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19 円形競技場の亡霊、銀の鼓動

 ルルアの案内で荒野の最果てに辿り着いた俺たちが目にしたのは、雲よりも高い空に浮遊する巨大な岩石の環だった。


「あれが試練の円形競技場……あそこには昔の強い騎手たちの魂の残骸が走ってるの」


 ルルアは器用に岩場を跳ねて俺の手を引いた。手は少しザラついていて、けれど驚くほど温かい。時折、犬のように俺の匂いを嗅いでは「くんくん、お前、いい匂い。馬さんと同じ草原の匂いがする」と無邪気に笑う。


「ちょっと、そこの貴方。あんまりレンにベタベタしないでくれるかしら? 私の収支計画に集中力の欠如というマイナス要因を入れさせないでほしいの」


 セリアが算盤をパチリと鳴らし牽制を入れる。


「ふん、野性的な娘ね。でも言っていることに嘘はなさそうだわ」


 エリスが競技場を見上げ厳しい表情を浮かべた。


「あそこから感じる威圧感……王都のグランプリなんてお遊びに見える。行きましょう、私たちの誇りを見せるために」


 競技場のターフに降り立った瞬間、周囲の景色が歪んだ。地面があるはずなのに足元には満天の星空が広がり、風は吹いていないのにバハムートの毛が激しく靡く。


「なにこれ……計算が合わないわ! 重力定数が変動してる。空気抵抗もゼロ? ここ物理法則が死んでるわよ!」


 セリアがパニック気味に叫ぶ。

 そこへ半透明の霧の中から一頭の騎馬が現れた。馬体は水晶のように透き通り、乗り手は古風な鎧を纏った顔のない亡霊。


「存在を示せ」


 亡霊の震える声が響く。


「速さとは距離を時間で割ることではない。速さとは……世界をどれだけ深く刻めるかだ」


 直後、カウントダウンなしに亡霊が動き出した。その馬は走っているのではない。一瞬ごとに次の地点に存在している――空間を跳躍するような、前世の競馬理論を根底から覆す概念の疾走だった。


「レン、止まらないで! あの亡霊はこの空間の記憶と同期して走っているわ!」


 エリスが古文書の知識から叫ぶ。


「あれは第一王朝の最速の騎手。勝つには既存のコースを走るんじゃなくて、新しい道を創造しなきゃ駄目なのよ!」


 セリアがすぐさま計算を修正する。


「物理が駄目なら魔力演算よ! レン、亡霊が跳躍する瞬間の魔力の淀みを見つけなさい! そこに蹄を叩き込めば実体化できるはずよ!」


『レン、奴の姿が見えぬ! どこを蹴ればいい、我はどこへ向かえばいいのだ!』


 バハムートが焦りから呼吸を乱す。まだバハムートという仮の名に縛られ、天竜馬としての本来の空間を支配する力を思い出せずにいた。


「ミア! 歌ってくれ!」


 俺が叫ぶとミアがアルカディアの隣で優しく――けれど力強く歌い始めた。


「風よ、土よ、命の火よ。迷える魂に光の道を――」


 ミアの歌声が混沌とした空間に一本の銀色の糸を引いた。彼女の中に眠る聖女の魔力が目に見えないゴールへの道標となったのだ。


「馬さん、怖がらないで」


 ルルアが並走するアルカディアの背から身を乗り出してバハムートの耳元で囁いた。


「お前は黒い雲じゃない。星の間を駆ける銀色の光。本当の名前を一文字だけ思い出して……ア……だよ」


『……ア……? ア……アステ……リオ……!』


 刹那、バハムートの漆黒の毛並みの奥から銀色の脈動が走った。


「――見えたぞ! 淀みはそこだ!」


 俺はセリアが示した座標と、ミアが引いた光の道、そしてルルアが呼び起こしたバハムートの衝動を一つに束ねた。バハムートの蹄がなにもない虚空を踏んだ。


 ドォォォォォン!


 空間が割れるような衝撃音が響き亡霊の跳躍が止まった。


「なっ! 概念を物理で叩き落としただと?」

 

 亡霊が初めて驚愕の声を上げる。

 俺たちは亡霊を抜き去り銀色の光が渦巻くゴールへと飛び込んだ。

 第一の試練を突破した俺たちの前に再びあの不気味なノイズが響いた。


『――素晴らしい。不確定要素を力に変えたか? だがレン、その絆が強ければ強いほど失った時の調律は深く残酷なものになるぞ』


「黙ってろ。あいつらの正体がなんだろうと俺はもう逃げない」


 俺はバハムートから降り駆け寄ってきた四人の乙女たちを見渡した。セリア、ミア、エリス。はにかむように尻尾を振るルルア。


「ルルア、さっきの『アステリオ』っていうのは?」


「うーん、まだ全部は駄目。半分だけ。残りはもっと怖い次の試練に勝たないと壊れちゃうからさ」


 ルルアは俺の腕をぎゅっと抱き締めた。


 その温もりに救われながら俺は競技場のさらに奥、黄金の門が待ち構える第二の試練へと目を向けた。バハムートの真名を取り戻す旅は、まだ始まったばかりだった。

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