「冥匠の遊戯」
黒翼庭の下層は、上層とは空気が違った。
上層が静かな城なら、下層は静かな工場だった。
黒い石の壁は同じだ。
だが、床を走る銀の線は上層より太く、光も少し赤みがかっている。
遠くで何かが脈打つような低い音がする。
回廊を歩くたび、足裏へごくわずかな振動が伝わった。
まるで城の奥で巨大な心臓がいくつも動いているようだった。
冷たいのに、生きている。
静かなのに、止まってはいない。
クロウはヴェルミリアとバルザードを従え、その区画を進んでいた。
案内役がバルザードになった時点で、嫌な予感はしていた。
今のところ実害は出ていない。出ていないが、説明の途中で余計なものを披露される未来はかなり濃厚だと思っている。
「さあ陛下!こちらが工廠中枢でございます!」
やはり声が弾んでいた。
回廊の先、巨大な両開きの扉がゆっくりと左右へ開く。
その向こうに広がっていたのは、縦にも横にも広い空間だった。
天井は高く、何本もの鎖とアームが吊られている。
壁際には結晶板と術式盤がずらりと並び、中央には巨大な円形炉が脈打つように赤い光を放っていた。
その熱がこちらまで届くわけではない。
むしろ空気はひんやりとしている。
だが、熱源がそこにあることははっきり分かる。
不思議な感覚だった。
熱いものを見ているのに寒い。
けれど、その熱が城全体を動かしているという実感だけは妙に濃い。
「…これが魂炉か」
クロウが呟くと、バルザードは嬉しそうに振り向いた。
「はい!正確には第三魂炉。現在稼働中の主機の一つでございます!」
「第三?」
嫌な予感しかしない数字だった。
「もちろん主級は三基、補助級が六基、予備が二十七基ほど!」
多いな。
予想よりだいぶ多かった。
いや、自分で設定した可能性が高いので自業自得なのだが、実物として目の前に出されると普通に引く。
多い、というより、思想がもう小国一つ運営する前提の設備だ。
城の設備ではない。
完全に勢力の中枢だ。
バルザードは止まらない。
「本来なら城全域の術式、兵装、監視、転送、儀礼機構までを一括で支える中枢でして!今は陛下のご意向に従い、必要最低限の出力に絞っておりますが、それでも境界線調整程度なら余裕で――」
「必要最低限でこれか」
クロウが言うと、バルザードは胸を張った。
「黒翼庭ですので!」
何の説明にもなっていない。
だが、言わんとすることは分かる。
ここはそもそも普通の城ではなく、神話級勢力の中枢なのだ。
規模がおかしいのは当然なのだろう。
ヴェルミリアが静かに補足する。
「黒翼庭は、“少人数でも大勢力に見える”ようではなく、“少人数でも本当に大勢力として機能する”よう設計されております」
その言い方は妙にしっくりきた。
実際、この城はそういう感じだ。
配下一人ひとりの質が高いだけでなく、城そのものが勢力として完成している。
「そしてこちらが魂鋼機兵!」
バルザードが手を広げる先、壁際の暗がりに並んでいた巨大な影が、少しずつ輪郭を現す。
人型だった。
人型だが、人ではない。
三メートルを越える黒い機兵。
表面は甲冑にも石像にも見える不思議な質感で、胸部や関節部には赤い線が走っている。
頭部に顔はない。
代わりに、兜の隙間に似た横線だけが一本入っており、そこが視覚器官らしかった。
十体。
いや、奥にまだいる。
見える範囲だけで十体以上は並んでいる。
ただ立っているだけなのに、整列した重さがある。
眠っている武器の気配だ。
起きていないからこそ、かえって不気味だった。
「境界線防衛、拠点保持、監視補助、対大型戦闘、荷重運搬と用途は幅広くあります!」
「待て」
クロウが手を上げる。
「今、どこまで起動している」
それが一番大事だ。
バルザードは素直に答えた。
「常時稼働は四。即応待機が十二。完全休眠が四十六です!」
多い。
思ったよりずっと多い。
しかも“完全休眠が四十六”ということは、起こせばまだ増えるということだ。
自分はどれだけ物騒な拠点を作ったのだろうか。
いや、昔なら絶対に楽しかっただろう。
分かる。すごく分かる。
だが現実になると話が違う。
「用途は」
「今のところ境界線調整と、あとは工廠区画の重量物運搬が中心です」
ヴェルミリアが横から言った。
「陛下のお考え通り、大規模な展開はまだ行っておりません」
その“陛下のお考え通り”という便利な言い回しに少しだけ複雑な気分になる。
だが実際、今は本当に展開しなくていい。
