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配下からの信頼が重すぎる  作者: きなこもち
第1章 『黒翼の終王、目覚める』

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「竜嶺帝国ザルカディア」



 竜嶺帝国ザルカディアの皇城は、北方の寒さを押し返すために造られた城だった。


 高く、厚く、重い。


 白亜でもなければ、金で飾られてもいない。

 黒灰色の石を積み上げた巨大な塊だ。

 美しさよりも、まず実用が先に立つ。


 城というより、山を削って築いた砦に近い。


 その最奥、軍議の間には、朝だというのに冷たい緊張が満ちていた。


 長い机。

 左右に控える将官たち。

 壁に掲げられた帝国旗。

 北方地図の広がる術式盤。


 そして、その奥に据えられた高座の椅子には、皇帝ヴァルゼオン三世が座している。


 年は壮年。

 黒髪にはまだ白いものが少ない。

 体格は大きく、肩幅もある。


 豪奢な装いではある。

 だが剣を腰から外していないあたりが、この男の性質をよく表していた。

 座っているだけで場が締まる。


 皇帝というより、帝国そのものが人の形を取ったような存在感だった。


 高座の右には第一皇子レオンハルト。

 左には宮廷魔導官エルマ。


 さらに下座には軍務卿、北方方面軍から上がってきた報告を整理した官僚、そして帝国最強の名で知られる竜騎士団長ディグラスの姿がある。


 誰も無駄口を叩かない。


 そういう会議だった。


「読め」


 ヴァルゼオン三世の一言で、軍務卿が手元の報告書を開く。


「北方方面軍より第一報。禁域中心部における高密度反応を確認。境界線監視において、意思ある干渉の可能性高し。斥候隊は谷内部で環境静穏化、飛竜の異常警戒、ならびに二度の警告的徴候を確認――」


 会議の空気は静かなままだった。


 だが、誰もこれを笑わない。


 禁域の話だからではない。

 北方方面軍の名で上がった報告だからだ。


 前線が形にして送ってきた以上、馬鹿げた怪談として処理することはできない。


 軍務卿は続ける。


「斥候隊長ルークスは“こちらが見られている”との所感を付記。宮廷魔導官派遣員エルマ・セレスは、敵対存在は少なくとも境界線段階での精密把握能力、ならびに段階的反応能力を有すると分析しています」


 そこでヴァルゼオン三世の視線が左へ動く。


「エルマ」


「はい」


「その分析に変わりはないか」


 エルマは壁際から一歩前へ出た。

 黒いローブの裾が床を擦る。


 年若い外見とは裏腹に、その所作には余計な気負いがまるでない。


「ございません」


 はっきりとした返答だった。


「第一報の範囲で断定できることは限られます。ですが、少なくとも“禁域で何か大きな反応が起きた”程度の話ではありません。相手は、こちらの接近を把握し、把握した上で、即時排除ではない別の反応を返しました」


「警告、か」


 レオンハルトが言う。


 エルマはすぐには頷かなかった。


「その可能性が高い、という段階です」


「歯切れが悪いな」


 それは批判というより確認に近い口調だった。


 エルマは淡々と答える。


「“警告”と断定するには、相手の意図を読み切れておりません。威嚇かもしれない。品定めかもしれない。あるいは単に、こちらへ持ち帰らせる印象を整えただけかもしれません」


 その最後の一言に、何人かの将官が眉を寄せた。


 印象を整える。


 戦場で使うには妙な表現だ。

 だがヴァルゼオン三世は、そこへすぐ反応した。


「つまり、情報をを選んでいる、と」


「はい」


 エルマは頷く。


「羽、環境変化、不可視の圧力。いずれも存在感は伝わりますが、明確な正体は伝わらない。こちらが“何かがいる”と理解するのに十分でありながら、“何がいるか”までは掴めない形です」


 理にかなっている。


 それが余計に気味が悪い。


 軍務卿が口を挟んだ。


「だが、現時点で直接攻撃がないのであれば、まだ敵対確定ではないのでは?」


 エルマはそちらへ顔を向ける。


「逆です」


 短い否定だった。


「直接攻撃がないからこそ、意図がある」


 会議の空気が少しだけ重くなる。


「ただ殺すつもりなら、境界線に踏み込んだ五騎など、警告などせずとも消せた可能性が高いです。そうしなかった以上、相手は“この段階ではそうしない理由”を持っています」


