11 捕食側>被食側=青田買いの方式
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「……まぁ、何だ。とりあえず離れて座りなさい」
「はい。お義父さんの頼みとあれば」
「わたしは君の父親ではない」
とまぁ、家の中に通された『彼』は夕方になってもその勢いを些かも衰えさせていない。
いそいそとキッチンへお茶を用意しに行った母。居間に取り残された結果――非常に居心地の悪い位置を確保するに至った弟。
「何で俺がこの位置に」と泣きそうな目で助けを求められているが、座ってしまった以上は変更のしようがない。
窓側のソファに私、間に弟、天羽君の並びだ。向かいには父。天羽君のお母さまは一人がけの椅子で身を縮こまらせている。
ちなみに薔香さん。彼女は止める間もなく迎えに来たリムジンに乗って帰宅された。「ごきげんよう」と微笑みを浮かべて去ったその背に、最早一欠けらの未練も感じられなかったことを念のために付け加えておく。
今日一日で、一体彼女に何があったというのだろうか。決して聞きたい訳ではないが、気になるのは確かだ。
「さぁ、まずはお茶にしましょう」
どことなく妙な緊張感の漂い出した居間へ、お茶のポットを片手に戻る母。居並ぶ面々の中で、唯一平常心であろう母。
カップに注いだお茶をまずは天羽君のお母さまの前に、続いて天羽君の前に置いたところで和やかに口火を切った。
「天羽君、でよかったかしら? いつも遊里がお世話になっているみたいね」
「いいえ、お義母さま。どちらかといえば僕の方が遊里さんにお世話になっているんです」
「あらあら、聞いていた以上に好青年だわ。啓斗に聞いていた通り、我が家の居間では浮いてしまうくらいのイケメンだし……ふふ。遊里も隅に置けないわね――ねぇ、あなたもそう思うでしょう?」
「……母さん」
向かいで渋面を隠さない父。父のその常識的な面を、娘としてこれほど頼もしく思えたのはいつぐらいぶりになるのだろう。
徐に臨戦体制に移行した父に、内心で声援を送る。
「天羽君、だったね。まず確認しておきたいんだが、その……君は遊里のことをどう思っているんだろうか?」
「愛しています」
「まぁ、即答。遊里は愛されているのねぇ……」
「母さん、今は少し黙っていようか」
父親が明らかな動揺をその目に浮かべつつも、平素を取り繕う。それは傍目から見ていても分かり易過ぎる反応だった。
序盤にして、すでに劣勢の雰囲気が漂い始めている。やはり『彼』を相手にするのに真っ当な神経では持ち堪えられないかもしれない。
それに加え、観衆化した母と弟が合間合間に呟きを挟んでくる。
状況としてはあまり宜しくないのは確かだ。
「そうか……今の若者は物事をはっきりと言い切らないものだと思っていたが、君はどうやら違うらしい」
いや、父さん。問題はそこじゃない。
そこでしみじみとお茶を啜るのが平静を保とうとして選んだ行動だということは分かる。
ただ、この場面においては悪手だ。
これ以上『彼』に心のゆとりを与えれば、どんな口車に乗せられるか分かったものではない。
「父さん、そもそも前提が……」
「遊里?」
どうにか状況を補正すべく、言いかけたところをやんわりと遮られた。
弟越しに頭を撫でるのは、正直言って止めてもらいたい。我が家では一番空気の読める弟の顔色が、先ほどから蒼白といっていいレベルに移行しつつある。
「姉ちゃん、今日の星座占いだと俺一位だったんだけど……」
「忘れろ。その方がまだ救いがある」
星座占いが一位だろうと最下位だろうと、ここ数日の自分の周囲は常に嵐が吹き荒れているといっていいのだ。当てになどならない。
「天羽君、君はいつから……遊里と正式な付き合いを?」
「中学の頃から、ずっと僕は遊里さんのことを想い続けてきました。卒業前後で一度距離を置くことにはなりましたが、高校で再会した際に改めて遊里さんを深く愛していることに気付いたんです。この想いを伝えたのは、今日ですが。遊里さんは僕の想いを理解して、受け入れてくれています」
「受け入れていないが」
「まぁ……。天羽君は若いけれど、とても情熱家なのねぇ」
「そういう問題じゃないと思うよ、母さん」
訂正を差し挟むが、周囲の声に絶妙な塩梅で掻き消されてしまう。どうにか父に助けを求めたいところだったが、弟の背中越しに伸ばされた指先が先ほどから只ならぬ存在感を放ち始めていた。
するりと絡み合わされた手指が、じりじりと熱い。
「……個人的な意見にはなるが、若い者同士の恋路を端から否定しようとは思わない。ただし未成年である以上は節度のある付き合いを、遊里の親として君には求めたい。出来るかね?」
後半、明らかに『疑念』を隠し切れない父の内心が漏れ出ていたが、この問いは使い様によっては今後の『抑止力』にもなり得る強力なカードだ。
そもそも恋路以前に、一方通行の現状について言葉を尽くして説明したいところではある。けれども絶対零度の微笑みを標準装備している彼相手に、真っ向から挑むことの虚しさを自分は既に知っていた。
下手を打てば、どんな行動に出るのかまるで予測が付かない。その怖さをして、天羽君だ。
「……お義父さんの言うところの節度。これはどのような範囲まで含まれるものですか?」
断言をするりと避けたあたりに、隠し切れない狡猾さが滲み出る。柔らかに微笑みを浮かべながらも、その目は猛禽のそれに近い。