帝国との間合いも、他国の反応も、まだそこまでではない。
バルザードが機兵の一体へ近づき、愛おしそうに脚部装甲を叩いた。
「いやあ、ですが見てくださいこの安定感!古い設計ながら捨てがたい美しさがありましてね!骨と鋼と魂の配合比率が実に――」
「短く」
「頑丈です!」
それでいい。
クロウは少しだけ安心した。
バルザードは説明が長いが、言えばちゃんと短くはなるらしい。
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工廠区画のさらに奥には、より物騒なものが並んでいた。
槍。
大盾。
鎖。
術式が刻まれた杭。
いずれも見た目は武器だが、普通の武器ではないことは一目で分かる。
近づくだけで、空気が少し重くなるような感じがある。
ただ鋼でできているのではない。
何か別の理屈が詰まっている。
使われる前から“結果”だけが先にあるような、不穏な気配だった。
「こちらは?」
クロウが聞くと、バルザードはなぜか嬉しそうな顔を少し引っ込めた。
「対城、対群、対儀式兵装群です」
言い方がまた怖い。
「今は封鎖中でございます。ええ、本当に。ちゃんと封鎖しておりますとも」
先に言うということは、何かやらかした前科でもあるのだろうか。
ヴェルミリアが静かに言う。
「現段階では不要です」
「承知しておりますってば」
バルザードは肩をすくめる。
「私だって空気は読みます。いま必要なのは“見せる境界線”であって、“戦う境界線”ではありません」
戦うな。
さらっと言うな。
クロウは表情を保ったまま、心の中だけで突っ込んだ。
だが同時に、こういう兵装がまだ“不要”で済んでいることに少しだけ救われる。
もしこれらが必要な局面になったら、物語としては盛り上がるかもしれないが、当事者としてはたまったものではない。
「では今、帝国に向けて使っているのは」
「ほぼ監視系のみです」
ヴェルミリアが答える。
「気流制御、視界誘導、微弱な地形演出、遺構の見え方調整。いずれも“こちらが見せたい印象”を積むためのものに過ぎません」
“~に過ぎません”の尺度がだいぶずれている気はする。
だが、実際にはその程度で十分なのだろう。
帝国はいま、禁域の境界線を見て勝手に慎重になっている。
そこへ大砲みたいな兵装を見せる必要はない。
むしろ見せた方が、相手の反応が極端になる。
「陛下」
バルザードが少しだけ真面目な声音で言った。
「ひとつだけ、実際にお目にかけたいものがございます」
来たな、と思う。
この流れで“ひとつだけ”と言われて、平和的な内容だった試しがたぶんない。
「内容による」
クロウが慎重に言うと、バルザードはすぐ答えた。
「兵器ではございません。境界線監視の補助機構です」
それならまだましだ。
「見せろ」
「ありがとうございます!」
バルザードは嬉々として工廠中央の術式盤へ手を置いた。
低い音が響く。
壁際の結晶が淡く赤くなり、中央の魂炉から一本の光が細く伸びる。
すると工房の中央に、境界線地帯の縮図ではなく、“帝国の監視視点”が投影された。
監視祠から見える雪原。
尾根。
崩れた塔。
霧。
空。
驚いたのは、その見え方だった。
こちらから見ている境界線と、帝国が見ている境界線が全然違う。
距離感が微妙にずれ、塔は見えそうで見えず、霧は晴れかけては流れ、音だけがやけに遠くから聞こえる。
しかも、どれも“嘘”には見えない。
自然の偶然が少しずつ重なっただけ、と言われれば納得してしまう程度のズレだ。
だが、それが毎日続けば、見る側は必ずどこかで引っかかる。
「…なるほど」
クロウは思わず呟いた。
これは効果があるだろう。
帝国側からすれば、何かがあるのは分かる。
だが“何がどうあるのか”はいつまでも固定しない。
「完全な幻惑ではございません」
バルザードが言う。
「監視結晶の波長と地形の反射、それに自然風をほんの少しだけ噛ませているだけです。ゆえに、近づけば近づくほど逆に“自然にしか見えない”」
いや、その“だけ”が普通じゃないんだが。
とはいえ、効果はよく分かる。
帝国が長期監視へ入ったからこそ、こういう“少しずつ印象をずらす”仕掛けは効いてくる。
「…使えるな」
クロウが言うと、バルザードの顔が明るくなる。
「でしょう!でしょうとも!」
「ただし」
釘は刺す。
「帝国を馬鹿にするな。気づかれないようにやれ」
ここは大事だ。
“何かおかしい”と思わせるのはいい。
