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配下からの信頼が重すぎる  作者: きなこもち
第1章 『黒翼の終王、目覚める』

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「《屍山の黒騎士》ガルド・ヴァルカン」

 


 帝国北方方面軍の作戦室では、地図の上に白い沈黙が積もっていた。


 誰も声を荒げてはいない。

 だが、それがかえって場の重さを際立たせている。

 禁域境界線の縮図、監視祠の位置、谷筋の線、昨夜と今朝の接触記録。

 そのすべてが机上へ広げられ、術灯の冷たい光を受けていた。


 窓の外では風が鳴っている。

 だが厚い石壁に遮られ、その音もここでは遠い。

 聞こえるのは、紙をめくる音と、記録官の筆先が走るかすかな擦過音だけだった。


 ディグラスが戻ってきたのは、日が傾きかけた頃だった。


 帰還したその足で作戦室へ入り、外套も外しきらないまま報告に立つ。

 北方方面軍副司令グレイン将軍、宮廷魔導官派遣員エルマ、軍務補佐官たち、記録官。

 全員が揃っていた。


 この場にいる者たちはもう分かっている。

 今から聞くのは単なる“偵察結果”ではない。

 帝国が北方禁域を今後どう扱うべきか、その枠組みそのものに関わる報告だ。


「報告を」


 グレイン将軍の言葉は短い。


 ディグラスもまた、余計な前置きをしなかった。


「黒騎士が出た」


 その一言で十分だった。


 記録官の筆が走る。


「名を名乗った。黒翼庭第二席、《屍山の黒騎士》ガルド・ヴァルカンと」


 その名が、今度は帝国の正式記録へ書き込まれる。


 ただの伝承ではない。

 正体不明の影でもない。

 相手は階位と名を持ってこちらの前へ立った。

 それだけで意味が違う。


「接敵は」


「なし。剣も抜いていない」


「なら戦闘ではないな」


「ああ。だが、何もなかったわけでもない」


 ディグラスの目が地図へ落ちる。


「踏み込めば越える線があった。見えんが、分かる程度には明確な線だ」


 曖昧な言い方だったが、それ以上に正確な表現もなかった。


 机上の線ではない。

 術式で引かれた境界でもない。

 だが確かに、あの雪原には“ここから先は違う”と身体で理解させる何かがあった。


「昨夜の斥候報告と同じです」


 エルマが言う。


「ただし今回は、その線の前に“立つ者”がいた」


 グレイン将軍は腕を組んだ。


「黒騎士ガルドか」


「はい」


 エルマは続ける。


「昨夜は羽と気配でした。今朝は騎士と会話です。禁域側は、こちらが出す札の重さに応じて、返す札の性質も変えています」


 その分析に異論は出ない。


 なぜなら、現実にそうなっているからだ。


 斥候に対しては、気配と警告。

 帝国最強格に対しては、名乗る騎士と直接の応答。

 偶然では済まない。

 向こうは見て、選んで、返している。


「ディグラス」


 グレイン将軍が問う。


「お前はどう見た」


 竜騎士団長は少しだけ考えた。


 言葉を選ぶというより、自分の中で“どこまでを感覚として報告に含めるか”を整えているような沈黙だった。


「強い」


 まず、それを置く。


 室内の空気がわずかに締まる。


「帝国最強より、か」


 誰かが小さく息を呑んだ。


 だがディグラスはすぐに首を横へ振る。


「そこまでは分からん」


 簡単に断言しないところが、この男の信頼される理由でもあった。


「だが、少なくとも“立つだけで線を作れる”程度には強い。剣を抜かずにこちらを止めた」


 それは誇張ではない。


 現場を知る者の間では、むしろそれで十分だった。

 真に強い者ほど、抜く前に場を支配する。


「気に食わんがな」


 ディグラスは率直に言った。


 その率直さが、逆に場の空気を少しだけ軽くする。


「気に食わんが、だからといって軽く見る気にもならん」


 グレイン将軍がゆっくり頷く。


「つまり、前線で処理できる相手ではない」


「少なくとも、斥候や小隊長の判断に任せるべき話ではなくなった」


 それは重い結論だった。


 禁域問題は、いまこの瞬間に“前線の不穏”から“帝国中枢が扱うべき対外案件”へ変わったのだ。


 エルマが淡々と補う。


「さらに申し上げれば、相手は“理解できる強者”をこちらが出したこと自体を、評価材料として使っています」


「評価?」


 軍務補佐官の一人が眉を寄せる。


「こちらを、ですか」


「おそらく」


 エルマは頷いた。


「斥候ではなく、帝国最強格を出してきた。それに対して向こうも第二席を出した。これは単なる脅しではありません。相手は、こちらがどの程度の札をどの段階で切る国かを見ています」