「理由とは何だ」


 ヴァルゼオン三世が問う。


「まだ測る価値がある、か」


「あるいは」


「まだ、その時ではない、かです」


 静かに落ちた言葉だった。

 だが、その静かさがかえって重い。


 レオンハルトが腕を組んだまま言う。


「ずいぶんと王のような物言いだな」


「相手がそういう存在である可能性は否定できません」


 エルマは動揺しない。


 そこで初めて、下座にいたディグラスが口を開いた。


 声は低く、太い。


「俺は現場を見ていない」


 帝国最強の竜騎士団長。

 その男は、椅子に深く腰を下ろしたまま両腕を組んでいた。


 年は四十前後。

 日に焼けた肌。

 短く刈った濃い髪。

 装飾の少ない軍装の上からでも分かるほど、体は厚い。


 だが脳筋めいた荒さはなく、眼差しにはむしろ獣じみた静かな警戒があった。


「己の目で見ていない以上、断言はできん」


 ディグラスは続ける。


「だが、飛竜が怯え、斥候が崩れず、それでも戻ってきて同じことを言うなら、少なくとも何かはあったのだろう」


 シンプルだが重い言葉だった。


 現場を知らない者の推論より、同じ戦場に立つ者の感覚に近い。


「問題は二つだ」


 ディグラスは指を二本立てる。


「一つ。相手が本当に我々を“監視して”のか」


「報告ではその可能性が高い」


 軍務卿が言う。


「もう一つ」


 ディグラスは地図を見た。


「その“監視していた相手”が、どこまで前へ出てくる気なのかだ」


 それは、まさに核心だった。


 禁域の主がいるとして――あるいは黒翼の終王に連なる何かがいるとして。

 それがこちらを追い出すだけで満足するのか、もっと違う意志を持っているのか。


 それ次第で、帝国の選ぶべき手はまるで違ってくる。


 レオンハルトが口元を引き締める。


「俺は、見に行くべきだと思う」


 数人の将官が視線を上げた。


 ヴァルゼオン三世は表情を変えない。


「理由を言え」


「相手に監視されているなら、こちらも監視するべきだからです」


 皇子の返答は簡潔だった。


「遠巻きの監視だけでは、向こうの土俵で印象を受け取るだけになる。相手が何を見せたいかではなく、こちらが何を見抜けるかへ持ち込まねばならない」


 若いが、考えなしではない。


 その場の勢いで“攻め込みます”と言わないだけ、むしろ落ち着いていると言っていい。


 だが軍務卿はすぐ反対した。


「危険です、殿下。相手が品定めをしている最中なら、こちらが強い一手を切ること自体が、向こうに次の段階へ進む口実を与えるやもしれません」


「では何もするなと?」


「そうは申しません。監視線を増やし、祠を固め、北方方面軍の精度を上げるべきかと」


「それでは遅い」


 レオンハルトの返しも速かった。


「相手が本当に意思を持つなら、時間を与えるほど向こうが有利になる」


「だからこそ軽率な接触は避けるべきです」


 軍務卿の言葉はもっともだ。


 もっともで、だからこそ結論が出ない。


 ヴァルゼオン三世はその応酬を黙って聞いていたが、やがて静かに口を開いた。


「ディグラス」


「は」


「お前はどう見る」


 竜騎士団長は少しだけ考えた。


 それから、率直に言う。


「どちらもあるかと」


「どちらもだと?」


「はい。監視を増やすのは正しいでしょう。だが、それだけでは足りない」


 ディグラスはゆっくりと続ける。


「相手が本当に“境界線を示した”のなら、次に必要なのは、その境界線の強さを測ることです。触れれば斬るのか、押せば引くのか、それとも最初からもっと奥を見ているのか」


