ここから先です」


 帝国北方。

 連邦西方。

 まだ沈黙している南と東。

 地図の上では何も動いていないように見えるが、実際にはもう空気が変わっている。


「帝国は見続ける。連邦は定義しようとする。ならば魔導王国は、いずれ“存在を確かめよう”と動きます」


 バルザードが肩を揺らした。


「そして商盟は“どう儲けるか”ですかねえ」


「黙って聞いてなさい」


 ヴェルミリアが刺す。


「はーい」


 軽い。


 この男がいると少しだけ息が抜けるが、その分たまに物騒な方向へ飛ぶので油断できない。


 クロウは玉座の上で地図を見下ろしながら、静かに思う。


 帝国だけならまだ対応しやすかった。

 だが今はもう、各国が別々の理由でこちらへ顔を向け始めている。

 しかもこちらの一手は、どの国にも別の意味で映る。


 綱渡りだ。


 だが、その綱を渡るための足場として、帝国の慎重さは使える。

 連邦の逡巡も利用できるかもしれない。


 そう考えている自分に、少しだけ苦笑したくなる。


 自分はいつの間に、こんなふうに盤面でものを考えるようになったのか。


 たぶん、配下のせいだ。


 配下からの信頼が重すぎるせいで、こっちもそれなりに王っぽく考えざるを得なくなってきている。


「…続けろ」


 クロウは短く言った。


「まだ、どこにも剣は抜かせるな」


 四天王が揃って頭を垂れる。


「「「「はっ」」」」


 返答の重さに、玉座の間の空気がさらに沈む。


 だが今のクロウは、その重さに押し潰されるだけではなかった。


 まだ怖い。

 まだ面倒だ。

 だが少なくとも、何を避け、何を残し、何を見せるべきかくらいは見え始めている。


 帝国には見続けさせる。

 連邦には決めきらせない。

 魔導王国には、飛びつくにはまだ足りないと思わせる。

 商盟には、値札をつけるには早いと感じさせる。


 全部、完璧にはできない。

 それでも、何も考えず押し流されるよりはましだ。


 そしてそれはきっと、次の大きな衝突までのわずかな猶予でもある。


 玉座の肘掛けへ置いた指先に、黒い石の冷たさが薄く伝わる。


 クロウは静かに息を吐いた。


 剣を抜かせない。

 少なくとも、今は。


 それがこの数日でようやく見えてきた、自分の最初の役目に思えた。


最後までお読みいただき、ありがとうございました!!

もし作品を気に入っていただけましたら、

下部の☆☆☆☆☆より評価をいただけると大変励みになります。


★★★★★を入れていただけると作者のやる気が大幅に上がります(^^)/


また、ブックマークや感想も今後の執筆の支えになります。

引き続きよろしくお願いいたします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