第137話 宣戦布告
「⋯⋯ソーレンさん」
それは、ほんの一瞬の隙を突いた囁きだった。
打撃の応酬の合間
時也の顔が直ぐ傍に迫ったその刹那
ソーレンの耳元にだけ届くように
低く、静かに紡がれた声。
ソーレンの動きが、僅かに鈍る。
だが、それを許さぬように拳が迫る。
咄嗟に身を捻って躱すと、時也の声が続いた。
「⋯⋯どうやら、この施設は──」
言葉は分断されることなく
流れるように繋がれていく。
拳が交わり。
肘が弾かれ。
脚が掠める。
「──フリューゲル・スナイダーの、傘下です」
(──っ!)
拳を躱しながらも、その名が耳朶を打つ。
ソーレンの脳裏に、一気に緊張が走る。
だが、相手は時也。
会話を続けながらでも
その構えには一切の隙がない。
「どうやら⋯⋯資金調達の一つ、なのでしょう」
(なら──どうする?)
ソーレンの思考は言葉ではなく、心で返す。
声にならずとも、読まれているのを前提に。
「観客の中には、粗暴であれど一般人も居ます。
一網打尽は、難しいでしょう」
まるで戦いの中に、呼吸するように混ざる言葉。
その緻密な情報の流れに
ソーレンの苛立ちが浮かぶ。
(⋯⋯この冷静さ、本当──ムカつく)
それでも、しっかりと耳を傾ける。
時也の手が、ふと袖の中へと滑り込んだ。
闘いの中にあって、不自然な動き。
ソーレンの目が反射的に鋭くなる。
「⋯⋯ですので、今回は──
〝施設の破壊〟のみに注力します」
袖から取り出されたのは、一枚の護符。
その表には、繊細な桜の印が刻まれていた。
「⋯⋯!」
次の瞬間、護符が時也の指先で千切られる。
空気が震え、風が巻き、音もなく──
桜の花弁が、舞った。
「おい!なんだぁ、ありゃあっ!」
「花なんざ、ねぇのに!?」
その一瞬、観客がどよめく。
幻想的な景色に、驚きと困惑が混ざる。
だが──
それはただの〝演出〟ではなかった。
刃のような花弁が、風と共に流れる。
一枚一枚が鋭く
皮膚を裂くような気配を帯びていた。
「⋯⋯っく!」
ソーレンは、反射的に腕で花弁を払う。
だが力任せでは斬られる。
面で受け、流し
切り裂かれぬように緻密に、正確に。
(⋯⋯くそ!異能解禁──ってことかよ!)
その時、足元から何かが〝破る〟音がした。
リングの床が軋み、突き上げられる。
板の隙間から覗いたのは──植物の蔓。
その蔓は瞬く間に伸び、リングの柱に絡み
さらに根を張るようにして床を突き破っていく。
「はい。
避難が済むまでは──リングのみでいきますよ?
中央で破壊が始まれば
人は皆、後ろへ逃げていかれるでしょうから」
時也の声は、変わらず穏やかだった。
リングの中央には
花弁と蔓と、芽吹いた枝が溢れていた。
その美しさと異様さに
観客たちは最初こそ見惚れていた。
だが──
それが、現実に破壊していると気付いた瞬間
場内に緊張が走る。
「⋯⋯おい、あれ⋯⋯!」
「やべぇ⋯⋯何か、おかしい──っ!」
どよめきが悲鳴に変わるまで
そう時間はかからなかった。
リング周辺の観客達が、椅子を蹴って逃げ出す。
足をもつれさせ
悲鳴を上げながら後方へ殺到していく。
舞い散る桜の花弁は
美しさの中に鋭利な死を秘めていた。
そして、成長を止めない植物の枝が
リングを押し広げ、歪ませていく。
その中心でソーレンと時也はなおも立ち
互いに視線を交わしていた。
それは、ただの〝決闘〟ではない。
破壊と演出
情報と連携
言葉と拳──
すべてを交えた
喫茶桜による〝宣戦布告〟だった──
⸻
観客が疎らになり始めた頃
ソーレンは視線を横に流しながら
周囲の動きを鋭く観察していた。
観客席を囲むようにして現れるのは
地下格闘技場に雇われた私兵達。
重装備の警備員
耳にインカムを付けた運営の男達。
そのどれもが無言のままリングを包囲するように
銃口をこちらへと向けていた。
一つ、また一つ。
スライドの音が、次々と鳴り響く。
金属が擦れ合う乾いた音が
異様な緊張を場内に張り巡らせる。
そして
指揮官と思しき男が、怒号のように声を上げた。
「撃て──ッ!!」
一斉に、銃火が迸る。
火花と発砲音が重なり
怒涛のようにリングへと弾丸が殺到する。
その刹那。
「無駄だぜ」
ソーレンの口元が歪む。
次の瞬間
二人の周囲に、見えない壁が展開された。
空気が歪み、銃弾が触れた瞬間
軌道を止めて宙に絡め取られる。
重力の壁。
密度を操作し
空間そのものを押し返すような防壁だった。
弾幕をものともせずソーレンは片腕を振り抜く。
その瞬間、銃弾の向きが変わり
重力のベクトルを纏って逆流する。
「ッ──!」
銃を放った者達に向けて
自身の放った弾が倍の速度で返された。
しかも、それだけでは終わらない。
「⋯⋯参ります」
時也が静かに口にすると掌に再び護符が現れた。
指先で払われた護符が舞い
空中に無数の桜の花弁が咲くように広がる。
重力の奔流に、刃の花弁が混ざる。
ソーレンが放った銃弾の嵐と、時也の花弁が
まるで嵐の双翼のように敵陣を飲み込んでいく。
「ッぐああああッ──!」
「うわ、あああっ!」
花弁は皮膚を裂き、銃弾は肉を抉る。
リングを囲んでいた者達は
悲鳴を上げながら次々に倒れていった。
その嵐の中心にて、時也が煙の向こうから
ソーレンの方へ顔を向けて言った。
「久しぶりの貴方との組手──
楽しかったですよ」
時也は微笑み
袖を揺らしながら姿勢を崩さずにいる。
「へいへい。
⋯⋯どうやら俺は
まだまだ甘いって事が解ったよ」
時也の笑顔に調子を狂わされるように
ソーレンは頭を掻いた。
「ふふ。では、ここからが本番です。
貴方が最も得意とする〝破壊〟です。
存分に──暴れましょう」
「⋯⋯なんか、お前⋯⋯
珍しくテンション高ぇな?」
「滅多にありませんからね。
こういう〝合法的な破壊〟は──」
時也がそう言った時、リングの床が再び揺れた。
足元から植物の蔓が勢いよく突き上がる。
それは天井まで伸び
鉄筋をへし折り、照明を引き裂く。
ソーレンはその隙に前方へ跳び壁に駆け上がると
接近してくる私兵の肩を踏み台にして跳躍
空中で身体を回転させながら
鉄骨へ全力の蹴りを叩き込んだ。
鈍い音と共に、梁が軋む。
天井の一角が崩れ落ち、粉塵が舞う。
床、壁、天井──
あらゆる箇所に蔓が這い
花弁が舞い
重力が歪む。
この空間は、もはや〝各闘技場〟ではなかった。
─〝戦場〟だった─
二人が自らの意志で変えた、破壊と制裁の場所。
そして、その中心には
微笑みながら着物を揺らす男と
獣のように暴れる長身の男が立っていた。
破壊は──まだ始まったばかりだ。




