1-1 intro 4681
切っ掛けは来訪だった。
石ころ一つが遠くから飛んできた。
我々はその石ころを貴重だと思い、よく調べた。
その石ころは、銀河を揺蕩うプランクトンに等しい我々にとって、神が放った一投に思えた。
NASAのワシントン基地は驚嘆の嵐に包まれた。好奇心と熱気、そして未知への恐怖というそれぞれ色が違う感情が混ざり合い、解き明かすという一つのエネルギーを生み出していた。
それほどまでに凄かった。この何光年も先の宇宙から飛来した隕石は、常識を覆す特性を持っていた。
地球人たちは、隕石を加工・鋳造し、人間の利になるよう作り替えた。
かくして、『キュービット』が出来たのは、今から70年も前のことである。
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鏡に映った私の姿を確認する。
色素の薄い、ビー玉のような双眸と目線が合う。
「うわ……グロ……」
小柄なのもあるけど、頬に通う血の色は薄いし、瞼までかかる前髪はぐちゃぐちゃ。唇にも肌にも精気がない。控えめに浮き出た鎖骨が、青白い肌に影を作っている。
自分が生き物だという証明をするには、いささか精悍さが足りなかった。プラスチックで出来た人形でも幾ばくかマシな造りをしているだろう。
「……私、こんなに不健康だったっけ」
夜十一時、天蓋の明かりはとうに消えていた。わずかながらの自然光が、暗くてコンパクトな部屋に差し込んでいる。
さて、私には他人と異なる点がふたつある。
「なんでこんな、変な髪の色なんだろ」
私は墨汁に蒼を一滴垂らしたような黒髪をかき分け、後頭部のみがシルバーの髪を房にして持ち上げる。このヒナゲシ区に住む人間で、私のような黒と銀に分かれている髪色というのは見たことがない。
「もういっそ、根元からばっさり切ってやろうかな...いや後で後悔しそう」
奇異の視線で見られるのは一度や二度では無い。持ち前の黒髪と混ざるのを見ると、こう胸の部分がモヤモヤする。だから私は黒と銀を赤いゴムバンドで分ける――いわゆるポニーテールにしているのだ。部屋の中でも、お風呂と寝る時以外は基本解く事が無い。
もうひとつは、視界の左端に映る、これ。
「よんろくはちにー、か」
4682。
デジタル表記で表されたこの数字。どんな時でも視界の隅に鎮座し、消すことが出来ない。目を瞑っても、寝起きで視界がぼやけていても、この数字が消えることは無い。
「これでも最初は10000あったんだよね...…早いなぁ」
そんな事を考えていた時だった。不意に数字が4681に変わった。
「っ!」
たった一つ。
ただ数字が一つ減っただけなのに、鼓動が速くなり、息が浅くなる。胸の奥が強張って、うまく息を吸えない。視界を横断するように、見えないプラズマが迸る感覚に襲われる。
「くっ...」
がたん、がたんと、部屋のインテリアを倒しながら私は浴室に移動し、澄んだ水を自分のやつれ顔に勢いよく浴びせる。水は刺すほど冷たいはずなのに、頬に血が通う感じがした。
「ハァッ……ハァッ……」
鏡の奥の自分は憔悴していた。
「また1減った。もうずっとずーっとこれだ。もうやだっ!」
大仰で奇矯な仕草を取りながら、自分で自分に言い聞かせる。場違いな鼓動はペースを戻し、どうにか平静を取り戻す。
大きく息を吐いて、窓まで歩く。狭い部屋だが物が少ないためすぐに着いた。
意味もなく外を眺める。昼間より明度が下げられた街の姿はさりとて変わらず、広がっていたのはいつもどおりの光景だった。
空を舞う無数の白いキューブ。『キュービット』と呼ばれるそれが欠けた建物の継ぎ目に群れを成して向かっていた。まるで空中を泳ぐイワシの大群だ。首を捻れば高層のビルが角から霧散していく。その傍らを白い直方体が通過していった。
空一面を覆う天井は大きな正方形の升目が目を凝らせば見えた。空を覆う蓋は水平線の先まで続く。
キュービットが支配する世界。未来永劫変わらない世界。それを見て私はぼやく。
「私、何も変わらないまま、死んじゃうの……?」
誰も聞いていない自白は、風とともに流れて行った。
私の名前はエス。15年生きただけの空虚な女の子。視界の端に固定されている死の運命に逆らうには、あまりに無力で矮小だった。
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夜が明け、タイルのように貼り揃えられた天井が光芒を取り戻す。次第に、夜間に無かったものが姿を現し始める。