 机の上の地図が、一瞬だけ別のものに見えた。


 地形図ではなく、盤面に。


 帝国が駒を置き、禁域の主もまた駒を返す。

 その見え方自体が、すでに相手の術中なのかもしれない。


「不愉快ですね」


 補佐官が小さく言う。


「ええ」


 エルマも否定しない。


「ですが、不愉快であることと、分析を誤ってよいことは別です」


 その通りだった。


 グレイン将軍は数秒、沈黙したまま地図を見ていたが、やがて低く言った。


「帝都へ第二報を上げる」


 記録官が顔を上げる。


「文言は」


「“禁域における意思ある段階的応答を再確認”」


 硬い表現だ。

 だが正確でもある。


「加えて、黒騎士ガルド・ヴァルカンの名と、戦闘回避の上でなお境界を明示したことを明記」


「はっ」


「帝国は今後、長期監視へ移行する」


 それが、この前線の結論だった。


「ただし、監視だけで終えるな。祠ごとの記録は毎日上げろ。気候、遺構、気配、何でもいい。変化を拾え」


 そして、それを聞いた者たちは皆理解していた。


 この命令は“待機”ではない。

 帝国なりの攻勢だ。

 相手の示す境界線を、見ることで削ろうとしている。


 だがその攻勢が、相手にとって織り込み済みかもしれないこともまた、全員が感じていた。


 ---




 第二報が帝都へ届いたのは、その日の夜だった。


 皇城内、軍務省上層室。

 重い扉の向こうには、昼より少人数の面子が集まっている。

 皇帝ヴァルゼオン三世、第一皇子レオンハルト、軍務卿、宮廷魔導官本局の上席一名。

 そして新たに、内政と外交を預かる宰相補佐が加わっていた。


 第一報が“何かが起きた”の報だったとすれば、第二報は違う。


 “相手がこちらをどう扱ったか”の報だ。


 読み上げられた文面は短い。

 だが、意味は重い。


 黒騎士ガルド・ヴァルカン。

 帝国側の接近に対し、戦闘を避けつつ明確な境界を提示。

 こちらの力量と意図を測るような応答。

 禁域側は依然として意思を持ち、かつ段階的に札を切っている可能性が高い。


 読み終えた後、しばらく誰も話さなかった。


 最初に口を開いたのは、軍務卿ではなく宰相補佐の方だった。


「外交案件ですな」


 その一言に、レオンハルトが眉を寄せる。


「早計ではないか」


「本当にそうでしょうか、殿下」


 宰相補佐は年嵩の男だった。

 細身で、顔色は悪いが目だけが妙に鋭い。

 軍人ではない。

 だからこそ、軍人たちとは違う角度でこの報を読んでいた。


「相手は剣を抜かず、しかし明確に“ここまでだ”と示した。さらに、こちらの出した人物に応じて出てきた者も変えている。これは怪物の振る舞いというより、意思ある勢力の振る舞いです」


