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『紅蓮の嚮後 〜桜の鎮魂歌〜』優しさほど深く壊れる、美しき地獄の異能譚   作者: 佐倉井 鱓
記憶を喰らう者

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第135話 確認

闘技場の喧騒が

ようやく落ち着きを取り戻す深夜過ぎ──


倉庫の裏口

薄暗く錆びついた鉄扉の影に

一人の男が立っていた。


艶のある黒褐色の髪に、乱れ一つない着物姿。


場にまるで似つかわしくないその佇まいに

誰一人として声をかけようとは思わなかった。


その空気が、圧と気品で張り詰めていたからだ。


時也は腕を組んだまま静かに待っていた。

扉の向こうから、戦いを終えた男達が出てくる。


酒に酔った声。

勝者の誇り、敗者の怒り。

それらが混ざった匂いの渦の中──


ようやく⋯⋯彼が現れた。


背は高く、肩で風を切るように無言で歩く姿。


ぶっきらぼうな面影を残したまま

ソーレンが群れを抜け、歩いてきた。


「⋯⋯ほんと、なんで来やがったんだよ⋯⋯」


苦々しげに呟いた声は

明確な非難よりも、照れに近いように見えた。


だが振り返ることもせず、そのまま歩き続ける。

時也はそれに合わせるように歩き出した。


あくまで自然に

何もなかったようにソーレンの横に並ぶ。


二人の歩む先は──

静かに夜の街を抜けて、喫茶桜の方角だった。


月は高く、白く

街灯を照らすように通りを染めていた。


「ふふ。

お疲れ様です。格好良かったですよ」


時也の声は、穏やかでどこか嬉しげだった。


ソーレンは一瞬だけ眉をひくつかせたが

言葉にはせず、ただ短く言い捨てた。


「⋯⋯うるせぇ」


それきり、もう何も話さなかった。


何も言わない。

けれど、それでもいい。


どうせ全部、心の中まで読まれているのだろうと

ソーレンは思っていた。


語らずとも、知られている。

怒りも、焦りも、恐怖も──


だからこそ、何も言いたくなかった。


それでも。


「言ってくだされば

いつでもお付き合いしますのに──」


その言葉に、ソーレンはわずかに足を緩めた。

視線は前のままだ。


けれどその眉間には、別の色が浮かんでいた。


「鍛錬とはいえ

身内にガチで殺気向けるのって難しいんだよ」


言葉は、かすれるように出た。

けれどその響きは先ほどの罵声とは違っていた。


「最近、ハンターが増えてやがる⋯⋯

勘を鈍らせる訳にはいかねぇからな」


その言葉に、時也は僅かに頷いた。


闘う者が持つ感覚──

命を懸けた場所でしか

研ぎ澄まされない、本物の生と死の気配。


それをソーレンは夜の闘技場でしか養えないと

思っているのだ。


それは、誰にも言わず、誰にも見せずに──

ただひとり

自分の役目として背負い込んだ覚悟だった。


夜風が静かに吹く。


二人の歩く足音だけが

月下の石畳に吸い込まれていく。


その背中には、何も語らずとも通じ合う

守る者と、支える者──静かで強い絆があった。


「⋯⋯本当に、水臭いお人ですね」


時也の声は、夜気に溶けるように柔らかかった。


彼は着物の袂から煙草の箱を取り出し

一本を口に咥えると静かに火を灯す。


赤く燃える先端が月明かりの中で仄かに揺れた。

そして、もう一本──ソーレンの前に差し出す。


「⋯⋯歩き煙草はしねぇんじゃなかったか?」


横目に睨むようにしながらソーレンが受け取る。


口元には棘があるが

その手つきは、受け取り慣れていた。


「ふふ。

人通りがまったくない今は、別でしょう?」


そう言って、時也は軽く煙を吐く。

それは淡くどこまでも静かな夜に似合っていた。


ソーレンは鼻を鳴らすと、煙草に火をつける。


その仕草すら、どこか気怠く

けれど満たされたようなものだった。


「⋯⋯ま。今度また、組手の相手しろよ」


「えぇ、喜んで」


短いやりとり。

だが、それで十分だった。


二人は並んで歩き出す。


肩と肩が触れぬ微妙な距離を保ちながら

確かに隣を歩いていた。


喫茶桜の暖かな灯りが

ゆっくりと近付いてきていた。



そしてまた、別の夜。

ソーレンは、そっと自室の扉を開ける。


呼吸を押し殺し

足音ひとつ立てずに廊下を渡ってゆく。


部屋を出て廊下を進むと

時也とアリアの部屋の扉に、耳を寄せる。


(⋯⋯今夜は、来ねぇよな)


音はしない。

気配も、反応もない。


ようやく安堵を胸にソーレンは外へ出ていった。


そして──

その夜もまた、地下のリングで勝ち進んでいく。


静かに、鋭く、無駄のない動きで

一人また一人と

相手を地に伏せていくソーレンの闘いは

もはや鍛錬ではなかった。


それは確認──

今の自分に何ができるのか、何が足りないのか。


自分自身の中の

闇と誇りとを向き合わせるための儀式だった。


「続いての挑戦者ァ──ッ!」


場内に再び響くコール。


いつものように

リング中央でソーレンは汗を拭う。


そして、対戦者の入り口から姿を現したのは──


「⋯⋯は?」


藍色の着物姿。

左右の袖を襷で綺麗に束ね、整った黒褐色の髪。

端整な面差しに、静かで落ち着いた笑み。


──時也だった。


「⋯⋯なんで、いんだよ⋯⋯」


目を見開いたソーレンが、呆然と呟く。

まるで、あり得ないものを見たかのように。


それでも

相手は笑顔を崩さず、静かに頭を下げた。


「ふふ。

先日、受付を済ませておきました。

よろしくお願いいたしますね?」


その口調はいつもと変わらぬ穏やかさだったが

目には確かな覚悟が宿っていた。


リングの中心で

二人の間に張り詰めた空気が走る。


ソーレンは、思わず口の中で舌打ちした。

息が詰まる。


(ふざけんなよ⋯⋯っ!

来んなよ──マジで⋯⋯!!)


怒りに似た感情が

喉の奥からじわりと湧き上がる。


それでも逃げることは、もうできない。


時也は、一礼しながら静かに構えた。


上段に手を置き、腰を落とし

体の中心に意識を集める──合気道の構え。


対するソーレンは

脚を広げ、両拳を肩の高さに構える──

総合格闘技の構え。


突き、蹴り、投げ──すべてを許す実戦の姿勢。


「⋯⋯始めッ!」


審判の合図が会場に響く。

しかし、どちらも直ぐには動かない。


探るように視線が絡み合い

静かな緊張がリング全体を支配する。


──これは、戦いではない。


言葉の代わりに拳で語る、沈黙の対話だった。

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