第34話
そろそろストック切れる
朝。風が吹き抜け、それに合わせて僕の短い髪が揺れる。
僕は広い草原の中で仲間と共に機を伺っていた。
今回僕が立案した作戦は、この場にいる僕たちこそが最も重要な役職になる。僕たちが有能に働けば勝利は決するが、もしも失敗すれば、すなわちこの戦の敗北を意味する。
それゆえ、僕たちの間には並々ならぬ緊張感が蔓延していた。単に勝敗が決まるだけならまだかわいいものだが、今回の戦い、勝敗がそのまま人の命に直結している。それも戦う覚悟を決めてこの場にいる兵士たちだけではなく、明日も平穏無事に生きられると信じようとしている町民たちの命までも、だ。
普段は冷静でいられるよう努めている僕でも、今回ばかりはいささか感情のコントロールが効かない。どうしても乱れる脈拍に、僕は「僕もまだまだだな」と呟いた。
ふと。僕は、自身の隣にいる女……シキが、眉間にしわを寄せ、強ばった表情をしていることに気が付いた。
「……大丈夫か?」
僕は心配になり、思わず尋ねてしまう。
シキがこちらを見る。少し黙り込んだ後、不敵に笑い、「大丈夫」と僕に返した。
「確かに、怖いけれど――隣にあんたがいるって思うと、不思議と、なんとかなるって気持ちになるの」
――これは。僕はシキから見えた感情に、何を言うべきかを迷ってしまった。
間違いない。これは強がりだ。だけど、本気でそう思っている。差し迫る恐怖心と僕への信頼の中で、彼女の内心は今、ぐちゃぐちゃなのだろう。
だけど、彼女からは覚悟が感じられた。
今前に進もうとしている彼女に対し、下手に心配の言葉はかけない方がいい。僕はそう判断して、「そうか」とだけ答えた。
「ね。怖いから手、握ってよ」
「どさくさに紛れて君はなにを言っている?」
「いーじゃん別に。お願い。安心すると思うの」
僕は少しだけ自分の手を見つめる。
緊張で若干汗ばんでいる。この状況がそうさせているのだろうが、この場にそぐわない彼女のお願いに思わず照れてしまったのもまた影響しているだろう。
僕は少し考えてから、シキに「ん」と言って手を差し出した。彼女は「……うん」と言ってそれを握る。
自身の中で、心音が大きくなるのを感じた。しかし先程までのような緊張ではない。彼女の手を握った途端に、胸の中で何かが熱くなるような感覚があったのだ。
しばらくして。彼女は大きくため息をつくと、「うしっ! もう大丈夫!」と言って笑った。
「ありがとう。ちょっと楽になった」
「それはなによりだ。……もういいだろ? 恥ずかしいし、手、離すぞ」
僕がそう言って手を離すと、シキが「あっ……」と小さく声を漏らした。僕は「もう大丈夫なんだろ?」と彼女に言ってみせる。すると彼女は少しだけ頬を赤くさせながら小さく笑った。
「名残惜しいだけよ。あんたの手、温かいから」
「……あまり変なことは言うな」
「男のくせに奥手な奴ね。ねえ、この戦いが終わったら結婚しない?」
「やめとけ。なんか死にかねんぞそれ」
「愛の前に死亡フラグなど無意味よ。ここで運命を覆してみるのも楽しいと思わない?」
そう言ってシキはケラケラと笑った。
……まったく。コイツは、こんな状況でも軽口か。どうやら、手を握った効果は確かだったらしいことを確認した僕は、ふん、と鼻で笑った。
「2人とも」
と、仲間の1人が僕たちに声をかけてきた。昨日僕を肯定してくれた冒険者――名前は確か、ロベルタだ。
「イチャイチャしているところ悪いが、敵が見えたぞ」
僕はそれを聞いて遠方を見た。
巨大なモンスターの大群がうごめいているのが確認できた。
昨日よりも圧倒的に数が多い。正確な数は把握できないが、千や二千なんてものじゃないだろう。敵は間違いなく、今回の侵攻で全てを終わらせるつもりだ。
「――どうする、黒髪?」
ロベルタが僕に問いかける。僕は「落ち着け」と返した。
「予定通りにやる。ここで焦ればかえって全部瓦解するぞ。……大丈夫だ、あの人たちは優秀だ。僕たちにできるのは、機が来るまで信じることだけだ」
僕の言葉を聞いて、ロベルタはただ「わかった」とだけ返した。
――どうか、うまくやってくれよ、みんな。僕は眼鏡の位置を直しながら、心臓を鳴らし、口元を吊り上げた。
◇ ◇ ◇ ◇
「――来たか」
ガーフィール・レオは敵が迫ってくるのを確認すると同時、そう小さく声を出した。
ガーフィールたちは現在、町の正門前に戦陣を構えて敵を待っていた。
ガーフィールたちは町の防衛を任された部隊だ。ただ一体のモンスターの侵攻も許さぬと人の壁を築いたが、しかし、この量のモンスターを相手取るには、量的にも、質的にもあまりに不足していた。
ガーフィールたちの部隊はS級、あるいはそれに匹敵する人員が10人程度、A~Bの、ハクが「最低限の戦力にはなる」と判断した人間が200人程度のモノだった。その後ろに構えている400人の面々は、言わば戦力にさえならない戦闘員だ。
計600人余り、戦力の大半がこちらへと回っているわけだが、敵を考えれば、張り紙の壁で野獣を相手にするようなものだとガーフィールは感じていた。強いて言うなら自身はそこら辺のS級冒険者よりは遥かに強いとは自負があったが、それでもこの数を漏らさず止めるのは不可能だろう。
