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16 鉄鋼の咆哮、黄金の静寂を裂いて

 帝都の断崖絶壁を縫うように作られた難所――通称『巨人の背骨』。視界を遮るほどの猛吹雪と魔力を乱す鳴き砂の風が吹き荒れる中――本戦のゲートが開いた。


「なっ――これがあの二頭の初速か!」


 実況の声が驚愕に震える。


 ゲートが開いた瞬間、ほかの有力馬たちが猛烈な風圧に足を取られる中、二つの閃光だけがコースを置き去りにした。漆黒のバハムートと黄金のゴールドシップだ。


 帝国が誇る重装甲の魔導馬たちが必死に俺たちを追おうとする。しかしその差は数瞬で数馬身――十馬身と開いていく。帝国馬たちが風に耐えるために魔力を消費しているのに対し、二頭だけは、この地獄のような環境を利用していた。


 先頭を走るのはエリスのゴールドシップだ。その走りは芸術の域に達していた。


「右、風速四十、偏角十二。ゴールドシップ、第三気門を開放。風を透かしなさい」


 エリスの冷静な指示に従い、ゴールドシップの蹄が空気を掴む。吹き付ける魔力嵐のエネルギーを、一切の抵抗なく背後に流していた。まるで風そのものがゴールドシップを避けて通っているかのようだ。一ミリの無駄もない極限まで洗練された静の加速である。


「ちょっと……信じられません。エリスさんのゴールドシップちゃん、足音が聞こえません……雪の上を滑る光みたいです」


 通信魔法越しにミアが震える声で呟く。

 帝国のエリート馬たちが次々と呼吸を乱し脱落していく。


「計算通り。今の私とこの子に届く者など存在しない」


 エリスの瞳は勝利への執念と、それを成し遂げるための孤独な決意で凍りついていた。


 その黄金の静寂を野性的な咆哮が切り裂いた。


『ヌオオオオオッ! 黄金の娘よ、その完璧ごと食い破ってくれるわ!』


 直後、エリスの背後に迫ったのは黒い竜巻を纏ったバハムートだった。バハムートの走りはゴールドシップとは真逆――風を避けるのではなく正面から喰らっていた。


 セリアが導き出した理論――嵐の核。バハムートは荒れ狂う風のエネルギーを強引に筋肉へ取り込み、それを爆発的な推進力へと変換している。一歩ごとに凍土が砕け、衝撃波が周囲の雪を消し飛ばす。


「聞いてるレン、ちゃんと制御できているの? あの出力は馬の肉体が耐えられる限界を超えているわ!」


 セリアの悲鳴のような叫びに、俺は手綱を握り直し不敵に笑った。


「俺が制御してるんじゃない! こいつが自分自身の意志でこれを選んだんだ! 振り落とされないだけで精一杯だぜ!」


 バハムートの体温が上昇し、黒い毛並みから蒸気が立ち昇る。指示を待つのではない。騎手と馬が互いの魂を燃料にして燃え上がる動の加速だ。それが帝国の常識を塗り替える。


 レース終盤。ほかの馬たちの姿は影も形もない。残ったのは孤独に頂点を目指すエリスと、それを力でねじ伏せんとする俺だけだった。


「しつこいわね! 絆だの意志だのそんな不確定なもので私の計算を超えさせはしない!」


 エリスが初めて感情を剥き出しにして叫んだ。ゴールドシップが黄金のオーラを放ち加速する。


 俺は隣に並びかけ、エリスの目を見た。


「エリス、お前のレース運びは完璧だ! でもゴールドシップの目を見てみろ! そいつは計算通りに動くための機械じゃないはずだ!」


 その瞬間――バハムートがエリスのゴールドシップに並び横顔を突き合わせた。


『黄金の馬よ。貴様、今の走りが本当に楽しいのか? 我らと共にこの風の果てを己の力で切り裂いてみぬか?』


 バハムートの魂の声が、ゴールドシップに直接響いた。ゴールドシップの瞳に、一瞬だけ、かつてのような輝きが戻る。


「えっ?」


 エリスの手綱を通じて、ゴールドシップの震えが伝わった。それは恐怖ではない。相棒と好敵手と共に限界の先へ行きたいという抑え込んでいた本能の震えだ。


「ゴールドシップ……貴方……本当は……」


 最終直線。二頭は競馬という枠組みすら超えた光の激突を見せている。


 エリスの完璧な適応と、俺の意志による蹂躙だ。その二つが混ざり合い、コース全体の魔力嵐が二頭を中心に収束し、巨大な光の柱となった。


『オオオオオオオオオオッ!』


 二頭の嘶きが重なりスタジアムに地鳴りのような衝撃が走る。ゴールまで残り百メートル。エリスが自分自身を縛っていた完璧という名の檻を壊し、ゴールドシップの首に抱きついた。


「いいわ……行きなさい、ゴールドシップ! 私の計算なんて全部追い超えて!」


 黄金と漆黒――二つの閃光が同時にゴール板を駆け抜けた。


 判定は――数センチの差で俺とバハムートの勝利だった。


 しかしゴールした後の二頭に、もはや勝敗のこだわりはなかった。バハムートとゴールドシップは互いの健闘を称え合うように肩を並べて荒い息を吐いていた。


「負けた……わね」


 エリスが馬上から崩れるように俺の肩に顔を寄せた。その頬には敗北の悔しさよりも、ようやく相棒と一つになれた喜びの涙が伝っていた。


 俺も限界まで走り抜いたバハムートの温かな首を力一杯抱き締めた。

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