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『紅蓮の嚮後 〜桜の鎮魂歌〜』優しさほど深く壊れる、美しき地獄の異能譚   作者: 佐倉井 鱓
記憶を喰らう者

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第136話 動と静

異様な空気が

地下の闘技場を包み込んでいた。


リングの上には、戦い慣れた若き猛獣と

静かに構える、異端の闘士。


場内はざわついていた。


賭け師達が騒ぎ立て

酒に酔った観客が声を張り上げていた。


「なんだぁ、あの服!?本気かよ!」


「お上品な坊ちゃんの来る場所じゃねぇよ!」


だが、賭け札は一方的だった。

ほとんどの札がソーレンに振られていた。


闘技場の常連であり、負け知らずの暴風。


誰もがその拳と蹴りで

地を揺るがせる姿を知っている。


だが、その中でたった一人──

この〝静かに立つ男〟の力を

知っている者がいた。


ソーレン。


その場で唯一、誰よりも──

この男の強さを、深く知っている者。


「⋯⋯来ないのですか?」


時也の声は、まるで風のように静かだった。


しかしその一言が

張り詰めた糸をピンと震わせる。


「は!煽っても──無駄だぜ⋯⋯っ」


ソーレンは口元を歪めて応じた。


だが、その声の裏に

ほんの僅かな警戒が滲んでいた。


時也は微笑すら浮かべたまま

ただ静かに息を吐いて目を閉じる。


再び、鳶色の双眸が見開かれた

その瞬間──空気が変わった。


場内のざわめきが──ぴたりと止んだ。


何も変わっていないはずなのに

なぜか誰も声を上げなくなった。


目の前に立つ男が放ったのは──

狂気にも似た、凪のような〝殺気〟だった。


冷たいが、澄み切っている。

澄んでいるが 、底が見えない。

清冽な──殺意。


それは、怒りでも憎しみでもない。


ただ、必要であれば躊躇なく〝殺す〟という

意志の静かな発露。


(⋯⋯そうだった)


ソーレンは、口元だけで笑みを浮かべる。

だが、指先はじんわりと汗ばんでいた。


(コイツは⋯⋯例え身内だろうが

殺気を向けることを何とも思わねぇ男だったな)


以前、自分が放った言葉が脳裏に蘇る。


「鍛錬とはいえ

身内にガチで殺気向けるのって難しいんだよ」


──あれは甘えだったのか。


いや、優しさかもしれないとすら思っていた。

目の前の男は、そんな男だ。


(⋯⋯叱咤ってやつかよ)


甘えれば、潰される。


殺されることはない、なんて思ってかかれば

その瞬間で終わる。


時也の立ち姿は

まるで水面に佇む影のようだった。


どこにも隙はない。


柔らかく、しなやかで

だが鋼の芯を秘めている。


「⋯⋯舐めんなよ?」


ソーレンは

肩の力を抜きつつ、構えを少し低くした。


膝を柔らかく弾ませ、重心を落とす。

その顔には、僅かに笑みが残っている。

だが、その目だけは──獣のものだった。


観客は息を呑む。


闘技場の空気は

刃の切っ先のように張り詰めていた。


いつ、どちらが動くか。


誰にも予想がつかない

完璧な静寂と静止の睨み合い。


それは本物の戦いの始まりを告げる

たった一拍の、永遠のような──間だった。


「──始めッ!」


再び、鋭く乾いた声が場内に響いた。

その瞬間、世界から音が消える。


息を呑む観客

揺れる空気

汗の匂い


全てが、時也とソーレンという

二つの存在に吸い込まれる。


リング中央、最初に動いたのはソーレンだった。

前傾姿勢から踏み込み、瞬時に距離を詰める。


左足で床を蹴り、右の拳を低く構えながら

そのまま崩しのタックルに入る構え。


フェイントを入れて、上段の拳が来ると思わせ

身体ごとぶつかるように──


「──っ!」


だが、その一瞬。


時也の身体が

まるで水の流れのように斜めに捻じれた。


ソーレンの突進が、空を切る。


(躱された──!?)


だが、回避だけでは終わらない。


そのまま時也の右手が

ソーレンの肩口をそっと押すように添えられる。


一切の力みがない。

だというのに──


「っ⋯⋯!」


体勢を崩された。


突進の慣性を逆手に取られ

ソーレンの身体が僅かに泳ぐ。


(ち⋯⋯っ!

動きの流れを〝崩す〟──

相変わらず厄介だなっ!)


咄嗟にソーレンは後方に受け身を取り

間合いを取り直す。


膝を擦り、汗を拭う間もなく再び前に出た。


今度は、右ロー。

膝横の腱を狙い、回し蹴りを低く放つ。

弧を描くその一撃は鋭く、容赦がない。


「ふっ⋯⋯!」


時也は前足を後ろに引き

体重を乗せたまま軽やかに、その一撃を躱す。


だがそれは、ただの〝回避〟ではない。


ソーレンの踏み込みの癖を見抜き

回し蹴りの終わり際に間合いが空く一瞬を読み

体幹を捻りながら

逆にソーレンの蹴り脚を左手で──捕らえた。


(──速ぇっ⋯⋯!)


そのまま、倒される──そう思った。

だが、ソーレンもただでは終わらない。


右脚を捕まれた状態で体を捻りながら

左の肘で時也のこめかみを狙う。


視界が揺れても、攻撃を止めない。

これは野獣の勘──ソーレンの本能。


だが、その攻撃はまたしても

指先ひとつの操作で弾かれる。


時也は肘の軌道を読むと

肩を落として重心を逃がしつつ

ソーレンの腕を内側から払い

肘と肩の〝関節の遊び〟だけで力を逃がす。


(まるで、紙一重──いや、紙の〝端〟だ)


ソーレンは理解している。

この男は〝技〟ではなく〝理〟で動いている。


力をぶつけるのではなく

相手の動きに答えを返すように動いてくる。


それが、時也──


受けて流し、崩して制す。

だからこそ。


「なら──止まるな、俺ッ!」


足が動く。

拳が閃く。


肘打ち、膝蹴り、フェイントからの崩し打ち。


流れるように技を繋ぎながら

接近戦の泥沼へと持ち込む。


リングの上で

二人の動きが閃光のように交差する。


一撃一撃が

致命ではなく〝牽制〟と〝崩し〟の応酬。


音を立てる殴打の中で、観客達は気付く。

これは、ただの戦いではない。


技と本能の会話だった。


観客席は、もはや誰も声を上げていない。


無音の中

ひとつの踏み込み

ひとつの捻り

ひとつの呼吸。


それらすべてに意味がある。

二人はまだ、互いを見定めている。


まだ、決着には早い。


それでも、観る者の誰もが確信していた。

これは、もはや地下闘技ではない。


〝神域の一歩手前の──命の交わり〟


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