だが“あからさまに弄ばれている”と帝国が理解したら、相手の反応はたぶん悪い方向へ跳ねる。
バルザードも今回はすぐに真顔になった。
「承知しております。あくまで、自分たちで考えて悩んでいただく程度にしましょう」
そう。
そのくらいがちょうどいい。
人は自分で悩んで出した結論の方を信じる。
こちらが押しつけるよりも、相手が“監視の末に慎重になる”方が、ずっと長く効く。
クロウはそこまで考えてから、少しだけ嫌な納得をした。
自分、だいぶこの陣営の考え方に引っ張られてきてないか。
昔なら単純に「かっこいい設定だな」で済んでいたものを、今は“どう使うと相手がどう動くか”で見始めている。
それは成長というより、追い詰められて適応しているだけかもしれない。
だが、この状況ではたぶんそれでいい。
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工廠を出た後、クロウはヴェルミリアに案内されて死霊書庫へ向かった。
名は物騒だが、実際に入ってみると印象は少し違った。
広い。
そして静かだ。
高い書架が何層にも重なり、その間を細い階段と回廊が走っている。
灯りは青白く、天井の高さが分からない。
空気はひんやりしているが、不気味というより張り詰めている感じだった。
死を扱う書庫というより、時間そのものを積み上げた倉だ。
声を出せば、古い記録ごと揺れてしまいそうな静けさがある。
ここにも人の姿はある。
だが工廠と違い、動く者たちの足音はほとんどしない。
黒衣の書庫官たちが、記録結晶や古文書を抱えて静かに行き来していた。
「ここが、千年のあいだ蓄積された記録の中核です」
ヴェルミリアが言う。
「外の諸国の動き、禁域周辺の監視、古代遺構の反応、そして黒翼庭内部の保全記録まで、すべてここに」
千年分。
その言葉に、クロウは改めて少し眩暈のようなものを覚えた。
玉座の間で聞いた時より、実際にこうして“量”として見せられると重さが違う。
書架の一本一本が、昨日まで自分の知らなかった時間そのものだ。
自分が眠っていたあいだに世界は動き、国が生まれ、人が死に、伝承が捻じれ、それでもこの城だけはそれを黙って積み上げ続けていた。
「すべて読むのは無理だな」
思わず本音が漏れる。
ヴェルミリアはそれを否定しなかった。
「当然でございます」
むしろ即答だった。
「ですから、陛下にお目通しいただくべきものだけを選別いたします」
ありがたい。
本当にありがたい。
ここで「陛下ならすべてを」とか言われたら逃げ出したくなるところだった。
「現時点で優先すべきは三系統かと」
ヴェルミリアが続ける。
「一つ。四大国家の成り立ちと現在の構造。二つ。禁域周辺の千年分の推移。三つ。陛下と黒翼庭に関する、外の伝承の変質です」
最後の項目に、クロウは少し引っかかった。
「伝承の変質?」
「はい」
ヴェルミリアは書架の一つへ手を伸ばし、そこから薄い結晶板を取り出した。
「神話はそのまま残りません。人の都合で削られ、足され、ねじれます。陛下が外で今、どのように語られているかは、実際の力以上に重要です」
確かにそうだ。
世界が自分をどう見ているかで、最初に返ってくる反応が変わる。
結晶板へ光が走る。
そこにいくつかの断片が浮かんだ。
――北の王が目を開く時、白き都より先に影が落ちる。
――黒翼の王は死を従え、見た者の名を奪う。
――玉座に眠る終王は、再び世界を選び直す。
どれもだいぶ好き放題に言われていた。
「…だいぶ盛られているな」
クロウが言うと、ヴェルミリアは静かに頷く。
「人は、分からぬものを誇張して理解した気になりますので」
その通りだ。
だが、最後の一節には少しだけ引っかかるものがあった。
再び世界を選び直す。
物騒な表現だ。
だが、どこか妙に“王っぽい仕事”でもある。
「これを、誰が」
「聖冠連邦側の聖典異本です」
また厄介そうなところから来たな、と思う。
連邦はやはり、神話や禁忌を重く見る国らしい。
「まだ断片です。ですが、北方禁域の変動が連邦へ本格的に届けば、こうした古い文言が再解釈され始めるでしょう」
つまり、こちらが何もしていなくても、向こうは勝手に“黒翼の終王とは何か”を語り始める。
面倒だ。
だが止めようもない。
「…連邦は早いか」
「帝国より早く剣を抜くことはないでしょう」
ヴェルミリアは答える。
