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配下からの信頼が重すぎる  作者: きなこもち
第1章 『黒翼の終王、目覚める』

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「竜騎士団長ディグラス」



 帝都ザルカディアの北門は、夜明けの色をほとんど映さなかった。


 空は確かに朝へ向かっている。

 だが北方の冬は、光を素直に明るくしない。

 薄青い空気と低い雲が、城壁の上へ重たく張りついている。


 そんな空の下、帝国北門前には二騎の飛竜と十数名の随員が整列していた。


 大部隊ではない。


 むしろ少ないと言っていい。


 だが、その少なさ自体が今回の任務の性質を表していた。

 軍を動かすのではなく、測りに行く。

 様子を窺うのでもなく、相手の“境界線”の強さと意味を知るために行く。


 そのための人選だった。


 飛竜の前に立つ男が、黒い籠手を締め直す。


 ディグラス。


 帝国最強の竜騎士団長にして、軍の中でも“不死身の男”として知られる男だった。


 飾り気のない軍装。

 分厚い体躯。

 無駄のない動き。


 立っているだけで兵が背筋を伸ばすのは、階級のせいだけではない。

 戦場で積み上げてきたものが、そのまま人の形になったような重みがあった。


 その隣で、エルマが飛竜の装具を確認している。


 黒いローブの裾を押さえ、片手で術式盤を開きながら、彼女はまるで遠足の支度でもしているかのような落ち着きだった。

 だがその瞳だけは冷え切っていて、もう頭の中では北方禁域に関する仮説と監視手順が何通りも組み上がっているのだろう。


「軽装ですね、団長」


 エルマが言った。


 ディグラスは自分の肩を見下ろす。

 確かに、普段の大規模戦用装備と比べれば軽い。

 重装甲も大盾もない。あるのは最低限の甲と、腰の剣、それに飛竜用の槍だけだ。


「戦争をしに行くわけじゃない」


 短い返答だった。


「見に行くんだろう」


「その見に行く相手が、普通の敵ならよろしいのですが」


「普通じゃないから俺が行く」


 それで会話は途切れた。


 噛み合っていないようで、互いの役割はきちんと分かっている。

 エルマは“未知を定義する目”として、ディグラスは“定義しきれないものに対しても立っていられる武”としてここに立っている。


 北門の階上から、重い足音が近づいてきた。


 レオンハルトだった。


 随員を連れず、一人だけで石段を下りてくる。

 軍服姿のまま、風に翻る外套も整っていた。

 皇子としての華やかさと、前線へ出たがる若い獣の気配が同居している。


「見送りに来たのか」


 ディグラスが言う。


「止められた身としては、せめて顔くらい出すべきでしょう」


 レオンハルトは皮肉でもなく答えた。


 皇帝に同行を却下された不満はある。

 だが、それをここで子供のように撒き散らす気はないらしい。

 その点はディグラスも評価していた。


「無理に出られても困る」


「分かっている」


 皇子は飛竜を見上げ、それからディグラスへ視線を戻す。


「だが、一つだけ確かめたい。あちらが“こちらを測っている”のなら、帝国もまた測られるままで終わるべきではない」


「当然だ」


「あなたなら、どうする」


 その問いに、ディグラスは少しだけ考えた。


 それから、いつも通り率直に答える。


「まずは相手の出方を見る」


「それだけか」


「まずは、な」


 ディグラスの目が北を向く。


「相手が示した境界線を、どう扱うか。そこを間違えると話にならん。踏むべきか、踏まぬべきか、その判断は近くへ行かなきゃ分からん」


 レオンハルトは黙って聞いている。


「ただし」


 ディグラスは続けた。


「本当に“境界線を引く王”の類なら、こちらが何を見せるかも見られる。だから妙な虚勢は張らん。びびっても進む。気に食わなくても、まずは飲み込む」


 皇子はそこで初めて口元を少しだけ緩めた。


「気に食わない相手、という前提は崩さないんですね」


「当たり前だ。帝国の北を見下ろす何かがいるなら、気に入るわけがない」


 それは偽らざる本音だった。


 帝国の武人として、知らぬまま試されることは不愉快だ。

 だがその不愉快さと、相手を軽んじてはいけないという判断は矛盾しない。


 エルマがそこで口を挟む。


「私は別に不愉快ではありません」


「お前はそうだろうよ」


「未知は不愉快より先に興味が立ちますので」


 この女は本当にそういう人間だ、とディグラスは思う。

 戦場で横にいると不安になる類の知性だが、今回に限っては必要なのも確かだった。


 レオンハルトは二人を見比べ、それから静かに言う。


「持ち帰ってきてください」


 ディグラスが眉を上げる。


「何を」


「必要な情報を」


 皇子の声は、先ほどまでより少しだけ低かった。