「勢力…」


 レオンハルトがその語を繰り返す。


 宰相補佐は頷いた。


「ええ。少なくとも“城に眠る災厄”というより、“城を核とした勢力”として見た方が整合性は高い」


 その言い方は、帝国の認識を一段変える力を持っていた。


 禁域に何かいる、ではない。

 禁域に、勢力がある。


 それは軍の問題であると同時に、外交と秩序の問題になる。


「だからといって、いきなり使者でも送れと?」


 レオンハルトの声には反発があった。


 当然だ。

 相手の正体すら定かではないのに、対等な“勢力”のように扱うことには抵抗がある。


 だが宰相補佐も退かない。


「いえ。まだその段階ではない。ただ、こちらがどう名付けるかで今後の枠組みは変わります」


「枠組み?」


「“北方禁域の異常”と呼ぶか、“黒翼庭なる勢力の再起動”と呼ぶか、です」


 その違いは大きい。


 前者なら鎮圧案件だ。

 後者なら、周辺諸国も巻き込む国際案件になる。


 ヴァルゼオン三世は肘掛けに指を置いたまま、しばらく考えていた。


 やがて、低く言う。


「今はまだ前者でよい」


 レオンハルトがわずかに息をつく。


 だが皇帝は続けた。


「ただし、後者へ変わる備えはしておけ」


 その一言に、室内の全員が小さく緊張した。


 つまり皇帝自身も、禁域を“勢力化した何か”として見る可能性を排除していないということだ。


「軍務は監視を継続。外交は周辺国の動きを洗え。特に連邦と商盟だ」


「はっ」


「魔導院は、神話記録の洗い直しを急げ。だが騒ぐな。証拠が足りぬうちは、祭り上げる必要はない」


 命令は的確だった。


 帝国はまだ決めない。

 だが、決める時に備えて各部門を動かす。


 それがヴァルゼオン三世という男のやり方なのだろう。


 レオンハルトは父の横顔を見ながら、改めて思う。


 自分はまだ前に出る役ではない。

 だが、盤面そのものはもう動き始めている。

 そして、自分がそこへ関わる日はたぶん遠くない。


 ---




 聖冠連邦アルディウスの首都セラフィスは、帝都ザルカディアとはまるで違う明るさを持っていた。


 白い石造り。

 高い尖塔。

 聖堂へ続く広い階。

 朝も昼も夜も、どこかで鐘が鳴っている都だ。


 その中心、大聖堂に隣接する法王庁の一室で、北方からもたらされた断片情報が静かに整理されていた。


「北方禁域、異常反応継続」

「帝国が監視線を増設」

「黒翼の王に関する古い異本が再び照会されている」

「監視祠付近で“黒い羽”の目撃談」


 情報はまだ断片だ。


 だが、宗教国家にとって断片は断片のまま放っておけない。


 巡礼監察官の報告書を机へ置いたのは、異端審問局に籍を置く若い神官だった。

 その向かいには、法王庁付の記録司祭が座っている。


「帝国が騒いでいるだけでは?」


 若い神官が言う。


 記録司祭は白い手袋をはめたまま、報告書の余白を指先でなぞった。


「帝国は北方に関しては騒がない」


 短い返答だった。


「北方禁域を最もよく知る国です。その帝国が観測線を増やすなら、少なくとも何もないとは思っていない」


 机上には、古い聖典の異本も開かれていた。


 ――黒き翼の王、目を開く時、地上の秩序は試される。

 ――終わりを告げる者は、剣より先に沈黙で裁く。


 若い神官が顔をしかめる。


「嫌な文言ですね」


「神話はだいたいそうです」


 記録司祭は淡々としていた。


「問題は、嫌かどうかではありません。今これを掘り返すべき段階かどうかです」


「では、どうされます」


「上に回します」


 法王庁へ。

 聖典管理局へ。

 場合によっては聖女や勇者の周辺にも。


 まだ表には出ない。

 だが、連邦の上層は確実に“北で何かが起きている”と知ることになる。


 そしてその“何か”に、どんな名を与えるかを考え始める。


 帝国が境界を見ているとすれば、連邦は意味を見ている。

 相手がどれほど強いかより先に、それが自分たちの秩序において何なのかを決めたがる。


 白い都の奥でもまた、盤面は静かに動き始めていた。


 ---




 その夜、黒翼庭の玉座の間では再び報告が重なっていた。


 帝国は監視を増やす。

 連邦は断片を拾い始めた。

 商盟もおそらく嗅いでいる。

 魔導王国はまだ遅いが、遺産と神話に関わる記録が動けば必ず飛びつく。


 クロウは玉座の上からそれを聞きながら、少しずつ整理していた。


 帝国は“見続ける”を選んだ。

