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配下からの信頼が重すぎる  作者: きなこもち
第1章 『黒翼の終王、目覚める』

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「白い都の下、静かな選別」

 


 黒翼庭の境界線は、目覚めた城でありながら、まだ完全には目覚めていなかった。


 それは弱さではない。


 むしろ意図したものだった。


 北方禁域の奥、黒鴉城ネヴァーグレイヴを中心に広がる外周地帯には、古い回廊跡、崩れた祭壇、雪に埋もれた石碑、半ば地中へ沈んだ見張り塔のような構造物がいくつもある。

 いずれも人の手で最近作られたものではない。

 神話時代の残滓とでも呼ぶべきものだ。


 そこへ今、黒翼庭は“見せるための静けさ”を重ね始めていた。


 風の流れをわずかに整える。


 霧の濃さを場所ごとに変える。


 境界線へ差し込む光を薄く歪める。


 崩れた石碑の前にだけ雪を積もらせず、逆に見えなくしたい通路には夜のうちに白を厚く乗せる。


 やっていることは地味だ。


 地味だが、それを積み重ねられると、入ってきた側は“何かがある”と感じながらも、“何があるのか”を掴めなくなる。


 ある場所は妙にはっきり見える。

 ある場所は、見えそうで見えない。

 昨日まではただの雪原だったはずなのに、今日になるとそこへ意味が滲み出してくる。


 見ている者の頭の中で、勝手に神話が補完されていく。


 その調整の中心にいるのは、当然ヴェルミリアとバルザードだった。


 玉座の間から一段下がった監視室では、境界線の立体図が何重にも重なって浮かんでいた。

 谷、尾根、監視祠、帝国の監視点、それに対してこちらが見せる遺構や沈黙区画までが、層ごとに整理されている。


「帝国が増やした監視祠は三つです」


 ヴェルミリアが言う。


「本格的な前進ではございません。ですが、長期的な監視へ切り替える意志は明白です」


「よろしいことではありませんか」


 バルザードは片眼鏡を押し上げながら、楽しそうに図面を切り替える。


「見せる範囲を限定できる。相手が定点監視に寄るなら、こちらは“見せたい異常”を規則的に積めます」


 言っていることは分かる。


 分かるが、その言い方だとまるで展示会だ。


 クロウは監視室の上段からそれを見下ろしながら、少しだけ複雑な気分になった。


 昨日までは、“いきなり戦争にならないように何とかする”で頭がいっぱいだった。

 だが今は、相手の出方を見た上で、“どう見せていくか”をこちらが選ぶ段階に入りつつある。


 規模が大きい。


 そして手触りが妙に政治的だ。


「具体的には」


 クロウが言うと、ヴェルミリアがすぐに返す。


「帝国には三つだけを見せ続けます」


 指が一本立つ。


「一つ。こちらは常に見ていること」


 もう一本。


「二つ。今はまだ境界線以上へ出る気がないこと」


 最後の一本。


「三つ。境界線を踏み越えれば次はないこと」


 簡潔で、よくまとまっている。


 クロウはそれを頭の中で反芻した。


 見ている。

 今はまだ出ない。

 だが線を越えれば終わり。


 確かに、いま帝国へ与える印象としてはちょうどいい。


「…悪くない」


 口にすると、ヴェルミリアはわずかに頭を下げた。


「恐れ入ります」


 バルザードはその言葉を聞いた瞬間、さらに図面を展開しそうな顔になったので、クロウは先に釘を刺す。


「ただし、やりすぎるなよ」


「もちろんですとも!」


 元気よく答える。


 信用しきれない。


 だが今のところ、ヴェルミリアの監督があるなら大丈夫だろう。たぶん。


「工廠側で弄るのは境界線の気流制御と視界誘導だけに留めます!監視阻害は薄く、威圧は濃く、しかし実害はなし!いやあ、絶妙な線引きというのは技師魂が燃えますね!」


