作中連載第1話 ステータス・オープンと、1行の絶望
俺の名前はダロウ。
WEB小説帝国『なろう』を統べる、絶対王者である。
我が国の法律は、シンプルかつ合理的だった。
読者を待たせるな。
読者に考えさせるな。
読者にストレスを与えるな。
すべては、可処分時間を削られまくった現代の民へ、最短一秒でカタルシスを届けるために存在している。
「情景描写? テンポが悪くなるから二行で終わらせろ」
「主人公の挫折? 読者がストレスでブラウザバックするから、一話目で最強にしろ」
「タイトル? 三十文字以上であらすじを全部書け。読者は一秒でも早く内容を理解したいんだ」
おかげで我が国は、今日も無数の『追放された元チート魔術師』たちが、実家のような安心感のテンプレートで大暴れする、世界で最もストレスフリーな楽園となっていた。
読者は疲れている。
仕事で削られ、学校で削られ、人間関係で削られ、スマホの通知で削られている。
そんな民に、わざわざ難解な文章を噛ませる必要がどこにある。
必要なのは、わかりやすい敵。
わかりやすい味方。
わかりやすいチート。
わかりやすい勝利。
そして、読み終えた瞬間に、
「ああ、気持ちよかった」
そう思える、三分間の救済である。
そう。
我が国は、読者に優しい。
優しすぎるほどに。
――あの侵略者たちが、空から降ってくるまでは。
◇
ドォン!!
その日、WEB小説帝国『なろう』の空が割れた。
ランキング神殿の上空に、巨大な裂け目が走る。
日間ランキングが震えた。
週間ランキングが悲鳴を上げた。
ブックマーク数の塔が、不穏な音を立てて軋む。
「な、何だ……!? 異世界転移イベントか!? それとも大型アップデートか!?」
俺は玉座から立ち上がった。
その瞬間、空の裂け目から二つの影が降ってきた。
一人は、重厚なスーツに身を包んだ男。
大衆文学の王侯のような風格を漂わせ、売れ行きと物語性を同時に見下ろすような目をしている。
名は、ナオキ。
もう一人は、痩せた影のような男だった。
黒い外套をまとい、こちらの内臓まで見透かすような目をしている。
名は、アクタ。
かつて紙の王国に君臨していた、伝統文学王国の二大巨頭。
直木賞。
芥川賞。
その擬人化存在である。
「ふっ」
ナオキが、ゆっくりとあたりを見回した。
「WEB小説の最高峰と聞いて来てみれば、ずいぶんと騒がしい市場だな」
アクタは何も言わず、薄い文庫本を取り出した。
岩波文庫だった。
だが、ただの本ではない。
表紙の奥で、紙魚のような光が走っている。
文学王国に伝わる戦闘力測定器――岩波文庫スカウターである。
「測ってやれ、アクタ」
ナオキが言った。
「こいつの文章力を」
アクタは無言でページを開いた。
紙面に、数字が浮かび上がる。
「……PV数は五十三万を超えている」
「ほう」
「ブックマークも悪くない。更新頻度は高く、タイトルの説明力も異常に強い」
「で、文章の密度は?」
アクタは、冷たく俺を見た。
「五だ」
「ご……?」
「文章の密度、五」
アクタは本を閉じた。
「ゴミめ」
「なんだと……!?」
俺は玉座の肘掛けを握り潰した。
「貴様ら、誰に向かって言っている! 俺はWEB小説帝国『なろう』の王、ダロウだぞ!」
「王?」
ナオキが笑った。
「読者の視線に怯え、離脱率に震え、少しでもストレスを与えれば即座に展開を修正する。そんなものは王ではない」
「何だと?」
「読者に飼われた道化だ」
その一言で、俺の中のランキングが炎上した。
「舐めるなよ、紙の亡霊ども!」
俺は右手を掲げた。
空中に巨大なシステムウィンドウが開く。
【固有スキル】
【最速無双システム】
【過剰説明魔法】
【読者ストレス自動除去】
【ざまぁ展開即時展開】
【タイトル内あらすじ完全搭載】
「喰らえ!」
俺は魔力を集中させた。
「【悲報】最強の俺が、突然やってきた謎の文学者に文章力で負けるわけがない件! これで一撃……ダロウ!?」
俺の手から、超高速の過剰説明魔法――ライトノベル・ナクが放たれた。
主人公の心情。
世界観。
敵の正体。
ヒロインの好感度。
今後の伏線。
読者が疑問に思いそうなこと全部。
そのすべてを、三行以内で説明し尽くす禁断の魔法である。
これを受けた者は、思考する暇もなく状況を理解し、次の展開へと流される。
まさにWEB小説帝国が誇る、最速の読書体験。
だが。
アクタは、一歩も動かなかった。
ただ、静かに口を開く。
「――日は既に落ち、路地裏の湿った風が、男の古びた外套を、優しく、しかし執拗に揺らしていた。そこには言葉にならぬ永劫の孤独だけが、澱のように留まっている」
ドォン!!
