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配下からの信頼が重すぎる  作者: きなこもち
第1章 『黒翼の終王、目覚める』

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「 第一皇子」



 同じ頃。


 竜嶺帝国の帝都ザルカディアでは、まだ夜が明けきっていなかった。


 北方の前線と違い、帝都の夜は明るい。


 広い石畳の道には術灯が規則正しく並び、宮城を囲む高い城壁は月光と人工灯の両方を受けて鈍く光っている。

 夜の色は残っている。

 だが、帝都の中枢はすでに“眠りを終えた場所”の空気を帯びていた。


 その最奥、皇城の一角にある軍務省上層室では、机の上へ急使の筒が置かれたところだった。


 封を切ったのは、軍務卿補佐官の一人である。

 だが中身を最後まで読み切る前に、その部屋へ別の足音が入ってくる。


「北からか」


 低い男の声。


 第一皇子、レオンハルト・ザルカディアだった。


 長身。

 金髪。

 軍服姿。


 若い。

 だが、ただ華やかなだけではない。

 剣を持って前線へ立つ人間の体つきをしている。


 皇族でありながら、明らかに軍の空気をまとっていた。

 装飾ではなく鍛えられた肩。

 姿勢の良さではなく、いつでも動ける重心。

 一目で“前へ出る男”だと分かる。


 補佐官は慌てて敬礼する。


「殿下。はい、北方方面軍より急報です」


「読め」


 命令は短い。


 補佐官は文面へ目を落とし、声に出した。


「禁域中心部における反応増大を確認。境界線監視において、意思ある干渉の可能性高し。斥候隊は谷内部にて環境静穏化、飛竜の異常警戒、警告的徴候を確認――」


「警告的徴候?」


 レオンハルトが眉を寄せる。


「何だそれは」


「黒い羽が、二度」


 補佐官は読み上げながら困惑を隠せないようだった。


「一度目は谷内部、二度目は出口付近。直接的な攻撃はなし。ただし、斥候隊長は“こちらが監視されている”との所感を付記しております」


 レオンハルトは無言で腕を組んだ。


 愚かな報告だと一蹴することもできる。

 だが、北方方面軍の名で上がってきた以上、笑って済ませるのも違う。


「……続けろ」


「禁域側は、こちらの侵入を境界線段階で精密把握している可能性。加えて、即時排除ではなく、段階的反応を返す性質を確認。現時点で敵対行動は限定的。ただし――」


 補佐官は一瞬、読み上げを躊躇った。


「ただし?」


「禁域は沈黙していない。少なくとも今夜こちらを監視していた、とのことです」


 部屋が静かになる。


 大げさな表現だ。

 だが、妙に耳へ残る一文でもあった。


 レオンハルトは窓の外、まだ暗い帝都の空へ目を向ける。


 禁域。


 《黒翼の終王》。


 子供の頃から何度も聞かされた名だ。

 北方の奥へ行くな。

 あそこには昔の災厄が眠っている。

 たとえ今は静かでも、何かあれば帝国が最初に飲まれる。


 年寄りも、軍人も、同じような顔でそんな話をした。


 だがそれはずっと、実感のない脅威だった。


 古い怪談と、軍務上の禁則が混ざったようなものに過ぎない。


 それが今、報告書という形で机の上へ載っている。


 しかも、“何かが起きた”ではなく、“こちらを監視していた”という文言で。


「父上には」


「今、お伝えしております」


 補佐官は答える。


「軍務卿と宮廷魔導官にも同報を送れ」


「すでに手配しております」


 悪くない。

 仕事が早い。


 レオンハルトはもう一度、報告書へ視線を落とした。


 直接攻撃なし。

 段階的反応。

 警告的徴候。


 それが事実なら、相手はただの怪異ではない。

 獣でも、自然現象でもない。


 **こちらに理解できる形で、線を示してきた何か**だ。


 不愉快だった。


 帝国の兵が試されたようにも感じる。


 だが同時に、武人としては無視しがたい。


 相手がただの混沌なら、切り捨てる判断もある。

 だが、見て、測り、境界を示してくるなら、それはすでに敵か味方か以前に、“立場を持つ存在”だ。


「殿下」


 補佐官が控えめに声をかける。


「いかがなさいますか」


「どうもしない」


 レオンハルトは短く言った。


「少なくとも今、この一報だけで騒ぐ気はない。だが――」


 そこで報告書を机へ戻す。


「これは、確認しに行く価値があるものだ」


 補佐官は顔を上げた。


 レオンハルトの瞳には、恐れよりも先に闘志に近いものがあった。


