18 封印の荒野、いにしえの咆哮
帝都から数週間。
俺たちが辿り着いたのは地図上の道が途切れ、空の色さえも赤錆色に染まった封印の荒野の入り口だった。そこには一軒の古びた酒場と、その前で黙々と馬の蹄鉄を打つ一人の老人がいた。
「止めておけ……その黒馬を連れてここを越えれば二度と人間の競馬には戻れんぞ」
老人は顔を上げず金槌を振るう手を止めない。しかしその背中から漂う気配は、王都のどの騎士よりも鋭く、そしてどこか懐かしい土と馬の匂いがした。
「あんた、ただの職人じゃないな。その足の運び騎手だろ?」
俺が問いかけると老人はようやく顔を上げた。その瞳は濁っているようでいて奥底に底知れぬ炎が宿っている。
「ほう……若造の分際で俺の歩様を見抜くか? 俺の名はガロウ。かつてこの荒野を駆け神の馬に触れようとして……すべてを失った男だ」
ガロウはバハムートに近づき、その漆黒の毛並みに触れようとした。バハムートが威嚇の嘶きを上げるがガロウは動じない。
「間違いない……こいつは呪われた馬などではない。太古の昔、神を背に乗せて空を駆けた天竜馬の末裔だ。そして今、眠りについている真名が呼び覚まされようとしている」
「天竜馬? バハムートちゃんが神様の馬?」
ミアが驚きに目を見開く。セリアはすぐさま手帳を取り出し、古文書の記憶と照らし合わせ始めた。
「計算が合わないわ。天竜馬は数千年前に絶滅したはずよ。もし生きていたとしたら、その魔力は一国を滅ぼすレベルになるはず?」
その時だった。
荒野の砂煙を上げて黒い霧のようなものを纏った魔獣馬の一団が俺たちを包囲した。乗り手たちは人間ではない――影のような実体のない調律者の手先だった。
「くっ、ゴールドシップ! 迎え撃つぞ!」
エリスが叫びセリアの騎乗するアルカディアともに二頭が戦闘態勢に入る。しかし魔獣馬たちの放つ不気味な咆哮に名馬である二頭さえも怯えを見せた。
「――そこまでです! 私の縄張りで勝手はさせませんっ!」
突如、空から小さな影が舞い降りた。狼のような耳と尻尾を持つ褐色の肌の少女。手に持った骨の笛を吹き鳴らすと、魔獣馬たちの動きがぴたりと止まった。
「ルルア? なぜお前がここに!」
ガロウが声を上げる。ルルアと呼ばれた少女は、獣のような鋭い視線を俺、そしてバハムートへと向けた。
「お前……黒い馬さんと会話してる。でも、まだ足りない。その子の本当の名前――お前は知らないんだね」
ルルアはバハムートに恐れることなく近づき鼻先に額を合わせた。
『ぬ? 貴様、我の中になにを見た』
「悲しい名前だね。バハムートは偽物の名前だよ。この子がずっと待ってるのは……世界を創り直すための銀色の名前」
ルルアは俺を指差した。
「お前が騎手なら――この子に新しい魂をあげて。じゃないと調律者が来たら、この子はすぐに壊されちゃう」
「調律者……あいつら一体何者なんだ?」
ルルアの表情が曇る。
「あいつらは――お前たちの世界をやり直そうとしてる。お前の知ってる昔の世界と同じように、数字と理屈だけの冷たい世界にしようとしてる」
刹那、俺の脳内に直接、聞き覚えのある声が響いた。それは前世の俺が最後のレースで競り合い、共に落馬したライバルの声に酷似している。
『久しぶりだな――レン。いや、今は別の名だったか?』
「――――っ! その声……まさか?」
『この世界はあまりに不確定要素が多過ぎる。魔法、絆、馬の声……そんな不確かなものは調律されるべきだ。私はこの異世界を完璧な理論で支配するシステムに作り変える。邪魔をするなら君ごと消去するよ?』
声は消え荒野に不気味な静寂が戻った。セリアが俺の顔色を見て心配そうに肩に手を置く。
「レン? 顔色が真っ青よ。なにがあったの?」
「……なんでもない。ただ、あいつらの正体が少しだけ見えた気がする」
俺はバハムートの首を強く抱き締めた。前世からの因縁。この世界の神話。すべてが封印の荒野という一つの交差点に集まろうとしていた。
「ガロウさん、ルルア、教えてくれ。バハムートの真名を取り戻すにはなにをすればいい?」
ガロウは重い口を開いた。
「荒野の最果てにある試練の円形競技場。そこでかつての神の騎手たちと競い勝たねばならん。だが……負ければお前の魂はあいつらに調律されるだろう」
「望むところだ。俺の馬を機械になんかさせない。行くぞ、みんな!」
バハムートがかつてないほど高く、漆黒の輝きを帯びた嘶きを上げた。黒き馬の正体。調律者の正体。新たな仲間ルルア。物語のパズルが少しずつ完成しようとしている。