しかし、それでもガーフィールはハクの作戦を信じていた。
単に盲信していたわけではない。彼の考えた戦いには、間違いなく勝機があったからだ。
「まだだ、まだ敵をこちらへ引き付けろ」
ガーフィールはハクより、「この部隊の指揮を任せる」と言われていた。彼が信用できる人間の中で、最も優秀だと踏んだのが自分だったからであろう。そしてそれは、実に正しい。
「……お父さん、」
と。ガーフィールの隣にいたコニーが、彼に話しかけた。
不安な目を浮かべている。彼女のランクはDであり、この戦闘には参加できない、言わば“真っ先に避難せよ”と命じられた人間であったが、それでも彼女はこの戦いに参加することを願った。
父親としては、心配であった。しかし彼女の意志を尊重せずにはいられなかった。とすれば合理的な観点から、“足手まといにならないか”というのが気になるところであったが――
「大丈夫だ、コニー。ハクさんを信じろ」
ガーフィールはコニーに優しく語り掛ける。
足手まといになるか、ならないか。それについては、どうでもいい。なぜなら、そも、この戦闘は、“戦力”なんぞそれほど大きな要素にならないからだ。と、ガーフィールは敵が先ほどより近づいてきたのを確認すると――
「――“薬”を噴霧せよっ!」
声高に叫び合図を出した。瞬間、空気が噴き出す音と同時に、モンスターたちの目前に、巨大な煙の壁ができた。
「風魔法用意!」
ガーフィールがさらに号令を出す。すると彼の後ろに構えた面々が手を前にかざし、そして、全員で一斉に巨大な魔法陣を展開した。
「さあ、皆の衆、“薬”を奴らに送り込むのだ!」
瞬間、魔法陣から真っ直ぐな風が吹き出した。それは煙の向こうにいるモンスターたちへと送り込まれ、間にある“薬”を巻き込み敵へと到達する。
煙がモンスターたちを包んだ直後。甲高い鳴き声が響いたかと思えば、モンスターたちが突如暴れ出し、互いに互いを攻撃し始めた。
うまくいった。ガーフィールはそれを見てにやりと笑った。
ハクが立案した防衛陣。それはすなわち、“人に頼らない防衛”だった。
『まずは今日の夜の間に、敵がやってくるであろう町の正面に大量の“薬”を用意する。薬とはつまり、気付け薬のことだ。毒薬でもいい。
それを煙状に噴霧する道具を地面に埋め、モンスターたちが迫ってきたタイミングで発動する。そしてそれを強引に風の魔法でモンスターの大群へと送り込む。
奴らは自分の意思で戦いに来ているわけじゃあない。どれほどの連携があろうと、その本質は“操られているだけ”だ。戦いたいわけでもなく、戦う理由があるわけでもなく。合理的な協力関係さえ結べていない奴らは、統率力とは無縁の烏合の衆以下の軍団だ。当然、戦うための訓練をしていないし、冒険者のように突発的な協力を行えるような機転もない。ようは、アレは実質的に、赤い石の獣一匹のワンマンショーというわけだ。
――なら、それを打ち崩せばどうなる?』
ハクの言葉を思い出す。ガーフィールはそこまで考えてから、敵の状況を見てぼそりと、その先の言葉を紡いだ。
「突然戦いに出ている現状に、パニックになる」
そう。モンスターたちからすれば、自分たちは“目が覚めたら戦場にいた”という状況なのだ。
突然周囲に凶悪なモンスターたちがいて、目の前には敵意をむき出しにした人間がいて。寝床にいたはずの自分がいきなりそのような脅威に晒されれば、当然、驚き、混乱する。
ハクはこうも補足していた。『感情とは、生き残るために生み出された適応の結果だ』と。
怒りは攻撃を生み、恐怖は逃亡を生む。ならば当然モンスターにも感情はあって然るべきであり、それをうまく扱えば、敵の行動をある一定の制御下に置くことも可能だ。
結果、彼の目論見は成功した。パニックに陥ったモンスターたちは、目の前にいるちっぽけな人間よりも、真っ先に視界に映り脅威と感じる、巨大かつ凶暴な獣たちを排除しようとしたのだ。
故にこその同士討ちである。否、同士討ちではない。彼らからすれば、隣にいるのは、自分の天敵になり得る脅威なのだから。
モンスターの侵攻が止まる。こちらの壁とモンスターの壁は未だ接敵していない。ガーフィールは一気に優勢へと傾いた戦局に思わずにやりと笑ってしまった。
と、モンスターの大群の中から、パニックに陥った獣がこちらへと走り出した。
混乱の極致になり、わけもわからず走り出したというところか。ガーフィールはそれを見ると同時、ナイフを投げつけ、そして獣の頭部を爆発させた。
「気を抜くな、皆の者!」
ガーフィールはさらに飛び出すモンスターたちにナイフを投げつける。他のS級冒険者や騎士たちも剣を抜き応戦する、ガーフィールはさらに声を張り上げる。
「侵攻が止まろうと、奴らの中にはこちらと応戦するモノがいる! よいな、一匹たりとも町へは入れるな! ここに多くの戦力が割かれているその意味を、しっかりと認識するのだ!」
ビリビリと緊張が走るのを感じる。士気が向上し、全身の血液が高揚するような感覚さえあった。
――しかし、この優勢。そう長くはもつまい。ガーフィールは戦いの中で、冷静にそう感じていた。