15 咆哮の再定義、黄金の静寂
帝都の夜は魔力嵐「鳴き砂の風」が一層激しさを増す。予選での惨敗から一夜。俺は深夜のトレーニングコースにバハムートを連れ出していた。氷点下の風が肌を刺し、呼吸するたびに肺が凍りつくようだ。
「悪いな……バハムート。俺の指示が遅れた。あの風を読み違えたんだ」
俺がバハムートの首筋を撫で労おうとしたその時だった。バハムートが荒々しく首を振り俺の掌を跳ね除ける。
『レンよ……貴様はまだ我を守るべき馬として扱っているのか?』
脳内に響く声はかつてないほど鋭く熱い。バハムートの瞳には敗北の屈辱ではなく、自身の不甲斐なさに対する凄まじい怒りが宿っていた。
『あの黄金の娘と馬は風と一体化していた。だが我は貴様の指示を待つあまり風に抗うことしか出来なかった。我が勝ちたいのは貴様のためではない。我があの黄金を越える唯一の存在であることを証明するためだ!』
バハムートが前脚で凍土を力強く蹴り上げる。
『我の魂の加速に振り落とされないよう、その手綱を握り締めていればいい!』
馬が騎手の指示を越えて自らの意志で勝利を渇望した瞬間である。俺はぞくりと背筋が震えるのを感じた。これは前世のトップホースたちですら稀にしか見せなかった――真の覇者の目覚めだ。
一方、帝都の最高級厩舎。
そこには最新の魔導分析機に囲まれ、一人モニターを見つめるエリスの姿があった。ゴールドシップは完璧な栄養管理と魔力調整を受け、洗練された彫像のように美しく佇んでいる。しかしその馬房に温もりはない。
(これでいい。感情は誤差。絆は不確定要素)
エリスは震える指先を隠すように手袋を強く引き上げた。王都での敗北以来、彼女は自分自身に完璧を課してきた。馬を愛することを禁じ勝利のための最適解としてゴールドシップを扱っている。
(私はもう、あの日とは違う。レン、貴方が信じる対話なんて過酷な帝都ではノイズでしかない。勝たなければならない。ローゼンバーグの名の元に私は孤独な神でいなければ――)
ふとエリスはゴールドシップの瞳を見た。かつて向けられていた親愛の情は消え、そこには主人の命令を忠実に待つだけの冷徹な機械の光がある。
「ゴールドシップ……貴方も私と同じくらい寂しいの?」
その呟きは吹き荒れる魔力嵐に掻き消された。彼女は頂点に立っている。しかしその周囲にはもう、共に笑う者も、共に悔しがる者もいない。作り上げた完璧は自分自身を閉じ込める黄金の檻だった。
「出たわよ――レン。帝都の嵐を逆手に取る、とっておきの解がね」
厩舎に戻るとセリアが徹夜で書き上げたであろう膨大な数式の束を叩きつけてきた。
「バハムートの筋肉収縮パターンを、魔力嵐の周期に強制同調させる。つまり風に抗うのをやめてバハムート自身を嵐の核にするのよ」
「それは……バハムートちゃんへの負担が大き過ぎるんじゃないですか?」
ミアが心配そうに特製の高カロリー薬草粥を掻き混ぜながら尋ねる。
「ええ、普通の馬なら一分も持たずに心臓が止まるでしょうね。でも――」
セリアの視線の先でバハムートが不敵に鼻を鳴らした。
『構わん、やってやろうではないか? 我の肉体が滅びるのが先か、あの風を支配するのが先か……その解とやらを我が魂に刻み込め!』
「ああ、バハムートがやるって言ってるさ。ミア、こいつの飯に精の付くやつを盛ってやってくれ。セリア、その理論――俺の感覚に叩き込んでくれ」
俺は二人の手を取りバハムートの額に額を合わせた。
「エリスは一人で戦っている。だが俺たちには三人の知恵と、そしてなにより……こいつ自身の勝ちたいっていう意志がある」
特訓が始まった。
バハムートはセリアの理論に従い、魔力回路を極限まで開放する。嵐の風が吹き付ける度に、そのエネルギーを吸収し、推進力へと変換していく。
『レンさん、バハムートさん……頑張れ!』
アルカディアもバハムートの横を並走し、魔力を盾にして相棒を支える。
「いくぞ、バハムート! これが俺たちの新しい風だ!」
漆黒の馬体が帝都の夜の闇を切り裂いた。もう騎手の細かな指示はいらない。俺の意志とバハムートの闘志が一つの巨大な熱となって凍てつく帝都の嵐を焼き尽くしていく。
本戦まで、あと二日。
孤独な黄金の頂に立つエリスに対し、俺たちは四位一体の、より強固で、より激しい絆を持って挑む。
「エリス……待ってろ。お前の完璧を――こいつの意志でぶち壊してやる」