「人が多くなってきた。今日は怪我人が少ないといいんだけど……って、危ない!」
窓から首を覗かせていると、一畳程の大きさにキュービットを固めて飛行する人と私の鼻がすれ違った。彼はその盤上に四角い荷物を載せている。どうやらその荷物自体もキュービットで覆われているようだ。
「空飛ぶのはいいけど、ちゃんと周りみろー!」
おそらく、彼の命題は荷物を輸送すること。手早く運ぶために陸路ではなく空路を選んだようだが、空中には区切りが無い分操作は乱雑だ。
右下を見れば、建物を囲むように人が複数人集まっている。 そのうちの一人が、空間に電子のパネルを呼び出し、何かを入力している素振りを見せる。
動作の終わりとともに、辺りに浮遊していたキュービットが、建物の横から生えるように吸着していく。直方体の建物と同じくらいまで伸長していったところで、根元からポキリと折れた。
慌てて周囲の人々がその場から退く。支柱を失った枝はゆっくりと降下していき、ずぅん……と音を立てて地面と衝突した。
「あちゃあ……いくら操作に慣れてるからって、ちょっとやりすぎだよ。」
私はぼやく。キュービットの操作に慣れていても、事故は起きる。特に私みたいなトロい人間は、咄嗟の操作を誤って大怪我をしかねない。
「さってっと……」
私もそちら側の人間なので、手元に電子のコンソールを呼び出し、予め足場を用意しておく。
「不肖エス、今日も元気に行ってきますっ……!」
そして窓枠に足を掛け、地上20mの高さから身を放り出した。
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ヒナゲシ区は、端的に言えば「発展の街」だ。
ここに住む人間が目的を持ち、街と個人が成長していくため、日々自らの命題と対峙している。
では、私の命題は何かというと……
「がたがたがたがた……」
私の命題は脱水中の洗濯機のように震えることだった。
「いやそんな事ないんだけどねっ!?」
私が一人でボケツッコミをすると、近くを通りすがる人がぎょっとこちらを向く。私は他人の視線が好みでは無い。バツの悪さとともに、私はそそくさとその場を離れる。
「お爺さんのだいすずちゅっ……大手術、失敗はできない」
私は履いている濃紺のジーンズの上から、裾結びになっている二本の袖をほどく。腰から垂らしたシミ一つないマントが白衣へと変貌する。私はレモン色のパーカーの上から白衣を羽織ると、乱立するビル群の中を縫い目のように歩いていく。
脳裏に病院内で交わされたやりとりの記憶がよみがえる。
「なあ、このじいさんもう長くないぞ?エスも分かってるだろ?」
「関係ない、本人が手術を望んでるんだから、私やるよ」
「失敗する可能性の方が高ぇぞ」
「大丈夫、私ならやれる」
私は生唾を飲み込む。
大小さまざまな形状をとったキュービットは、四方八方から往来を交差していく。私の横を通過していくキュービットは、いずれも対向から背後に流れていくものばかりだった。
「大丈夫、安心すれば、私はいける」
私はそう呟き、目的地の白い壁に手を当てる。現れた半透明のホログラム・ディスプレイに左手をかざす。途端に目の前の壁が1立方センチメートルの単位となり、左側へと砂塵のように流れていった。
足を踏み入れた病院は、普段と違わず微かなアルコールの匂いがした。白一色の病棟だが、無機質な重苦しさよりも潔白さがもたらす安心感を私に与える。天井に空いたスリットから、光のカーテンが差し込む。建物の輪郭は、そこだけ斑になっていた。
「おじいさん、来ましたよ」
私は仕切りの役割を果たしていたキュービットを風解させ、部屋主の人物と対面する。くたびれた様子のどこにでもいるような白髪のお爺さんは、私の顔を見ると落ち着いた様子で声をかけた。
「お嬢ちゃんか。今日の事はどうなっても気にするんじゃないぞ」
昨日の記憶が脳裏をよぎる。夕刻を示すオレンジ色の光が病室を照らす中、お爺さんは静かに笑っていた。
「お嬢ちゃんだけは健気に手を尽くしてくれているようじゃけどな、ワシの人生はここで終わりじゃ。自分の死に時は分かる。だから、手術が失敗してもお嬢ちゃんの所為じゃあない」
「……そんな」
安らかに目を瞑るお爺さんの言葉に、私はなにも返すことができなかった。
私はエス、15歳の医者もどき。自分が助けてもらったように誰かの命を救うには、私を構成する何もかもが未熟だった。
分相応な意気だけが、目の前の現実へと何も穿てずに空回りしていた。