「ただ、あれが何なのか。何を考えているのか。帝国の敵になるのか、それとも別の何かなのか。その判断に足るものを」


 それは、皇子らしい頼みだった。


 勇ましく討てとは言わない。

 だが目を逸らすなとも言う。


 ディグラスは短く頷く。


「持ち帰れるものは持ち帰る」


「お願いします」


 それだけで十分だった。


 風が少し強くなる。

 飛竜が首を振り、鼻から白い息を吐く。


「行くぞ、エルマ」


「はい」


 二人はそれぞれの飛竜へ乗り込んだ。

 随員たちも続くが、あくまで後方支援と記録が役目で、前へ出るのはこの二人だ。


 ディグラスが手綱を引く。


 飛竜が翼を広げた。


 大きい。

 鋼のような鱗を持ち、骨太の翼が朝の光を鈍く返す。

 生き物でありながら、軍の武器でもあることが一目で分かった。


「北方禁域へ」


 ディグラスが言う。


「帝国の目として」


 次の瞬間、飛竜たちは同時に地を蹴った。


 雪煙が舞い、重い翼が空気を叩く。

 随員たちの外套があおられ、門前の旗がばさりと鳴る。


 レオンハルトはその姿が空へ溶けるまで、黙って見送った。


 帝国の知と武が北へ向かう。


 なら、自分はここで待つだけか。


 そう思った瞬間、自分の拳が無意識に握られていることに気づく。


 悔しさはある。


 だが同時に、分かってもいる。


 これはまだ、皇子である自分が前へ出る場面ではない。

 ならばせめて、彼らが持ち帰るものを受け取る側でなければならない。


 レオンハルトは長く息を吐き、踵を返した。


 帝都にもまた、備えるべき次がある。


---


 その頃、黒翼庭ではガルドが兵站回廊の一角に立っていた。


 高い天井。

 黒い石床。

 壁に沿って並ぶ武具棚。

 ずらりと吊るされた槍と剣。


 その奥には黒翼騎士たちが整列している。


 誰も声を出さない。


 だが静寂が重苦しいわけではない。

 必要なものだけが置かれ、必要な者だけが立っている。

 そういう空間だった。


 ガルドは部下たちを見渡す。


 黒い甲冑。

 翼を模した肩当て。

 面頬で隠れた顔。

 数は多くない。


 常備戦力の中でも、さらに選んだ少数だ。


「帝国側に動きあり」


 低い声が回廊へ落ちる。


「次に来るのは、雑兵ではない」


 部下たちの気配がわずかに変わる。

 緊張ではない。集中だ。


「竜騎士団長ディグラス」


 その名を告げると、二、三人の騎士がほんのわずかに顔を上げた。

 知らぬ名ではないのだろう。帝国最強の武。こちらにもその程度の情報は共有されている。


「強い者だ。少なくとも、昨夜の斥候とは意味が違う」


 ガルドは一歩前へ出る。


「だからこそ、陛下は“次はもう少しはっきり見せる必要がある”と仰った」


 その一言に、回廊の空気がさらに締まった。


 陛下の言葉。


 この場にいる者にとって、それは単なる命令ではない。

 線であり、許容であり、誉れだった。


「剣を抜くな」


 だが、続く言葉は予想外だったのかもしれない。


「…抜くな、とは?」


 誰かがごく小さく漏らす。


 ガルドはその声を咎めないまま続ける。


「少なくとも、こちらからは剣を抜くな」


 その一拍が重い。


「示すのは力ではない。境界線だ」


 部下たちは沈黙したまま、その意味を噛み砕いているようだった。


「帝国は、次に強い札を切ってくる。ならばこちらも、“この線の向こうに立つのは誰か”を見せる必要がある」


 剣を交えるためではない。

 交えずに、それでも届かないものがあると伝えるため。


 ガルド自身、こういう任は嫌いではなかった。

 むしろ好きだった。


 武を使う前に相手の胆を試すのは、正面から斬り結ぶのとは別の意味で力量が要る。


「俺が出る」


 短く告げる。


 部下たちは一斉に拳を胸へ当てた。

 了解の動作だ。


「随行は二名のみ。残りは北側監視線へ散れ。力を見せるな。だが目的を見失うな」


「はっ」


 今度は揃った低い声が返る。


 ガルドはそれを受け、視線を横へ滑らせた。


 回廊の入口には、いつの間にかセラフィナが立っていた。

 白と黒の翼。

 静かな微笑み。


 気配の薄さは相変わらずだが、ここにいるのは偶然ではない。


「聞いていたか」


「ええ」


 セラフィナは穏やかに答える。


「実にガルドらしいお考えです」


「お前には言われたくない」


「そうでしょうか」


 セラフィナは少しだけ首を傾げる。


「剣を抜かずに“この先へ来れば死ぬ”と分からせる。私は美しいと思いますが」


 物騒な感想だ。


 だが否定もしきれない。


 ガルドは短く息を吐く。


「お前は」


「影鴉を先行させます。帝国側の進路、間合い、呼吸、すべて拾っておきます」


 頼んでいない。


 だが必要なのも確かだ。


「勝手に動くな」


「勝手には」


 セラフィナは微笑みを崩さない。


「陛下の御意の内側でのみ」


