20 黄金の記憶、灰色の亡霊
第二の試練の門を潜った瞬間、周囲の景色は一変した。赤錆色の荒野も浮遊する競技場も消え――そこにあったのは――
「ここは……中山競馬場?」
俺の目の前に広がっていたのは、前世で何度も駆け抜けた、見慣れた日本の競馬場だった。だが空は灰色に淀み観客席には顔のない影たちで埋め尽くされている。
「どうしたの? 急に立ち止まって……ここは? 魔導回路が一つも感知できないわ」
セリアが不安げにレンの袖を引く。エリスやミア、ルルアも、見たこともない異様な光景に息を呑んでいた。
その時、向こう正面から一頭の馬が歩いてきた。透き通るような白銀の馬体。賢明そうな瞳。俺が前世の最後の日、共に転倒し、その命を救えなかった愛馬――ギンガだった。
「ギンガ……お前……生きていたのか?」
俺が震える手で歩み寄ろうとするとギンガの背に一人の影が乗り込んだ。それは騎手服を着た、前世の俺自身の姿だった。
『――忘れたのか、レン。お前の過信が私の足を砕いたあの日を?』
ギンガの口から無機質な声が響く。それは調律者がレンの記憶から作り出した最も残酷な幻影だった。
『お前はまた繰り返す。あの黒馬も――いずれお前の野心のために泥の中に沈むことになるだろう。救いはない。お前は馬を殺す死神だ』
「違う……俺は!」
過去の罪悪感が重い鎖となって俺の魂を縛り上げる。バハムートが異変を感じ脳内で激しく嘶いた。
『レン、惑わされるな! 目の前のそれは我らの魂を喰らう偽物だ!』
しかし今の俺にはその声が届かない。前世の記憶という最強の呪いが、バハムートのリンクを断ち切ろうとしていた。
「いい加減にしなさい、この偽物っ!」
静寂を切り裂いたのはセリアの怒声だった。算盤を地面に叩きつけ俺の前に立ちはだかる。
「レン、私に言ったじゃない! 馬は道具じゃない翼だって! 貴方が過去になにを失ったか知らないけれど、今の貴方を支えているのは、前世で死んだ亡霊じゃない! 私たちがここにいるでしょ!」
「そうです! レンさんの手はとっても温かくて馬さんへの愛に溢れてます! 私はそんなレンさんを信じてるんです!」
ミアがレンの背中を強く押し祈るように叫ぶ。
エリスも剣の柄を握り締め幻影を睨みつけた。
「誇りなさい、レン。貴方は私を倒し、この国の競馬を変えた男よ。過去の自分に負けるような男に私は敗れたつもりはないわ!」
ルルアがレンの手を握り、ぐいっと自分の方へ引き寄せた。
「くんくん……お前、今すっごく変な匂いする。死んじゃった馬さんの匂い。でもバハムートはお前の次を待ってる。前を見て!」
四人の言葉が俺の心に突き刺さった。そうだ。俺がこの世界に来たのは過去を悔やむためじゃない。あの日救えなかったギンガとの約束を、別の場所で別の形で果たすためだ。
「悪いな……もう大丈夫だ」
俺はゆっくりと顔を上げ、目の前のギンガの幻影を見据えた。
「ギンガ……お前を失った悲しみは一生消えない。でもお前が教えてくれた風の感触は、今も俺の指の中に生きている。俺はお前を背負ってこいつと新しい世界を創る!」
『アステリオッ!』
バハムートが真名の片鱗を輝かせ、銀色の炎を纏って爆走を開始した。ギンガの幻影はバハムートの放つ圧倒的な生のエネルギーに触れた瞬間、穏やかな光となって溶けていった。
最後に一瞬だけ―― 幻影ではない本物のギンガの優しい嘶きが聞こえた。
幻影が消え景色は再び円形競技場へと戻った。そこには一人――黒い外套を纏った男が立っていた。その仮面の奥で男は不気味に笑っている。
「素晴らしい精神力だ。しかし今のレースで貴様の魂は酷く摩耗した。これなら拉致するのも容易い」
「調律者……お前が前世の?」
『私の名はアジャスター。君の技術はこの世界の調律に不可欠だ。バハムートはここで一度回収させてもらうよ』
アジャスターが指を鳴らすと競技場の床から巨大な魔力の触手が伸びバハムートを拘束した。
「バハムート!」
俺は駆け寄ろうとするが、空間が歪み、バハムートの姿が消えようとしていた。
「待て!」
ルルアが獣のような素早さで触手に飛びつき、喉元に隠していた牙で魔力の鎖を噛み千切ろうとした。
「お前、バハムートを……ルルアの家族を連れて行くなーっ!」
咆哮と共にルルアの中に眠る真名を守る守護者の力が暴走を始める――