目に見えぬ衝撃波が、俺の胸を直撃した。
「ぐはっ……!?」
俺は地面を転がった。
おかしい。
ダメージ表示が出ない。
HPバーも減っていない。
状態異常のアイコンも表示されていない。
それなのに、胸の奥が重い。
呼吸が浅くなる。
何かが、文章の外側から俺を押し潰してくる。
「な、何だこの攻撃は……!? 数値が出ない……! ステータス画面に、ダメージが表示されないだと!?」
「ふっ」
ナオキが冷酷に笑った。
「わからないか。これが情景描写の重圧だ」
「情景……描写……?」
「お前たちWEBの民は、キャラクターの感情も状況も、一から十までセリフとナレーションで説明せねば理解できん」
ナオキは、ゆっくりと俺を見下ろした。
「だが、我々の言葉は違う」
アクタが続ける。
「書かれている言葉だけを読むな」
「何……?」
「文字と文字の間。沈黙の奥。書かれていない場所。そこにこそ、物語の本体がある」
ナオキが告げた。
「それを、行間と呼ぶ」
「ぎょ、行間……!?」
俺は必死に、先ほどの文章を思い返した。
日は落ちた。
路地裏。
湿った風。
古びた外套。
永劫の孤独。
澱。
何だ。
何を言っている。
敵はどこだ。
ステータスは。
目的は。
主人公は強いのか弱いのか。
ヒロインは出るのか。
ざまぁはいつ来る。
この路地裏の湿った風とやらは、何属性の伏線なんだ。
「くそっ……!」
文字が、すり抜ける。
意味はわかる。
だが、意味の奥にあるものがわからない。
表面の文章は読めているのに、その奥で何かがこちらを見ている。
それが、読めない。
「何を言っているのか全然わからない! なのに、なぜか胸が重い! 行間が……行間が読めない……ッ!」
「終わりだ、ダロウ」
アクタが静かに指先を上げた。
その先に、純文学の美学を込めた究極の一文が凝縮されていく。
「次の一撃で、お前の安易なハッピーエンドごと消去してやる」
「くっ……!」
俺は立ち上がろうとした。
だが、膝が笑う。
おかしい。
俺は王だ。
読者に求められ、ランキングに選ばれ、テンプレートを磨き上げた絶対王者だ。
なのに、たった一文で立てない。
たった一行で、俺のシステムが止まりかけている。
「ダロウさん、捕まってください!」
その時、上空から声が降ってきた。
轟音とともに、銀色のサーバーバイクが突っ込んでくる。
ハンドルを握っていたのは、額読。
中間プラットフォーム『カクヨム』の擬人化存在であり、公式コンテストとレビュー文化を操る知略型の相棒である。
「公式コンテスト防護壁、発動!」
額読が叫ぶと、透明な防壁が展開された。
アクタの指先から放たれた一文が、防壁にぶつかって弾ける。
「ちっ」
ナオキが眉をひそめた。
「KADOKAWAの息がかかった盾か」
「ダロウさん、早く!」
額読はサーバーバイクを横付けし、ボロボロになった俺の腕を掴んだ。
「何をする……俺はまだ……!」
「今のあなたでは勝てません!」
「俺が負けるだと!?」
「はい!」
即答された。
地味に傷ついた。
「ポリス!」
額読が通信機に叫ぶ。
「検問を閉鎖してください!」
「了解した!」
重々しい声とともに、巨大な鎧の騎士が前線に躍り出た。
重装騎士ポリス。
アルファポリスの擬人化存在。
その全身には、ランキングと投稿インセンティブの紋章が刻まれている。
「二十四時間ポイント規律壁、展開!」
巨大なランキングの壁が、ナオキとアクタの前に立ちはだかった。
「小賢しい」
アクタが呟く。
「読者の数字で築いた壁など、行間の前では紙同然だ」
「それでも時間は稼げる!」
ポリスが大剣を構えた。
「行け、額読! ダロウを死なせるな!」
「はい!」
サーバーバイクが唸りを上げる。
俺は助手席に引きずり込まれた。
遠ざかるランキング神殿。
崩れかけたブックマークの塔。
そして、こちらを見下ろすナオキとアクタ。
「逃げるのか、WEBの王」
ナオキが言った。
「違う……!」
俺は血の味がする口で叫んだ。
「これは戦略的撤退だ……ダロウ……!」
だが、その声にいつもの勢いはなかった。
ナオキとアクタは追ってこなかった。
ただ冷酷に微笑みながら、遠ざかる俺たちを見送っていた。
◇
命からがら逃げ延びた先は、中間プラットフォームたちの隠れ家だった。
国立国会図書館の地下深く。
スマホのブルーライトも、アクセス数の電子音も届かない、インクと紙の匂いだけが支配する場所。