「燃やすな」


 クロウは即座に言った。


「静かにだ」


「はっ!」


 返事だけはいい。


 返事だけは。はぁ。


 ---




 帝国北方方面軍の対応は早かった。


 禁域外周に点在する監視祠には、追加の記録官と祈祷師が送り込まれ、監視結晶の数も増やされた。

 簡易な柵だった場所には雪除けの幕が張られ、仮設の監視台が建つ。

 兵の数自体は多くない。

 だが明らかに“ここで長く見るつもり”の布陣だった。


 ルークスはその様子を見ながら、なんとも言えない気分になっていた。


 自分たちが昨夜持ち帰ったものは、帝国をすぐに動かす火ではなかった。

 だが、消えるでもなかった。


 静かに、重く、長く燻る火だ。


「隊長」


 副官が雪を払いながら近づいてくる。


「北祠と西祠、両方とも増員完了です」


「早いな」


「中央が本気ですから」


 それはそうだ。


 ルークスは監視祠の外で足を止め、谷の向こうを見た。


 昨夜、羽が落ちたあたりは今はただ白い。

 何もない。

 何もないのに、目を逸らしたくなる感じだけは残っている。


 人が一度“あそこに意味がある”と思ってしまうと、ただの雪原には戻らない。

 見えるものが変わらなくても、見方そのものが変わってしまう。


「…見てると思うか」


 ぽつりと出た言葉に、副官は少し困った顔をした。


「さあ…ですが、気づかれていないとは思えません」


「だろうな」


 ルークスは苦く笑う。


 こちらが祠を増やしたことも、監視を厚くしたことも、たぶん全部気づかれている。

 気づかれた上で、今のところ何も返ってきていない。


 それが逆に落ち着かない。


 叩かれた方がまだ分かりやすい。

 黙って見られる方が、人は勝手に想像を膨らませる。


「ディグラス殿は、今日の夕刻までには北縁へ着くそうです」


「聞いてる」


 ルークスは短く答える。


 帝国最強の竜騎士団長が来る。

 それだけで兵の空気が変わっていた。

 安心する者もいる。

 逆に、“そこまでしなければならないのか”と不安を強める者もいる。


 どちらにせよ、昨夜までとは違う。


「隊長は、どう思いますか」


「何がだ」


「禁域の向こうです」


 副官は声を落とした。


「本当に、“王”みたいなものがいると思いますか」


 ルークスは答えずにしばらく雪原を見た。


 それから、率直に言う。


「分からん」


 それが本音だった。


「ただ、主のいない城ではないと思う」


 昨夜の羽。

 谷で感じた視線。

 祠に届いた“警告”という言葉。

 そして戻ってきてからの空気の重さ。


「何かがいる。しかも、俺たちのことを見て考える程度には、頭もある」


 副官は小さく唾を飲む。


「それって、かなり嫌ですね」


「ああ」


 ルークスは短く笑った。


「かなり嫌なことだ」


 そして心のどこかで思う。


 この“嫌さ”を共有できること自体が、もう昨夜までの帝国とは違うのだと。

 禁域はただ恐れるだけの怪談ではなく、判断を要する相手になった。

 それが、兵の会話の底へまで染み始めていた。


 ---



 帝都の地下には、古い排水路が張り巡らされている。


 帝国が大きくなる前からある石造りの水路だ。

 いまは多くが補修され、主な流れは新しい術式管へ移っている。

 だが、使われなくなった古い区画は残ったままだった。


 その暗い水路の一角に、影が二つあった。


 人の形をしている。

 だが光を受けても輪郭が曖昧で、直視しようとすると石壁の黒ずみに混ざるような気配がある。

 影鴉衆だった。


「上では軍務省の出入りが増えています」


 一人が囁く。


「第一皇子の私兵筋も、独自に動き始めました」


「早いですね」


