番外編 市場の一日・後編 二十五デベンの棺 (エジプト編・番外編)
「おおい、結、メリト! ちょっと見てくれ」
タメクの古い知り合いだという初老の職人、ペンアメンが、市場の一角で得意げに手招きしていた。休みの日に作った、簡素な棺が一つ、ござの上に置かれている。
「これ、売り物なんですか」
「ああ。副業でな。腕のいい絵師に頼めなくても、質素な棺なら、こういう手作りので十分って客もいる」
値をつけると、ペンアメンは「二十五デベン」と即答した。買い手は近くの村から来たという中年の女で、腰に下げた袋を漁りながら、渋い顔で唸っている。
「銅なら、八デベン半しかない」
「なら、残りは何かで埋めてもらわんとな」
女は少し考えて、連れてきていた豚を指さした。
「この豚で、五デベンでどうだい」
「悪くない。あと十一デベン半、足りんな」
「山羊が二頭いる。こっちは三デベン、こっちは二デベン」
「合わせて五デベンか。まだ足りん」
女はしばらく考えた末、荷車に積んでいたシカモアの木材を二本、差し出した。
「これで、二デベンずつ」
メリトが横で指を折りながら計算を手伝う。
「銅八デベン半、豚五デベン、山羊が三デベンと二デベン、木材が二デベンずつで四デベン……全部足すと、二十五デベン半」
「半デベン、多いな」
ペンアメンがにやりと笑うと、女も苦笑した。
「そりゃ、まけてもらう分だと思っておくれ」
「まあ、いいだろう」
握手代わりに、互いの手のひらを軽く合わせる。銅の塊、豚、山羊、木材――一つの棺が、これだけ多様な品と引き換えに買われていく様子を、結はただ目を丸くして見ていた。
「すごい……全部、頭の中で計算してるんですね」
「毎日やってりゃ、覚えるもんさ」
ペンアメンはそう言って、片目をつぶった。
***
その直後だった。
「――話が違うじゃないか!」
市場の反対側で、女の悲鳴に近い声が響いた。声の主は、朝方メリトが警戒していた、川向こうから来た商人に品を渡した若い女だった。
「言っただろう、この布は上物の亜麻布だと。銅十デベン分の値打ちがあるってな」
「なのに、渡された穀物、量ってみたら半分もない! これじゃ話が違う!」
商人は悪びれもせず、肩をすくめていた。
「量り間違えただけだ。難癖つけるな」
騒ぎを聞きつけ、村の長老や、書記の一人が集まってきた。
「よし、その場で決着をつけよう。ここへ、証人と、量りを持ってこい」
「証人?」
結が尋ねると、メリトが小声で教えてくれた。
「この村には、揉め事を裁く寄り合いがあるのよ。親方や、職人頭、書記さんが集まって、証言を聞いて決める」
その場で急遽開かれた寄り合いに、結も証人の一人として呼ばれた。取引を間近で見ていたからだった。
「私は、その方が最初に『上物の亜麻布』だと言うのを聞きました。それから、穀物を渡す量が、話していたものより少なく見えました」
震える声だったが、結ははっきりとそう証言した。書記が量りで実際の穀物の重さを測ると、確かに約束の半分ほどしかなかった。
「これは、明らかに不誠実な取引だ」
書記の言葉に、商人は渋い顔で言い訳を並べたが、集まった村人たちの視線は冷たかった。
「不足分を埋め合わせろ。今後、この市場への出入りは禁じる」
長老の裁定が下ると、商人はしぶしぶ不足分の穀物を差し出し、そそくさと立ち去っていった。
***
「よく、はっきり証言できたわね」
帰り道、メリトが感心したように言った。
「怖かったですけど……見たことを、そのまま言っただけです」
「それが一番大事なのよ。この村の寄り合いは、証言と記録があってこそ、ちゃんと裁ける」
夕暮れの中、卵と交換した品を抱えながら、結はメリトと並んで家路についた。
「今日は、いい一日だったわね」
「はい。……市場って、面白いですね」
「でしょ。この村の女は、みんな逞しいのよ」
メリトの笑顔に、結もつられて笑った。デベンの計算も、寄り合いの緊張も、すべてが今日という日の、確かな手応えだった。