 それは無謀とは少し違う。


 自国の北に現れた“意思ある脅威”を、自分の目で測りたいという、帝国の皇子らしい反応だった。


 笑って退けることも、恐れて蓋をすることも、どちらも彼の性には合わない。

 ならば見る。

 自分の目で確かめる。


 そういう種類の男なのだと、その場の誰もが理解した。


ーーー


 黒翼庭へ戻る。


 朝食を終えたクロウは、再び立体地図を見上げていた。


 四大国家。

 黒翼庭の内部構造。

 四天王の管轄。

 外の世界の基本。


 必要最低限な情報は、ひとまず頭に入った気がする。

 もちろん細部はまだ山ほどあるだろうが、昨日の完全な手探りよりはずっとましだった。


「陛下」


 ヴェルミリアが一礼する。


「本日の午後以降は、城内の主要区画をご覧いただくこともできます。玉座の間だけでなく、ご自身の庭としてお確かめいただければと」


 ご自身の庭。


 言い回しが大きい。


 だが実際、この規模ならそういう表現になるのかもしれない。


「案内はお前が?」


「必要であれば、私がいたします」


 少し間を置いてから、彼女は続ける。


「軍事区画であればガルド。影回廊や境界線の監視網であればセラフィナ。工廠ならバルザードの方が、より詳細にお伝えできるかと」


 なるほど。


 つまり、自分が見たい場所に応じて説明役も変わるわけだ。


 それは助かる。


 同時に、また一つ感じる。


 この城は本当に、自分が中心であることを前提に、すべてがきれいに回るようにできているのだ。


 四天王も。

 施設も。

 軍勢も。

 全部。


 その時、扉の外から早い足音が近づいてきた。


 今度はヴェルミリアではない。

 抑えきれない勢いを隠しきれていない。


 バルザードだ。


 案の定、扉の前でぴたりと止まり、興奮を押し殺した声が聞こえる。


「陛下! ヴェルミリア殿! ご報告が!」


 ヴェルミリアがわずかに眉を寄せる。


「入りなさい」


 扉が開き、バルザードが早足で入ってくる。

 片眼鏡の奥の目が輝いていた。

 嫌な予感しかしない。


「帝国側の通信波形から、中央への転送経路をほぼ特定できました!」


 やっぱり早い。


「加えて、昨夜の斥候隊長の報告が第一皇子レオンハルトの耳にも入ったようです!」


 クロウは目を細めた。


「皇子?」


「はい! どうやら本人も動きそうな気配が!」


 それはあまり嬉しくない情報だった。


 帝国の皇子。

 しかも前線へ出るタイプらしい人物が、禁域へ関心を強める。


 どう考えても、静かに終わる方向ではない。


 ヴェルミリアがすぐに問い返す。


「確度は」


「高いです! 少なくとも“確認しに行く価値がある”と発言した記録は拾えました!」


 クロウは心の中で頭を抱えた。


 始まったな、と思う。


 帝国は引かなかった。

 正確には、いったん引いて、次により深く測ろうとし始めている。


 そしてこっちの配下たちは、その一手一手をことごとく拾ってくる。


 逃げ場がない。


 ないが、やるしかない。


「……分かった」


 クロウは静かに言った。


「なら、こちらも次の手を考える」


 その一言で、部屋の空気がすっと引き締まる。


 ヴェルミリアが深く頭を垂れ、

 バルザードは嬉しそうに背筋を伸ばし、

 見えないところでは、きっとガルドやセラフィナにも既に伝わっているのだろう。


 その反応を見て、クロウは改めて思う。


 やはり、配下からの信頼が重すぎる。


 けれど今はもう、その重さに押し潰されているだけでは駄目なのだ。


 王として振る舞うしかないのなら、せめてその重さを利用するしかない。


 クロウはゆっくりと立ち上がる。


「ヴェルミリア」


「はい」


「午後は城内を見せろ。その上で、帝国の次手にどう返すか考える」


「御意」


「バルザード」


「はっ!」


「浮かれるな。まだ何も始まっていない」


「……っ、失礼しました!」


 だが顔は全然反省していない。

 むしろ“陛下が次の一手へ進まれた”とでも思っていそうな勢いだった。


 やっぱり重い。


 そう思いながらも、クロウは立体地図の上に広がる大陸を見下ろす。


 北の帝国。

 西の連邦。

 南の魔導王国。

 東の商盟。


 世界はまだ、自分を神話の中の存在としか見ていないようだった。


最後までお読みいただき、ありがとうございました!!

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