古い本棚が壁のように並び、背表紙には見たこともない重たいタイトルが刻まれている。
俺は床に座り込み、拳を握った。
「クソッ……!」
床を叩く。
「タイトルを三十文字以上にして、あらすじで全部説明すれば勝てるはずだったのに……! なぜ、あいつらには通用しないんだ……ダロウ……」
額読は、しばらく黙っていた。
それから、山のような世界文学全集を俺の前にドサリと置いた。
鈍器かと思った。
実際、読者によっては鈍器である。
「ダロウさん」
額読は真剣な目で俺を見た。
「あなたが彼らに勝つ方法は、一つだけです」
「何だ」
「行間を読む能力を身につけることです」
「行間を……?」
俺は思わず後ずさった。
「そんなまどろっこしいもの、俺の読者は求めていない!」
そう叫んだ瞬間、自分の胸の奥に、別の言葉が浮かんだ。
本当にそうか。
読者は、本当に何も求めていないのか。
ただスカッとすれば、それで全部なのか。
だが俺は、その問いを振り払った。
「俺の国を、薄っぺらいと笑うな!」
自分でも驚くほど、声が熱を帯びていた。
「毎日仕事や学校でクタクタになって帰ってきた民が、何も考えずにページを開いて、三分で笑顔になれる! 嫌な上司も、理不尽な現実も、将来への不安も、その瞬間だけ忘れられる!」
俺は歯を食いしばる。
「その圧倒的な優しさと救済が、あいつらの高尚な文学に一ページでも書かれているのかよ!?」
額読は、一瞬だけ目を見張った。
それから、ふっと優しく微笑んだ。
「ええ。その通りです」
「……額読?」
「だから私は、あなたを死なせたくないんです」
額読は、積み上げられた文学全集に手を置いた。
「文学側は、あなたたちを読者に魂を売った存在だと嘲笑うでしょう。ですが、読者を置き去りにした物語もまた、いつか誰にも届かなくなる」
「誰にも……届かなくなる……」
「物語は、読まれて初めて物語になります」
額読の声は静かだった。
「けれど、ただ読まれるためだけに自分の深さを捨てても、いつか空洞になります」
その言葉に、俺は何も返せなかった。
「ダロウさん」
額読は言った。
「あなたの最速無双システムに、文学の行間をプラグインするんです」
「俺のシステムに……行間を……?」
「はい。読者に媚びるだけのテンプレと、読者を置き去りにするだけの文学。その両方をねじ伏せる、最強のハイブリッド小説になってください」
俺は、山積みにされた本を見た。
『人間失格』
『こころ』
『羅生門』
『檸檬』
『山月記』
どれも薄い。
だが、重い。
物理的にも、精神的にも。
俺は、その中の一冊を手に取った。
ページを開く前から、もう胸がざわついた。
だが、逃げるわけにはいかない。
ナオキとアクタに負けたままでは、WEB小説帝国の王として終われない。
それに。
俺は読者を笑顔にしたい。
そのために、あいつらの力が必要だというなら。
「ふっ……やってやるさ」
俺は不敵に笑った。
笑えていたかどうかは、少し怪しい。
「文字の表面しか見ない俺が、文字の奥に潜む怪物と戦う。いいだろう。見せてやる。WEB小説の底力を」
俺は右手を掲げた。
「ステータス・オープン」
青白い画面が浮かび上がる。
【ダロウ】
【職業:WEB小説帝国の王】
【読者配慮:限界突破】
【即効性カタルシス:SSS】
【テンプレ展開速度:SSS】
【行間読解:未習得】
【情景描写耐性:0】
【サブテキスト感知:0】
【作者性:瀕死】
【新規クエスト】
【文学修行を開始しますか?】
俺は、表示された選択肢を睨んだ。
【YES】
【ブラウザバック】
いつもの俺なら、迷わずブラウザバックしていた。
ストレス展開は避ける。
難解な話は飛ばす。
読者が求める快感だけを、最短距離で取りに行く。
それが俺の正義だった。
だが今は。
俺は、震える指で【YES】を押した。
その瞬間、地下書庫の奥で、本棚が低く鳴った。
まるで、眠っていた文豪たちが目を覚ましたかのように。
額読が小さく頷く。
「では、始めましょう」
「何からだ」
額読は一冊の本を差し出した。
表紙には、四文字だけが書かれていた。
『人間失格』
「……タイトル、短すぎないか?」
「そこからです」
額読は微笑んだ。
俺は本を受け取り、喉を鳴らした。
現代の創作界隈の覇権をかけた、俺たちの生存戦略。
その第一歩が、今ここに始まる。
――ダロウ!?
(作中連載第1話・了)