 レオンハルトが僅かに口角を上げた。


 自分に近い意見だと思ったのだろう。


 だがディグラスはそちらを見ずに続けた。


「ただし、それをやるのは雑兵ではない。強い者が行くべきです。線を越えるにせよ、越えぬにせよ、意味を理解できる者でなければならん」


「…つまり、お前が行くと」


 ヴァルゼオン三世の問いに、ディグラスは正面から頷いた。


「必要とあらば」


 その一言に嘘はない。


 会議の中に、別種の緊張が走る。


 帝国最強の武。

 竜騎士団長ディグラス。


 彼が動くというのは、単なる偵察の延長ではない。

 帝国が“これは一段上の事態だ”と認めるに等しい。


「父上」


 レオンハルトが低く言った。


「俺も同行を」


「却下だ」


 即答だった。


 皇帝の声に迷いはなかった。


「お前が前へ出るには早い」


 その一言に、レオンハルトの表情がわずかに硬くなる。


 だが反論はしない。

 少なくとも、この場ではしないだけの自制はある。


 ヴァルゼオン三世は全員を見渡した。


「ふむ」


 会議の空気が張る。


「現時点で禁域への大規模進軍はせぬ」


 まず、それを切った。


「北方方面軍は監視線を増設。監視祠を増員。境界線記録の精度を上げろ」


「はっ」


 軍務卿が応じる。


「同時に」


 そこで皇帝は、ディグラスへ視線を向けた。


「竜騎士団長ディグラス。お前に第二段階の監視を命ずる」


 会議室が静まり返る。


「禁域へ近づけ。だが、まだ斬るな。相手が見せた境界線を測れ。こちらへ向けられた意志の質を持ち帰れ」


 かなり重い命令だった。


 戦えとは言わない。

 だが行けと言う。


 それは、場合によっては戦わずに済まない場所へ、最強の武を送り込むという意味だ。


「はっ」


 ディグラスは短く頭を垂れた。


「帝国の目として」


「そうだ」


 ヴァルゼオン三世の声は低く響く。


「まだ敵と決めるな。だが、味方などとは夢にも思うな」


 その言葉は、そのまま帝国の現時点での立場を表していた。


 相手は脅威だ。

 だが、まだ戦争とも決めない。

 しかし、決して安心もしない。


 慎重な恐れ。


 昨夜、黒翼庭が持ち帰らせようとしたものがあるとすれば、おそらくそれに近い。


「エルマ」


 皇帝が呼ぶ。


「はい」


「ディグラスへ同行しろ。お前の目でも確かめろ」


 エルマはわずかに目を細めた。


「承知いたしました」


 宮廷魔導官と竜騎士団長。


 帝国の知と武が揃って北へ向かう。


 それだけで、この件がただの怪異騒ぎではなくなったことが分かる。


 レオンハルトはそれを黙って聞いていたが、やがて静かに言った。


「では私は」


「帝都に残れ」


 またも即答だった。


「お前には別の役目がある。北で何が起きても、皇城が動揺すれば意味がない」


 皇子は数秒だけ黙った。


 それから、低く頭を下げる。


「…御意」


 納得しているわけではない。

 だが従う。

 その程度には帝国の皇子でもある。


 ヴァルゼオン三世は最後に、机上の報告書へ視線を落とした。


「禁域が沈黙を破ったのなら、帝国もまた目を逸らすな」


 誰にというより、自分自身へ言い聞かせるような声だった。


「北の奥に何がいるのか。何を考えているのか。まずは、それを知るのが先決だ」


 こうして帝国は、次の一手を決めた。


---


 一方その頃、黒翼庭では。


 城内案内の名目で、クロウはヴェルミリアと共に上層回廊を歩いていた。


 高い天井。

 黒い床。

 左右に並ぶ柱。

 ところどころに差し込む青白い光。


 静かだが、死んでいるわけではない。


 足を止めれば、遠くで誰かが動く気配や、術式が低く唸るような音が確かに聞こえる。


 “城が生きている”という感覚が、昨日よりずっと濃い。


「こちらが上層の政務回廊です」


 ヴェルミリアが説明する。


「各種の記録、対外整理、命令系統の調整を行う区画となります」


 見た目は広く静かなだけの回廊だ。

 だが、扉の向こうには執務室や書庫が並んでいるらしい。


 実際、すれ違う配下たちは全員が静かで、しかし手が止まっていない。

 書類を運ぶ者。