 連邦は“意味を決める”方向へ動き始めた。

 つまり、こちらが見せる境界線は、もう帝国だけのためのものではない。


 帝国に対する見せ方が、そのまま他国への前置きにもなる。


 重い。


 だが、避けて通れない。


「ヴェルミリア」


「はい」


「帝国の監視が増えるのは構わない。だが、それを連邦にそのまま解釈させるな」


 言葉にしながら、自分でも“だいぶそれっぽいな”と思う。


 だが、必要な指示でもあった。


 帝国は武の国だ。

 彼らが慎重になるのは“脅威の質”を見ているからだ。

 だが連邦がそれを見れば、“これは神敵である証左”のように好き勝手に意味づけしかねない。


「承知いたしました」


 ヴェルミリアは一礼する。


「では、連邦へ流れる断片には“敵対の明確な証”を持たせず、代わりに“帝国もなお断じきれていない”という印象を混ぜましょう」


 そうだ、それだ。


 帝国が慎重であることと、帝国が敵と断じていることは別だ。

 その差を連邦へ伝えられれば、少なくとも初手の大義を作りにくくできる。


「セラフィナ」


「はい」


「西は浅く見ろ。まだ深く入るな」


 釘を刺す。


 連邦は帝国以上に、余計な刺激が危ない気がする。


 セラフィナは穏やかに頷いた。


「承知いたしました。言葉の流れだけを拾います」


 その返答に、少しだけ安心する。


 “拾うだけ”で済めばいいのだが。


「バルザード」


「はっ!」


「境界線の見せ方は維持しろ。ただし、他国にまで同じ効き方をすると思うな」


 これは大事だ。

 帝国には効く仕掛けでも、連邦や魔導王国には別の意味で見られる可能性がある。


 バルザードは珍しくすぐ真面目な顔になった。


「承知しております。帝国向けは“測りきれない境界線”ですが、連邦向けには“断じきれない境界線”に寄せるべきでしょう」


 すぐにそう返せるのが本当に有能で怖い。


 ガルドは低く言う。


「必要なら、次も出ます」


 クロウは少しだけ考え、それから頷いた。


「まだ待て」


 今はまだその段階ではない。


「次にお前が出るなら、それは帝国だけの相手では済まない時だ」


 その一言に、玉座の間の空気が少しだけ変わった。


 ヴェルミリアの瞳が細まり、セラフィナは静かに微笑み、バルザードは息を呑み、ガルドは深く頭を下げる。


 また何か大きく受け取られたらしい。


 だが今のは、割と本音だ。


 ガルドのような札を何度も見せるのは違う。

 あれは“黒翼庭には王の代わりに立つ武がいる”と示すからこそ効いた。

 安売りしてはいけない。


「では」


 ヴェルミリアが静かに言う。


「帝国は当面、観測国家として保持。連邦には断定の材料を与えず、他国へはまだ霧の内側で」


 もはや国家方針の定型文みたいになっている。


 クロウは心の中だけで少し笑いそうになった。


 自分はただ、面倒な全面戦争を避けたいだけなのだ。

 けれどそれを配下が翻訳すると、いつも妙に格好のつく戦略へ変わる。


 重い。


 だが、その重さが少しずつ使えるものにもなってきている。


「…それでいい」


 短く言う。


 四天王が揃って応じる。


「「「「御意」」」」


 返事の重さは相変わらずだ。


 だが今のクロウは、昨日ほどその重さに押し潰されてはいなかった。


 北に帝国。

 西に連邦。

 まだ沈黙している南と東。

 そのすべてが、少しずつこちらへ近づいてくる。


 次の一手を誤れば、一気に戦争になる。

 うまくいけば、まだしばらくは“観測”の範囲に留められる。


 綱渡りだ。


 だが、もう渡るしかない。


 そして今の自分は、昨日のようにただ足元を見て震えているだけではなかった。


 怖い。

 面倒だ。

 できれば穏便に済ませたい。


 その気持ちは何も変わっていない。

 けれど、そのために何をどう見せ、誰にどこまで触れさせるか――そこまで考え始めている自分もまた、もう否定できなかった。


 王の形というものがあるのなら、それは最初から堂々としていることではなく、重さを受けたまま次の線を引くことなのかもしれない。


 クロウは玉座の肘掛けへ指を置き、静かに言った。


「続けるぞ」


 それは四天王への命令であり、同時に自分自身への確認でもあった。



最後までお読みいただき、ありがとうございました!!

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