21 銀の咆哮、彼方よりの残響
「バハムートを離せぇぇぇぇぇ!」
ルルアの叫びとともに褐色の肌に銀色の紋様が浮かび上がった。それはバハムートの中に眠る真名と共鳴する、守護者の一族だけに許された禁忌の力。ルルアが魔力の鎖を噛み千切った瞬間、彼女を中心に銀色の衝撃波が吹き荒れ、アジャスターの影を一時的に吹き飛ばした。
『オオオオオッ!』
拘束を解かれたバハムートが苦しげに――しかし力強く嘶く。だが、その代償は大きかった。ルルアの小さな身体から急速に光が失われ、糸が切れた人形のように俺の腕の中へ崩れ落ちた。
「ルルア! しっかりしろ!」
『逃げろ! ここは奴の領域だ……長くは持たん!』
ガロウの声が響く。俺は意識を失ったルルアを抱き、ふらつくバハムートの背に飛び乗った。
「セリア、エリス、ミア! 走れ! 出口はあそこだ!」
俺たちは崩壊を始めた円形競技場から次元の裂け目を通って現実の荒野へと命からがら飛び出した。
辿り着いたのは荒野の断崖に隠されるように存在する獣人たちの隠れ里。ガロウの案内で運び込まれた石造りの家の中で、ルルアは青白い顔で眠り続けていた。
「ルルアちゃんの魔力回路がボロボロです。私の治癒魔法でも表面の傷を塞ぐのが精一杯で……どうしましょう?」
ミアが涙を浮かべながらルルアの額を濡れタオルで拭う。バハムートもまた、深い眠りに落ちていた。真名の断片を強制的に引き出された反動で、その漆黒の身体は時折、銀色の火花を散らして震えている。
「計算が合わないわ。あのアジャスターとかいう奴、この世界の魔法体系を根本から書き換えていた。あれは魔法じゃない。数式そのもので世界を上書きする――もっと残酷ななにかよ」
セリアが震える手で折れたペンを握り締めていた。
「ああ……あいつのやり方には覚えがある」
俺は窓の外、赤く燃える荒野を見つめながら呟いた。脳裏に蘇るのは前世の最後の日。並んでターフを駆け俺を極限まで追い詰めた男の顔だ。
「成瀬。前世で俺と競り合っていた、もう一人の天才騎手と呼ばれた男だ」
「前世の好敵手?」
エリスが信じられないといった表情でこちらを見る。
「あいつは昔から完璧なレースに憑りつかれていた。馬の体調、芝の状態、風向き、すべてをデータ化し、感情を排除して勝つ。恐らくあいつはこの世界に来て、魔法という強大な変数を手に入れたことで、世界そのものを自分にとって都合のいい完璧な盤面に作り変えようとしてるんだ」
絆や意志という計算できないものを排除する――それがアジャスター成瀬の掲げる調律の正体だった。
「だったら――あいつの計算を上回る未知数を叩きつけてやるだけよ」
セリアが立ち上がった。その瞳にはかつてないほど激しい商人の娘としての、そして俺を信じる仲間としての炎が宿っていた。
「レン、バハムートを救う方法が一つだけあるわ。ローラン家に伝わる禁断の魔導具『魂の鐙』よ。それを使えば騎手の魂と馬の魂を完全に一つにできる。ただし使うには私の全財産……いえ、ローラン家の全名誉を担保にした、王立銀行との命がけの契約が必要かもしれない」
「セリア……そんなことをしたら?」
「いいのよ。貴方がいない世界で家だの名誉だのになんの意味があるっていうの?」
セリアは無理やり笑ってみせた。
「それにこれは投資よ。貴方が勝てば、世界丸ごと私の利益になるんだから」
エリスも剣を鞘ごと机に置いた。
「私も協力するわ。ローゼンバーグのコネクションをすべて使い、その魔導具の封印を解くための儀式を整える。成瀬だかなんだか知らないけれど、私たちの誇りをシステムの一部だなんて思わせない」
俺はルルアの小さな手とバハムートの冷たい蹄に触れた。
「ルルア、バハムート……待ってろ。俺が必ず真実の名前と自由な空を取り戻してやる」
アジャスター、いや、成瀬。前世で決着がつかなかった俺たちの戦いは、この異世界の荒野で、世界を賭けた最終決戦へと繋がっていく。
「次は俺たちが仕掛ける番だ」
荒野の夜が明けようとしていた。かつてない危機を前に、俺たちの絆は、より深く、より鋭く研ぎ澄まされていく。