 結晶板を抱える者。

 何かの記録を整理する者。


 華やかではない。

 だが、組織としてきちんと回っていることがよく分かる。


 その視線が、時折こちらへ向く。


 向いた瞬間、全員が深く頭を垂れる。


 やめてほしい。


 ありがたいが、やはり重い。


「…普段からこうなのか」


 思わず聞くと、ヴェルミリアは少しだけ首を傾けた。


「陛下がお通りになれば、当然のことかと」


 当然か。


 そうなのだろうな、この城では。


 クロウは表情を崩さないように気をつけながら歩き続ける。


 すると、回廊の先からセラフィナが静かに現れた。


 白銀の髪。

 白と黒の翼。

 修道服じみた衣装。


 相変わらず静かで、近づいてくる足音すらほとんどしない。


「陛下」


 一礼。


「帝国側に動きがございました」


 やはり来たか。


 クロウは足を止める。


「ほう」


「皇帝ヴァルゼオン三世は大規模進軍を却下。その代わり、次段の監視として竜騎士団長ディグラスと宮廷魔導官エルマの北行きを決めました」


 クロウは黙った。


 ディグラス。

 エルマ。


 つまり帝国は、次にちゃんと強い一手を打ってくる。


 雑兵ではない。

 知と武の両方を持った者を送る。


 やはり帝国は愚かではない。


「早いな」


「はい」


 セラフィナは頷く。


「ですが自然です。帝国側も、昨夜の一手だけでこちらを断じるつもりはないのでしょう」


 それはそうだ。


 こちらが相手を測っているように、相手もこちらを測る。


 つまり次が、本番に近い。


「ヴェルミリア」


「はい」


「ディグラスという男、どう見る」


 ヴェルミリアは迷わなかった。


「強いでしょう。少なくとも帝国内では、武の象徴として扱われる程度には」


「セラフィナ」


「正面から斬り込むタイプではありません。必要な時まで牙を見せぬ獣に近いかと」


 なるほど。


 バルザードほどではないが、やはりこの二人も人を見る目がある。


 クロウは数秒だけ考え、それから短く言う。


「なら、次はもう少しはっきりとこちらの境界線を見せる必要があるな」


 言ってから、自分でも少し驚いた。


 昨日なら出てこなかった言葉だ。


 だが自然でもあった。


 相手が上の札を切るなら、こちらも“まだ昨日と同じではない”と示さなければ、境界線がどんどん押し込まれる。


 もちろん戦争は避けたい。

 避けたいが、避けるためにも引き方だけでは足りない局面はある。


 ヴェルミリアが深く頷いた。


「御意。では次の客には、“境界線”だけではなく、“その境界線を守る者”も見せるべきかと」


 それはガルドの出番、ということなのだろう。


 クロウはその先を思い描く。


 帝国最強の竜騎士団長。

 帝国の知を連れた魔導官。

 そしてこちらは、黒翼庭の境界線と、それを守る武を見せる。


 昨日より一段深い接触になる。


 面倒だ。


 だが、もうそれは避けられない。


「準備しろ」


 クロウは言った。


「だが、まだ早い。脅しすぎるな。退かせるためではなく、理解させるために見せる」


 口にしてから、自分でも少し思う。


 いまのは、かなり“それらしい”。


 いや、実際に必要なことでもあるのだが。


 セラフィナが静かに微笑む。


「御心のままに」


 ヴェルミリアも続ける。


「では、帝国には次の段階で“こちらは黙っているだけではない”とお教えいたしましょう」


 言い方は少し怖い。


 だが方向は間違っていない。

 昨日の自分なら、ここまで言えなかった気もする。


 クロウは上層回廊の先、青白い光の差す長い道を見た。


 帝国はもう、こちらを神話の中に閉じ込めてはおかない。

 ならこちらもまた、ただ眠りから覚めただけの存在ではいられない。


最後までお読みいただき、ありがとうございました!!

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また、ブックマークや感想も今後の執筆の支えになります。

引き続きよろしくお願いいたします。

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