第23話 夜半の来訪者 (前編) (平安編 3)
結が寝起きをする局は、姫君に仕える女房が数人、雑魚寝で夜を過ごす相部屋だった。身分の高い女房たちは奥の壁際に休み、出仕したばかりの結は、戸に一番近い場所で眠るよう言いつけられた。
冷たい夜風を防ぐ盾のような役目も兼ねているのだと、先輩の女房に教わった。
最初の頃、小夜は男女はそう簡単に会えないものだと思い込んでいた。女が自分から男性に会いに行くのは、はしたないことだと教わったからだ。
ならば男が女のもとを訪ねるのも、はしたないことのはずだ――そう思っていた。
けれどその思い込みは、出仕してすぐに崩れることになる。
夜半、まどろみかけていた結の耳に、戸の向こうから低い声が届いた。
「式部丞と申します。中将の君はこちらにおいででしょうか。お取り次ぎを」
結は、飛び起きた。
――男の人が、来た。夜中に。
心臓が、早鐘のように鳴った。教わったのは、女は御簾越しにしか殿方と言葉を交わさないということ。それなのに今、戸のすぐ向こうに、殿方が立っている。取り次いでいいのか、それとも追い返すべきなのか、見当もつかなかった。
迷った末、結は隣で眠る女房の肩を、そっと揺すった。
「あの……すみません、起きてください」
「……ん、何」
「殿方が、中将の君を訪ねていらしていて。私、どうしたら」
女房は、寝ぼけ眼を擦りながら身を起こした。眠たそうな顔をされて、結は身を縮めた。
「ごめんなさい、こんな夜中に」
「……いいから、静かに」
女房は小さくため息をつくと、戸口へにじり寄り、几帳の陰から声をかけた。
「少々お待ちを。……式部丞様でいらっしゃいますね。ただいまお取り次ぎいたします」
それだけ言うと、女房は結を促して立ち上がった。暗い局の奥、几帳の連なりの間を、迷いのない足取りで進んでいく。結は、その背をただ追いかけることしかできなかった。
「中将の君。式部丞様がお見えです」
小さな声で告げると、几帳の内側から、衣擦れの音とともに、控えめな返事があった。
「――ありがとう。お通しして」
用が済んだと見るや、女房はまた戸口まで戻り、式部丞をその奥へと案内した。結は、少し離れたところで、ただそれを見送るしかなかった。
自分の場所に戻ってから、結は小さな声で尋ねた。
「今のは……何だったんですか。なぜ殿方が、こんな夜中に。取り次いで、良かったんですか?」
女房は、あくびを噛み殺しながら答えた。
「夜這いよ。殿方が、想う人の局を訪ねてくるの。当たり前のことなんだから」
「よ、夜這い!?」
「そうよ。私も、最初はびっくりしたけど。すぐに慣れるわよ」
そう言って、女房は横になり、あっという間に寝息を立て始めた。結だけが、まだ胸の高鳴りを持て余していた。
***
その夜は、それだけでは終わらなかった。
しばらくして、また戸を叩く音がした。今度は結の番だと、隣の女房に肘でつつかれる。
「あの、ご案内するので、少しお待ちください」
震える声で、戸の向こうにそう告げる。
「左兵衛佐と申します。小大輔はいますか」
小声で女房に確認すると、頷きが返ってきた。歓迎すべき相手らしい。
「少々お待ちください。ただいまお通しいたします」
見よう見まねで、聞き覚えた言葉を繰り返す。けれど、いざ案内をしようにも、暗い局のどこに小大輔が休んでいるのか、結にはまるで見当がつかなかった。
「あの……小大輔さんの場所が」
小声で助けを求めると、女房は小さく息を吐いて、また先に立って歩き出した。結は、今夜二度目の、案内役の後をついていく役目に徹するしかなかった。
そうこうするうちに、三人目の男が訪ねてきた。
「次は、一人でやってごらんなさい」
女房にそう言われて、結は震える声で戸口に応じた。名乗りを聞き、目当ての女房の名も聞き取った。けれど、やはり、どこにその人がいるのかがわからない。
「ごめんなさい、また、お願いします……」
情けなさを噛みしめながら、女房に助けを求める。三度目も、結局は後をついていくだけだった。
***
翌朝、兵衛――結の隣で眠るその女房は、そう呼ばれていた――は、あくび混じりに結に言った。
「私たちのような女房にはね、大事な役目があるの」
「役目、ですか」
「夜這いに来られた殿方の取次役よ」
「取次役・・・・それは、何をすればいいのでしょう?』
「昨夜やっていたことよ。まずは、どの女房がどこで寝ているか。それを覚えることね。最初は、そこから」
気が利く女房は、殿方が名乗る前から、案内できるらしい。
「〇〇様、お待ちしておりました」とこちらから声をかければ、相手の面目も潰さずに済む。
訪ねてくる相手によって、対応を変えることも覚えるべきだという。
歓迎すべき相手であれば、先輩の女房のもとへそっと忍び寄り、周りに気取られないよう小声で
「〇〇様がお見えです」とだけ耳打ちする。
逆に、先輩が苦手にしている相手や、身分に見合わない不躾な相手であれば、起こしに行くふりをして「あいにく、深くお休みで」と、やんわり体よく追い返す。
そういう盾の役目も、女房の仕事のうちだと。
訪ねてきた殿方が詠みかける歌の出来を、その場で見極めることも求められるのだという。
これが一番の難関だった。
「まぁ、見事なお歌ですこと」と褒めて取り次ぐことも、「そのようなお歌では、お通しできません」
と断る事も、求められる。
結は、絶対に無理だと思った。こんな高度で複雑なこと、全部いっぺんやるなんて、自分に出来るはずがない。
青ざめた結を見て、兵衛は小さく笑った。
「わかるわよ。私も、最初は出来ないって思ったもの」
「兵衛さんも……?」
「最初から出来なくて当たり前よ。私や他の女房も手伝うわ。だけど、小夜も女房の名前と寝ている場所くらいは、覚えてちょうだいね」
手伝ってもらえると知り、結の肩から少しだけ力が抜けた。だが、兵衛の口ぶりには、まだ何か引っかかるものがあった。