「ですが、意味を重く受け取るのは間違いなく連邦です。帝国が境界を測るなら、連邦は教義に照らしてこちらを裁こうとする」
その違いはかなり大きい。
帝国は“相手の力と意志”を見る。
連邦は“相手が自分たちの正しさに反するかどうか”で動く。
後者の方が面倒な気がした。
「とはいえ」
ヴェルミリアが結晶板を戻しながら言う。
「今はまだ帝国が先です。ゆえに帝国をどう扱うかが、そのまま他国への最初の印象にもなります」
そこへまた戻るのか。
だが、確かにそうだ。
帝国は今、最初の監視国家として機能し始めている。
帝国の反応を、他国は参考にする。
なら帝国をどう見せるかは、実質的に他国への前振りにもなる。
また話が大きくなってきた。
クロウは表情を保ったまま、心の中だけでぼやく。
やはり、自分は穏便に済ませたいだけなのに、配下がそれを国家規模の盤面に落とし込んでくる。
しかも、その翻訳がことごとく理にかなっているのがずるい。
---
その日の夜、黒翼庭へ新たな報が入った。
玉座の間へ戻ったクロウの前で、セラフィナが静かに告げる。
「西方街道に、連邦の巡礼監察官が現れました」
帝国だけでは終わらない。
そう分かってはいたが、本当に動き始めると話が早い。
「目的は」
「表向きは北方の聖地巡察。ですが、実際には禁域に関する情報収集でしょう」
ヴェルミリアが補足する。
「まだ小さな探りです。本隊ではありません」
だが、こういう小さな探りこそ厄介でもある。
大軍なら意図が分かりやすい。
巡礼監察官のような顔をした使者の方が、何を持ち帰るかで後が変わる。
しかも連邦の場合、持ち帰るのは単なる事実ではない。
事実に名前をつけ、意味を与え、正しさの中へ置き直したものを持ち帰る。
それが厄介なのだ。
「帝国とは違う動き方をするな」
クロウが言うと、ヴェルミリアは頷いた。
「ええ。連邦はまず“意味”から入ります。力を測る前に、どう名づけるかを決めようとする」
帝国は“これはどこまで危険か”を見ている。
連邦は“これは何と呼ぶべき敵か”を探している。
面倒さの方向が違う。
セラフィナは静かに続けた。
「連邦側の古い記録にも、陛下に関する断片がございます。おそらく今回の変事で、それらを掘り返し始めるでしょう」
つまり、連邦は勝手にこちらを定義し始める。
それはかなりまずい。
帝国ならまだ“測ってから”になるが、連邦は“定義してから”動きかねない。
「…帝国を先に監視国家として残したのは、正解だったかもしれんな」
クロウがぽつりと言うと、ヴェルミリアは一礼した。
「はい。帝国が先にこちらへ慎重さを示していれば、連邦もまた拙速には断じにくくなります」
また綺麗に翻訳された。
だが、今回は本当にその通りだと思う。
帝国が雑に突っ込んで即座に壊滅でもしていたら、連邦は“神敵確定”として大義を作りやすかっただろう。
今のように、帝国が慎重に測り、こちらも段階的に返しているからこそ、連邦もまだ言葉を選ばざるを得ない。
「なら、西はまだ泳がせろ」
クロウは言った。
「帝国と同じだ。こちらからは動くな」
セラフィナが静かに頭を垂れる。
「承知いたしました。では、まずは何を言葉にするかを見てまいります」
そうしてまた、黒翼庭の影は西へ伸びていく。
帝国が見ている北。
連邦が意味を探り始めた西。
まだ動いていない南と東。
世界が、少しずつ、しかし確実にこちらへ顔を向け始めていた。
クロウは玉座の上からその報を受けながら、改めて思う。
もうこれは、本当に一国の問題ではない。
黒翼庭が目覚めたという事実は、こちらが望む望まないに関わらず、世界にとって“考えなければならないもの”になり始めている。
重い。
だが、その重さはもう昨日までのような“押しつぶされるだけの重さ”ではなかった。
まだ怖い。
まだ面倒だ。
逃げたい気持ちも普通にある。
それでも少しずつ、自分がどこに座っていて、何を求められているのかくらいは見え始めている。
この城の中心にいるということ。
この四人が、自分の言葉を線として受け取るということ。
そして今や、その線ひとつが帝国や連邦の動きにまで影響を与え始めているということ。
「…続けろ」
短くそう言う。
四天王が一斉に頭を垂れた。
「「「「はっ」」」」
その返答は、相変わらず重い。
けれど今はもう、その重さを受けた上で次を考えるしかなかった。
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