 それが一番危ないのだ、とガルドは思ったが口には出さない。

 出しても意味がないと知っているからだ。


「…境界線は越えるな」


「ええ、もちろん」


 やはり柔らかい声だった。


 だがガルドは、その“もちろん”が自分の思う意味と同じであることを祈るしかなかった。


---


 一方、クロウは黒翼庭の上層庭園にいた。


 庭園といっても、花が咲き乱れるような場所ではない。

 黒い石畳の回廊の先に、吹き抜けと連なる半屋外空間があり、細い水路が静かに光を返している。

 白い葉をつけた低木が並び、天井の高い空間を渡る風がゆるやかだった。


 外の寒さをそのまま入れているわけではない。

 だが、閉じきった室内とも違う。


 呼吸が少し楽になる場所だった。


 ヴェルミリアの案内で歩いているうちに、いつの間にかここへ来ていたらしい。


「ここは?」


「上層静庭でございます」


 ヴェルミリアが答える。


「陛下が一人で思考を整えられるための場所として設けられた区画です」


 昔の自分は、そういう設定が好きだったのだろう。


 格好いいから分かる。

 分かるのだが、いざ現実になると少しくすぐったい。


「静かだな」


「はい。外の気配を少しだけ取り入れつつ、他の区画からは隔てておりますので」


 確かに静かだった。

 遠くで水が流れる音だけがする。

 人の気配も薄い。


 だからだろうか。

 クロウは少しだけ肩の力を抜けた気がした。


 その時、足音が近づく。


 重いが、乱れていない。

 一歩ごとの間隔が一定で、迷いなくこちらへ向かってくる。


 ガルドだった。


 黒い甲冑の巨体は、この静庭でも存在感を消せない。

 だが不思議と場を壊してもいなかった。

 大岩が庭の端へ新しく置かれたような、そんな自然さがある。


 クロウは足を止める。


「どうした」


 ガルドは数歩手前で片膝をついた。


「帝国側の次手が固まりつつあります」


「ディグラスか」


「はい」


 やはり来たか。


 クロウは内心でひとつ息をつく。

 予想通りだが、予想通りだから楽という話でもない。


「竜騎士団長ディグラス、宮廷魔導官エルマ。少数随員を伴って北へ向かう模様です」


 ヴェルミリアが横で静かに補足した。


「監視を増やしつつ、次は“理解できる強者”を寄越してくる。帝国としては妥当な選択でしょう」


 確かに妥当だ。


 こちらが羽と空気で線を示したなら、向こうは人を出してその線の意味を測る。

 自然な流れだ。


 問題は、その時こちらが何を返すか。


「ガルド」


「はっ」


「お前はどうしたい」


 問いかけてから、クロウは少しだけ驚く。


 昨日の自分なら、たぶんもっと曖昧に命じていた。

 だが今は、まず現場を任せる相手の考えを聞く方がいいと自然に思えた。


 ガルドは頭を垂れたまま、迷わず答える。


「前線へ出ます」


 短い。


 だが十分だった。


「ただし、剣を抜きません」


 クロウは目を細める。


「剣をか」


「はい」


 ガルドは続ける。


「相手が強き者なら、まず見るべきは剣ではなく、立ち方です。こちらが何者であるか。何を守るためにここへ立つか。それが伝わればよい」


 その答えに、クロウは少しだけ感心した。


 なるほど。


 ただ強いだけではなく、見せ方を知っている。

 そういう武人なのだろう。


 ヴェルミリアも静かに頷く。


「私も賛成です。帝国側が今回欲しているのは、こちらの“意思ある境界”の内実でしょう。ならば次は、その境界線を守る者を見せるのが最も自然かと」


 セラフィナやバルザードなら、また別の方向へ話を転がしたかもしれない。

 だがガルドとヴェルミリアの意見がここで噛み合うなら、かなり筋はいい。


 クロウは少しだけ空を見上げた。


 上層静庭の天井は完全には閉じていない。

 高い位置の格子越しに、薄い外光が落ちている。


 帝国は次に、知と武を寄越す。

 こちらは次に、境界を守る武を立たせる。


 まだ戦争ではない。

 だが、もう単なる監視でもない。


 たぶんここから、世界は少しずつ自分を“現実の相手”として認識し始める。


 怖い。


 だが、もう逃げても始まらない。


「行け」


 クロウは静かに言った。


「見せろ。ただし、こちらから剣は抜くな」


 ガルドの肩がわずかに沈む。礼の動きだった。


「御意」


「そして」


 クロウは少しだけ間を置く。


「相手が一線を守るなら、帰らせろ」


 その一言に、ヴェルミリアの瞳が細まる。

 セラフィナならきっと別の解釈をしただろうが、ここにいるのはガルドだ。


 黒騎士はただ真っ直ぐに応じた。


「陛下の御言葉、しかと」


 やはり仰々しい。


 けれど、その仰々しさを今は受けるしかないのだった。


最後までお読みいただき、ありがとうございました!!

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