被食側として認識されたことを、内心で父も悟ったのだろう。表情を引き締め、やや遅れて臨戦態勢を被り直そうとしたところで――――
「あら、あなた。今時、若者たちに節度を求めるなんて時代錯誤もいいところよ?」
身内からの、離反者。
この場面を見計らっていたのだろう――母が明らかな意志をもって『青田買い』に動き始めた。
そもそもが、あの姉を生み育てた人だ。究極のリアリストといっても過言でなく『人生はタイミング重視』といって憚らぬ我が家の頂点。
朗らかな調子を始終崩さず、けれどもこの場面を狙って放り込まれた母の言葉は父の動揺を露わにした。
母が参戦したとなれば、もはや父が威厳を盾に『清く正しい男女交際』を約束させるのは非常に困難。
風前の灯と化した希望を前に、弟と二人遠い目を交わした。
「だが、母さん……」
「女は愛するより、愛されるくらいの人生の方が幸せなのよ。確かに『程々の』節度は守ってもらわないと困ってしまうけれど、天羽君ならその辺りの見極めも出来ると思うのよ。……ね、天羽君?」
「ええ、お義母さま。そこはきっちり調整します」
最凶のタッグが成立に至った瞬間だった。
うふふ、ふふふと見交わす二人を余所に、凍り付いたような居間。そして始終、ティーカップを両手に縮こまったままの天羽君のお母さま。
だが幸いにも、用意したお茶菓子は堪能してもらえたらしい。気付いた時には既に無くなっていた。
天羽君のお母さまは甘党。基本データが新たに一つ加わった。
「遊里。明日からは正式な恋人同士、行きも帰りも送り迎えをするからね?」
「…………」
言外に「逃げても無駄だから」と言わんばかりだ。半眼にもなる。
固く握りしめられたままの指先に、籠る熱量。
弟越しに視線をやれば、目を潰されそうなほどの微笑み。
夕刻の光が彼の横顔を照らして、一種の幻想じみた光景に早変わりだ。美形とは周囲の環境ですら自身のエフェクトに取りこんでしまえるものらしい。
「行き帰りくらいは、自由にさせてくれ」
「それは無理な相談だね」
「……週二」
「毎日」
「……せめて週四だ。これ以上は妥協しないぞ」
「ふふ、遊里も頑固だねぇ。分かったよ。今回は特別に譲歩してあげる」
頑固とかそういう問題ではない。そもそもさり気なく『恋人』認定を押し付けてくるあたりで、当人の意思は何処へ消えた? 余程にそう苦言を呈したい。
「愛してる」「愛してるわ」を互いに囁き合える関係性こそ『恋人』であって、「愛してる」「……」といずれかが沈黙を返すような関係性はそもそも一体何と呼べるだろうか。
あんまり深く考えたくないな。
そう思い、妥協した時点で既に勝敗は決していた。
――『今』振り返ってみても、そう思えてならない。
「そろそろ日も落ちてきましたし、お暇させて頂きます。至らない点も多々ある若輩の身ですが、遊里さんを幸せに出来るよう日々努めますので――どうか、末永く。今後とも宜しくお願い致します」
とても高校生男児と思えぬ卒のない暇乞いをし、優雅に席を立った彼。さり気なく自らの母に視線を投げれば、事前に予行練習していたのではと思わせるほど一切無駄のない動きで天羽君のお母さまが同じく席を立ち、息子の傍らへと並ぶ。
まるで完璧に躾をされた犬と、その飼い主を思わせる光景だ。普通に怖いと思える。しかし、その光景を見ても微笑みを崩さずに対応する母。
ある意味では彼女こそ、その場にいる誰よりも上手だったのかもしれない。
「ええ、こちらこそ。至らない娘ですが宜しくお願いしますね、天羽君」
「どうぞこれからは、結貴と呼んでください」
「まぁ、嬉しい。じゃあ、お言葉に甘えて今後は結貴君と呼ばせてもらうわね」
「ありがとうございます、お義母さま」
仮にハブとマングースが互いに戦いもせず、穏やかに対面する光景が存在したならば。
おそらく今の光景とよく似ているんじゃないだろうか。ふと、そんな風に思えた。
――そうして嵐が過ぎ去ったあとの香野家。
母が鼻歌混じりに「夕飯の支度をするわ。今日はハンバーグよ」とキッチンへ姿を消した後。
徐に肩に乗せられた手に、既知感を覚える今日この頃。
「姉ちゃん、これから苦労するね」
「……啓斗。その労わりの眼差しは、むしろ痛い」
「それにしてもあれが義兄さんになるのかぁ……俺、早く結婚してこの家を出よう」
「おい、勝手に未来設計を進めるな」
「何だよ。じゃあ、姉ちゃんはあれから今更逃がしてもらえるとでも思ってるの? 無理無理。儚い夢は捨てて、さっさと覚悟決める方がよほど建設的だよ」
溜息混じりにそう言い捨てるや、さっさと背を翻す弟。「俺、先に着替えてくるー」そう言って階段を上る姿は疲労感に満ち溢れていた。
何だかそれを見送っていたら、申し訳ないことをした気持ちになる。
姉として、真っ当な人間関係を築けなかった点についてはまた後日謝罪しておこう。
「……遊里。ふがいない父さんを許してくれ」
「いや、父さんは十分頑張ってくれたと思うよ。心から感謝してる」
寧ろ、父さんくらい自分のことを思って『彼』と真っ向から対峙してくれた人はいないだろう。これから先もいない気がする。
素直に感謝を告げれば、普段はめったにハグしない父がしっかと抱きしめてくれる。とても温かい。
ポンポンとその背を叩きながら「ごめんね、父さん」と呟けばすすり泣く声が聞こえてきた。
期せずして、父との親子の情が深まった気がする。
その点だけは、彼に感謝しても良いのかもしれないと思えた。




