第133話 神の遺骸を狩る者
フリューゲル・スナイダーの名の下に
アラインは初めて〝狩り〟を放つ。
部下達は既に〝狩人〟の精鋭として
育ちきっていた。
ただの暴徒ではない。
命令には忠実で、己の命すら惜しまぬほどに
彼に従順な〝兵器〟たち。
アリアを狩るためにはそれでもまだ足りないと
心では理解していた。
だが──〝完全〟など待っていられなかった。
時間は無限にあるようでいて、永遠ではない。
何より彼の魂を焦がすものは
復讐の業火であり
それは日増しに胸を灼いていった。
アラインは彼らに命じた。
「⋯⋯行きなよ。
今度こそ〝翼〟を狩ろうか。
あの女の血も、涙も、全部ボクのものになる。
さぁ、思い出すんだ──キミ達は狩人。
この世界に唯一、神の遺骸を狩る者達だ」
その声に疑念はなく、嘘はなかった。
彼らの記憶に深く植え付けられた真実として
アラインの言葉は
そのまま信仰へと変わっていく。
誰もが、自らを獣だと信じていた。
誰もが、彼に牙を授けられたと信じていた。
ならば、次は──翼を狩る番だ。
あの丘の上に咲く
紅蓮の桜を護る不死の女。
アラインの前世を焼き尽くした
その女の命を
今こそ、この手で終わらせるために。
彼は数十人規模のハンター部隊を
一気に街へと放った。
無論、正面から差し向けたわけではない。
「アリアという存在は〝規格外〟なんだよ。
だからこそ、正攻法では決して届かない」
アラインは、冷静だった。
慎重で、周到で、何より──
神経質なまでに、破綻を嫌う。
まず、ハンター達に
〝狩人である〟という自覚を薄れさせた。
身分も過去も記憶の中に埋め込み
代わりに街の住人としての仮初の人生を与える。
教師、商人、鍛冶職人、旅の薬師──
それぞれが
それぞれの〝役割〟に馴染んでいく。
この街には
古くから〝桜の丘には近付いてはならぬ〟──
という因習が残っている。
ならば、丘への侵入を果たすためには
まず〝街そのもの〟に溶け込むしかない。
人の記憶は、複雑で、厄介だ。
アラインの能力でも
街全体を一度に書き換える事はできない。
ならば、時間をかけて外から侵食する。
それが彼の戦略だった。
だが──
数日が過ぎ
数週間が過ぎ
やがて一月が経とうとしても
誰一人としてアラインの元へは戻らなかった。
「⋯⋯アリアに、葬られたか」
初めこそ、そう結論づけた。
他に理由はない、と。
それほどに、彼女は異質だった。
前世を知るアラインの目にすら
理解不能な存在だった。
だが──彼はまだ知らない。
あの時、丘の周囲に広がる森の中に
焔も刃も持たぬ一人の〝少年〟がいたことを。
幼く、痩せたその少年は
己の拳と〝重力〟だけを武器に
アラインの放ったハンター達を──
一人、また一人と狩っていった。
名も無き獣のように。
気配を殺し
足音を消し
森に潜みながら
〝翼を狩る者たち〟を
静かに、一匹ずつ間引いていった。
アラインにはその存在の影は届いていなかった。
自分以外にも
能力を持つ者の存在を知らなかった。
ただ
彼の元に〝帰らぬ者達がいる〟という事実だけが
冷たく突き刺さっていた。
だが、そこに怒りも哀しみもない。
あるのは、ただ理解だけだった。
あの女は、規格外。
神に近い理の外にある存在。
この程度の狩りで仕留められると
本気で信じていたわけではない。
だが、少しの期待はあった。
その期待が、見事に粉砕されたというだけだ。
ならば、次は──
もっと厳しく、より強く鍛えねばならない。
フリューゲル・スナイダーは
再び締め付けられた。
冷たく、静かに
そして、確実に恐怖で統治される組織へと。
アラインの恐怖政治は
今や揺るぎないものとなっていた。
誰もが彼を〝王〟と崇めながら
同時に、何よりも〝彼の怒り〟を恐れていた。
事実として、誰も逆らわなかった。
なぜなら──
逆らった者がどうなったかを
見た〝記憶〟が彼ら全員に刻まれていたからだ。
アリアという怪物に挑むためには
一人たりとも無駄にはできない。
だからこそ、記憶を植えつける。
逆らえば無惨に殺される──
という恐怖を、現実のように刻み込む。
それで十分だった。
⸻
そして今──
アラインは、再び丘を見つめていた。
その眼差しには、昔ほどの激情はなかった。
それがより恐ろしいことだった。
激情ではなく、熟した冷酷さ。
冷めた果実のように、ただ静かに燃えていた。
伏せていたアースブルーの瞳が
まるで記憶の底から戻ってくるように
ゆっくりと開かれる。
その視線が捉えるのは──〝喫茶桜〟
アリアと──
厄介な〝あの男〟が築いた新たな城。
〝櫻塚時也〟という存在のせいで
アリア狩りは更に困難を極め
アラインは既に齢五十二を迎えていた。
「⋯⋯さて、今夜は引き上げるよ」
そう言って、アラインはゆっくりと立ち上がる。
どこか気怠げで
それでいて完璧に洗練された仕草だった。
部下がひとり
血塗れのまま四つん這いで震えている。
顔には深い恐怖の色が浮かび
震えが止まらない。
「⋯⋯あ
その椅子は、処分しておいてね?」
指先でふわりと指示を出す。
それは笑いながら命を終わらせる者の声だった。
部下達は無言で頷き、処刑の準備に取り掛かる。
一人が口を塞ぎ
もう一人が首を抑え
そして静かに
大太刀の刃が影を走らせる。
何を言おうと無駄だ。
懇願も悲鳴も──
〝王〟の前では誰の心も動かさない。
「⋯⋯っやめっ、お願い⋯⋯!
俺は⋯⋯違っ⋯⋯っ!」
「はいはい、静かに。
ボクは今──余韻に浸りたいんだ」
背中越しに響く悲鳴と、血の匂い。
それは、アラインの
〝冷酷〟という名の演出。
如何に記憶改竄で恐怖に縛り付けようと
欲とは時にそれに勝る。
普段は殺しなどしないが⋯⋯
時には〝本物〟の見せしめも必要だ。
現実に処刑が行われたという事実を
目撃者として
部下たちに植え付けるためだけに。
アラインは部下の視線を感じながら
壮年の本来の姿を
若々しい前世の姿の仮面で覆い隠し
まるで舞台の主演のように
夜闇の中を歩いていく。
静かに、優雅に、冷たく。
美しい冷笑を浮かべながら
闇に溶けていったその背に
誰も声をかけようとは思わなかった。




