1-2 intro 未来
「……そんな」
安らかに目を瞑るお爺さんの言葉に、私はなにも返すことができなかった。
私はカセットテープの逆再生のように、霧散させた扉をホロパネルの操作で元に戻す。
かつかつ、と自分の足音だけが嫌に響いた。一人で歩く廊下は、やたらと広く思える。
病院を出た瞬間、私は純白の壁に両手をついた。
「意気地なしだな、私って......」
なにか励ますことを言いたかった。表面的でも良い。何か甘い言葉を投げかけたかった。これから命を預かる相手を前にして、何も返せなかった自分が不甲斐なかった。
「悩むくらいなら、やめちまえ。どうせ失敗するんだから同じだろよ」
「っ!そんなことない、ハゼ...」
横柄な態度を取る冴えない男は、ハゼという。一応私より5歳年上だが、何事にも真剣に取り組んでいるところを見たことがない。それゆえか、目上として見ることに抵抗がある。
「『タロスの霊薬』に頼るってのもいいんじゃねぇか?どんな傷や病気だって治せるんだろ?」
「私じゃ無理なら、『タロスの霊薬』を探す……」
「アホ、そんな夢物語みたいな薬があるわけないだろ。本当に何でも治せるなら、俺たちなんていらねー。都市伝説の類だって分かれよ」
ハゼが両手を肩の上に掲げ、私は表情で不満を表する。『タロスの霊薬』とは最近噂になっている薬だ。曰く、飲むだけで傷病を全て完治させてしまうという。本当ならばタダじゃ済まない代物だ。開発した人は死後も傑物として讃えられるであろう。
「まぁ、経験を積むための手術ってのもいいんじゃねえか?じいさんの生き血を啜ってお前が上達すれば、救える人間も増えるだろよ」
看過しえない言葉が聞こえた。私はハゼの正面に回り、その飄々とした顔を睨みつける。白衣を纏った小さな私は、相手を威圧するには心もとなかった。
「......ふざけないで」
「あ?」
「まだ助かるでしょ。あのお爺さん」
思ったより低い声が出た。
「そりゃ今は生きてるけどよ。どうせ長くは――」
「だからって!」
ハゼがわずかに眉を上げる。自分でも驚いて、私は一度唇を噛んだ。
「......だからって、諦めたような考えはまだ早いよ」
「本人がそう言ってんだろ?」
「それは......」
言葉に詰まった。
そうだ。
お爺さん自身が、もう終わりだと言った。
私が何も言葉を返せなかったのは、終わるという意思を尊重してしまったからかもしれない。
「関係ない、見捨てられないだけなの。誰が諦めていたって」
「そうかよ。なら止める道理もねぇ」
私はざりっ、と靴を滑らせる。視界の端では4681という数字が変わらず点灯していた。
「そうじゃなきゃ、私がここにいる意味がない」
****
手術室の中央には、人ひとりが横になれるほどのキュービットで成形された槽が置かれていた。
その中を満たしているのは、水ではない。
無色透明の薬液。
粘度が高く、指を入れれば蜂蜜のようにまとわりつく。お爺さんの身体はその中へ完全に沈められ、呼吸器だけを口元に接続されていた。
「生体情報、スキャンして」
私が口頭で指示を出すと、無機質な電子音が鳴る。直後、お爺さんの身体を囲むように幾つものホロパネルが現れた。
心拍、血圧、血中酸素濃度。
それに、身体の内部を再現した精緻な立体映像。
私が手を動かすより先に、コンピューターがお爺さんの身体を診ている。
手術では、人間が何十年も経験を積んで、感覚だけを頼りに刃を入れる必要はない。
ぽんっ、と。柔らかい電子音と共に光の線が人体に呈示される。
コンピューターが患者の状態を読み取り、その都度最適な手順を提示してくれたのだ。あとはその動線を正確になぞるだけ。
だから、私みたいな経験が浅い十五歳の子供でも――緻密な人体にメスを入れられる。
「......便利だけど、こうして考えると怖いよね」
「今さらかよ」
「うるさい」
私は薬液の中へ両手を沈めた。
粘度の高い液体による抵抗が手袋越しに伝わってくる。
『手術を開始します』
お爺さんの腹部になぞられた、5cm強の細い光の線を確認する。
『切開位置を確認してください』
「確認」
『切開深度、三・二ミリ。表示された経路からの逸脱を二ミリ以内に維持してください』
「了解」
大丈夫。私はマスクの下で深呼吸をする。
コンピューターが示す通りにやればいい。表示されたら切り、止まれと言われたら止まる。そして、次の指示を待つ。
ただ、それだけのことだ。
『切開深度、三・一ミリ』
もう少し。
『三・五ミリ。〇・五ミリ戻してください』
「あっ」
慌てて手を戻す。
『適正位置です』
「…………」
「下手くそ」
「〇・五ミリじゃん!」
「機械に直されてんじゃねえか」
「うーるーさーい!」
『執刀中の会話を控えてください』
今度は二人して黙った。