 もう一人が返す。


「皇子本人が前へ出られぬなら、その周辺が先に熱を持つのは自然かと」


 水面がかすかに揺れる。


 水路のさらに奥、暗闇の中には影鴉が何羽も留まっていた。

 梁、割れ目、石の継ぎ目。

 帝都の下ですら、黒翼庭の目はすでに静かに根を張っている。


「第一皇子レオンハルト。彼のことはどう扱いますか」


 問いが落ちる。


「今は何もしません」


 返ってきた声は、影鴉衆のものではなかった。


 暗闇の奥からセラフィナが姿を現す。

 いつの間にそこにいたのか分からない。

 白銀の髪と白い翼だけが、この地下では逆に浮いて見えそうなものだが、不思議と場へ溶けていた。


 影鴉衆が即座に膝をつく。


「まだ、帝国は選んでいる最中です」


 セラフィナは穏やかに言う。


「ならばこちらも、余計な手は足しません。熱を持つ者が誰か、誇りで動く者が誰か、利で動く者が誰か。それを見切るまではまだ」


「では監視を優先、と」


「ええ」


 セラフィナは水路の天井を見上げる。


 その上には帝都がある。

 兵が歩き、役人が走り、皇子が考え、軍務が回る都だ。


「帝国は今、まだ一枚岩ではありません。恐れる者、怒る者、測ろうとする者、そして…陛下の御存在を、自らの野心に結びつけようとする者もいずれ出るでしょう」


 影鴉衆の一人が顔を上げる。


「その者は」


「いずれ、斬ります」


 柔らかい声だった。


 だが、その穏やかさが逆に冷たい。


「陛下の沈黙を、自らの都合で解釈する者は不要です」


 そこに一切の迷いはなかった。


 セラフィナにとって、殺すかどうかは感情ではない。

 基準だ。

 陛下の意図を汚すか、汚さないか。

 その一点だけで、彼女の中では判断が済む。


「ですが、まだその時ではありません」


 彼女は静かに続ける。


「帝国には、もう少し動いていただきましょう。誰が前へ出るのか。誰が後ろから押すのか。誰が見ているふりをして刃を研ぐのか」


 影鴉衆たちは深く頭を垂れる。


「追え。ただし、見つかるな」


「はっ」


 帝都の下、光の届かない古い水路で、黒翼庭の影はさらに静かに広がっていった。


 ---




 黒鴉城ネヴァーグレイヴの境界線では、変化がごくゆっくりと積み上がっていた。


 帝国の監視祠から見える位置に、崩れた塔が一つだけ半ば雪から姿を現す。

 昨日までは見えなかったものだ。

 逆に、遠く尾根の上にあったはずの黒い祭壇跡は、今朝から霧に隠れて見えない。


 風は一定方向にしか流れないようでいて、監視結晶の前だけ妙に乱れる。


 谷筋は静かだが、耳を澄ますとごく低い鐘のような音が時折混ざる。


 どれも些細な変化だ。


 だが、定点で見続ければ必ず気になる。


 黒翼庭は、帝国に対して“監視を許している”ようでいて、実際には“監視するたび分からなくなる境界線”を作り始めていた。


 その調整結果を、クロウは再び立体図で見せられていた。


「…本当にこうなるのか」


 思わず口に出る。


 崩れた塔の見え方ひとつで、境界線の印象がまるで変わる。

 古い遺構が目に入ると、人はそこに意味を見出そうとする。

 逆に、本当に見られたくない場所が霧と雪で自然に隠れていると、その“自然さ”のせいで逆に疑いを持ちにくくなる。


 ヴェルミリアが答える。


「はい。人は“見えたもの”より、“見えそうで見えないもの”に意識を奪われますので」


 妙に納得できる話だった。


 実際、自分もこの立体図を見ていて、霧で隠れた祭壇跡の方が気になっている。


「帝国側は、遺構の位置変化に気づくかと」


 バルザードが指先を振る。


「もちろん、本当に移動させているわけではなく、視界誘導の結果そう見えるだけです!近づけば違うと分かる程度には薄く、しかし遠目には違和感として残るようにしてあります!」


「面倒なことを」


 クロウが言うと、バルザードはむしろ嬉しそうだった。


「面倒な程度がちょうどよいのですよ!“確信は持てないが、気になる”。これが監視者には一番効きます!」


 それはもう、ほとんど嫌がらせの設計思想なのではないか。


 だが、帝国が見続けると決めた以上、こちらが見せ方を選ぶのは理にかなっている。


 クロウは少しだけ黙り、それから言った。


「一つだけ守れ」


 全員の視線が集まる。


「“いずれ分かる”と思わせろ」


 口にしながら、自分でも何を言っているのか少し考える。


 だが、感覚としては正しかった。


「最初から全部隠すと、向こうは無理に挑む。だが、“もう少し見れば分かるかもしれない”と思わせておけば、勝手に止まる」


 言い終えてから、監視室が数秒だけ静まり返った。


 また何かまずいことを言ったか、とクロウは一瞬身構える。


 だが次に反応したのはヴェルミリアだった。


「…お見事です」


 やめてほしい。


 その感心した声は本当に心臓に悪い。


「確かに、それなら帝国は自ら監視を継続し、こちらから深く踏み込ませずに済みます」


 バルザードも目を輝かせる。


「素晴らしい!完全拒絶ではなく、永遠の手前に置き続けるわけですね!」


 言い方が怖い。


 セラフィナも静かに微笑んだ。


「陛下は、やはり人の扱い方をよくご存じです」


 そこまで大それた話ではない。


 ただ普通に、全部見えないと人は無理をするが、“もう少しで分かる”と思うと勝手に様子を見る、というだけだ。


 …いや、王の立場で言うと確かにそれっぽく聞こえるのかもしれない。


 クロウは表情を保ったまま、心の中だけで小さくため息をついた。


 こうしてまた、自分の何気ない一言が黒翼庭の方針へ変わる。


 重い。


 だが同時に、この四人がそれを形にできてしまうのも事実だ。


「始めろ」


 短くそう言う。


「帝国には、監視を続けさせる」


 四天王が一斉に頭を垂れた。


「「「「御意」」」」


 その返事と同時に、立体図の境界線がわずかに組み替わる。


 まだ小さい。

 まだ静かだ。

 だが、確実に盤面は変わり始めていた。


 ---




 その日の夕刻、帝都の一角。


 レオンハルトの私室には、北方からの追加報告が運び込まれていた。


 封を切り、目を通し、皇子は無言で数行を読み返す。


 竜騎士団長ディグラス、禁域境界線にて黒騎士と接触。

 剣の交錯なし。

 明確な境界提示あり。

 敵対意志は限定的。ただし、段階的警告とみられる応答を再度確認。


 報告を机へ置く。


「…黒騎士、か」


 口にすると、嫌な実在感があった。


 ただの伝承だったはずの相手が、今は具体的な名を持って帝国の報告書に載る。


 《屍山の黒騎士》ガルド・ヴァルカン。


 皇子はその名を心の中で繰り返した。


 禁域の王ではない。

 だが、王の代わりに立つだけの格を持つ者。


 つまり、奥にはやはり“それ以上”がいる。


 その事実に、胸の奥がざわつく。


 恐れではない。

 少なくとも、それだけではない。


 自分の知らぬところで、北の奥に“帝国と並べて考えるべき何か”が立ち上がっている。

 そのことが、どうしようもなく気に食わなかった。


 同時に、目を逸らせない。


「殿下」


 扉の向こうから私兵長の声がした。


「北方筋より追加の客人が」


「誰だ」


「聖冠連邦の巡礼監察官だと名乗っております。北方禁域の変事について、帝国側の認識を伺いたいと」


 レオンハルトの目が細くなる。


 早い。


 思ったよりずっと早い。


 帝国がまだ盤面を読んでいる最中に、もう連邦が嗅ぎつけてきた。


 これで北の問題は、帝国だけのものではなくなる。


「通すな」


 皇子は即答した。


「軍務省へ回せ」


「はっ」


 足音が去る。


 レオンハルトは窓の外を見た。

 帝都の空はもう暗い。

 だが北の方角だけは、なぜか少しだけ色が違って見えた。


 そこに本当に王がいるのか。

 まだ断定はできない。


 だが、もし本当にいるのなら。


 帝国は、そう遠くないうちに、その王を神話の中ではなく、現実の相手として迎えることになる。


 その時、自分はただ見ているだけでいられるのか。


 レオンハルトは机の上の報告書へ再び手を伸ばした。


 火種は、もう帝都にも落ち始めている。



最後までお読みいただき、ありがとうございました!!

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