****
手術は淡々と進んだ。
コンピューターから指示が出る。私がその通りに手を動かす。間違えれば修正され、正しければ次の工程へ進む。
『腫瘍周辺部へ到達しました。切除範囲を表示します』
「了解」
お爺さんの身体に新しい光の線が走った。私は器具を持ち替え、その動線を慎重になぞっていく。
『正常』
少し進める。
『正常――警告』
「っ!」
けたたましいアラームが鳴った。私は反射的に手を止める。
『術前情報との差異を検出。再走査を実行します』
「うそ......私、何かやった?」
「動かすな。今調べてる」
数秒後、立体映像が更新された。
腫瘍の一部が、すぐ隣を走る血管にまで食い込んでいる。
『現在の切除経路を破棄します。代替術式を算出します』
私は黙って待つ。こうなってしまえば、私にできることはない。
何を切って、何を残すのか。緻密でブラックボックスな部分も多い人体を判断できるほど、私は聡くはない。
『代替術式を算出しました。血管を一時遮断し、浸潤部を切除後、血管を再建します』
生々しい創傷に、新しく光の線が表示された。
「成功する確率は?」
数字が表示される。無難に終わるとは言い難い数値。
「どうするよ?」
ハゼが私を見る。
お爺さんの言葉が頭をよぎった。
『ワシの人生はここで終わりじゃ』
「......続ける」
「一応聞いとくが、なぜ?」
怖くないわけがない。
でも、頭に浮かんだ答えは至ってシンプルだった。
「まだ助かる可能性があるなら、やる」
「へっ、ぶれねぇな」
私は器具を握り直す。
『術式変更を確認しました』
再び光の線が引かれる。
そこから先も、私がやることは変わらなかった。
切る。止める。器具を持ち替える。
コンピュータの指示を、一つずつこなしていく。
途中、二度ほど動線を外れて警告された。
『血管再建、完了』
「……」
『活動性出血なし。閉創工程へ移行してください』
最後の動線が表示される。それをなぞり終えると、お爺さんの身体から光の線が消えた。
『生体情報、正常範囲内』
心臓が動いている。呼吸もしている。
『手術を終了します』
「......終わった?」
「ああ」
私は薬液から両手を引き抜いた。
途端に、指が震え始める。
「...よかったぁ」
「患者より先にへばるなよ」
「今くらいいいじゃん......」
槽の中では、お爺さんの胸が静かに上下していた。
****
いまだ経験したことのない大手術を終えた次の日。珍しくハゼに労われ、私は病室に向かう。お爺さんはベッドから上半身だけを起き上がらせていた。
「手術しても、結局長くは生きられなさそうじゃの」
「そ、そんな……」
「冗談じゃ」
「紛らわしいですね!?」
ベッドのお爺さんが、しわだらけの顔で笑った。
昨日までとは違う。それだけで、私はなんだか嬉しくなった。
「誇れよ」
「?」
お爺さんが私の方を見る。
「ワシが無理だと思っていたことをお嬢ちゃんはやってのけた」
「っ!」
「諦めなければ、どうにかなる時もあるんじゃのう」
「......大袈裟ですよ」
私は両手の指を背中で絡ませながら、はにかんだ。
昨日は返せなかった言葉に、ようやく返事ができたような気がした。
「お嬢ちゃんもじゃぞ」
「私?」
「そんな辛気臭い顔ばかりしとらんで、やりたいことをやればええ。まだ何者にもなっていないんじゃから」
「……」
「未来があるんじゃ。先なんぞ、まだまだ長い」
胸の奥に、ちくりと痛みが走った。
「......はい」
私は笑って答えた。
病室を出る。今は手術が成功し、患者が助かったことを喜ぶべきだと思った。
「ふふ......諦めなければどうにでもなる、か」
信頼する人間の言葉というのはまして影響力があるものだ。それが共に死線をくぐった(私は死線に落とさないようにする側だが)なら尚更。
そう思った、その時だった。
視界の左端で、数字が切り替わる。
4680。
「…………」
私は立ち止まった。手にしていた容器がごとん、と床に落ちる。私はそれをしばらく拾えなかった。
『未来があるんじゃ。先なんぞ、まだまだ長い』
私は病室でお爺さんに投げかけられた言葉を思い出していた。
「......未来って、なんですか」
誰もいない廊下で、声だけが落ちる。
「私、知らないです」
今のように減ることはあっても、一度も増えることは無かったこの数字。
これは私の余命である。
このカウントが0になった時、頭のちょうど後頭部に埋め込まれている装置が動かなくなる。
その装置の役割とは、傷ついた脳みその補助。
それが止まれば、私は意識を失う。
そして二度と目を覚まさない。
私は落とした容器を屈み、拾う。きっと私はこれからも数字が減る度にこうして立ち止まる。
それでも無情に過ぎる時間は、私を待ってはくれないのだった。




