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予想と違ったそれは、実にくだらなかった

「はいどーぞ」


 コトリと置かれたマグカップには、ミルクティーがたっぷりと入っていた。


「ありがと……」


 あたしの向かい側に座った侑は、数回息を吹きかけてからミルクティーを一口飲むと、ホウッと小さく息を吐き出した。そんな彼を見ながらあたしも、気をつけながらそれを飲む。結構……というか、がっつりと甘くて、おもわず眉宇に軽く皺を作る。コーヒーはブラックで飲むけれど、紅茶には砂糖を入れる派だったことを思い出した。それにしてもこれは少し……いや、かなり入れ過ぎなんじゃないかなと思うよ。うん。絶対に入れ過ぎだ。


「俺のウチもさ、莉奈のウチと似たようなものなんだ」

「それって……」


 どちらかが愛人の子供――ということだよね? 


「俺のばーちゃんは、遠藤の家で住み込みの家政婦をしていたんだ。ばーちゃん身よりがなくてさ、子供の頃から散々苦労したけど、自分のことを大切にしてくれる相手に巡り会った。その相手……俺のじーちゃんになるんだけどさ、ばーちゃんが孤児だからってことで、じーちゃんの親や親類なんか猛反対したらしくって、じーちゃん結構いい家の息子だったんだけど全てを捨ててばーちゃんを選んだんだ。だがら二人は駆け落ち同然で結婚したの。でも結婚三年目でじーちゃんが事故で死んじゃって、生まれたばっかりの赤ん坊かかえて路頭に迷っているところを、遠藤の先代の奥様に拾われたのよって小さい頃に聞いた。とても優しい女性(ひと)で、凄く良くしてくれたんだって」

「へぇ……」


 その生まれたばかりの赤ん坊というのが、侑の母親のことだ。侑の母親は清花(せいか)さんという。


「先代にはさ、息子が二人いたんだ。穏やかで物静かな性格の長男と、活発で賑やかな事が大好きな次男。ずごく対照的な兄弟だった」


 会社を継いでいるのだから、あたしは遠藤氏が長男だと思ってそう言った。けれど、侑は苦笑じみた笑みを浮かべゆるりと首を左右に振った。


「普通はそう思うよね。会社を継ぐのは長男だ――って」


 ということは、遠藤氏は次男なのか。


「あ、うん、そうだね。よほどの事がなければ、普通はそうだろうし。そう思うよ」

「うん。でも、長男は全てを放棄して、家を出て自分の好きな道に進んでしまったんだ。その煽りを食ったのが次男――俺の親父殿だ。ばーちゃんの話じゃ、会社を継ぐことが決まってから、随分と変わっちゃったんだって。不本意だったからなのか……あの(ひと)は笑わなくなって、表情もどんどん無くなっていって、そのうちいつも何かを考えているような……難しい顔をするようになった。父親が急逝したのもあって、父さんが社長に就任したのは三十歳だったんだけど、その頃にはもう、会社の利益になることしかしない冷徹な男になっていた。自分の結婚もそうで、結婚する基準は相手の家が自分にとって、有益かそうでないか……ただそれだけで相手を決めたそうだよ」


 パーティーで見た遠藤氏の顔を思い出し、「やっぱりなぁ」と納得してしまった。穏やかそうに見えて、全然目が笑ってなかったもの。


 侑の異母兄である晃の母親のさおりさんは、昔からある名家の出であるが、独立心の高い女性で結婚よりも仕事をしたいタイプだったそうで、そのため遠藤氏に対し、跡継ぎの子供を一人生んだら離縁するか、その後は仮面夫婦でいるかを選ばせ、それを実行した。どちらかといえば、離婚を選びそうな感じがしたけど、遠藤氏は仮面夫婦としてやっていく事を選んだのだ。


 どうしてそっちにしたのか? まぁ、考えれば簡単な事だ。妻の実家と縁を切りたくなかったからしかない。婚姻によって、会社同士の結びつきができたのだから。離婚しても、そう早くダメにはならないだろうとは思うけど、離れていくのは時間の問題だ。だったら表面上夫婦でいる方が良い――と判断したのだと思う。


継母(さおりさん)はさ、父さんが好きじゃなかったんだよ。無理矢理別れさせられた恋人がいて、その人のことをずっと想っていた。だから兄貴を生んだ後、家庭内における妻の役割を全て放棄したんだ」

「妻の役割? それって家事とか育児とかってこと?」

「そう。家事は家政婦がいたから、彼女は最初からしてないけど、育児のほとんどを雇った乳母(ナニー)に任せっきり。放棄だよ、育児放棄。まあ、少しはやっていたみたいだけどね」

「一緒に住んでいたんでしょう?」

「一応はね。でも、部屋は別々だし、生活のリズムも違っていて、あまり家の中で顔を合わせなかった。どうしても夫婦で出席しなくちゃいけないものには、妻として父さんの横に立っていたけどね」


 家庭内別居ってやつだ、それ。


「当然セックスだって拒否だよ。そりゃあそうだよね。嫌々抱かれていたんだから。だから継母(かのじょ)は、父さんが“愛人”を囲うことを認めていたんだ。だけどそれには、子供は絶対に作らないっていう条件があった」


 確かに愛人に子供なんかできたら、面倒な事になるものね。所謂お家騒動ってやつ? それに本妻の子より愛人の子の方がデキが良かったら、マジで洒落にならないってば。


「父さんはさ、ああ見えて器用な人じゃないんだ。だからいくら妻公認で愛人を囲えても、そんなものは作らなかった。まあ男だからね、溜まったものを出すことはあっただろうけど、俺が調べた限りでは特定の相手はいなかった。で、兄さんが三歳の時に、俺の母さんが全寮制の高校を卒業して遠藤の家に戻ってきた。一人だったら、何も起こらなかったんだろうけど、母さんは一人じゃなかったんだ。父さんの兄さんと一緒だったんだ」


 侑が言うには、遠藤氏は兄に対し劣等感を持っていた。

 誰もが彼に面と向かって言わないが、誰もが彼ではなく彼の兄が後を継いでくれたらと思っていたのを、遠藤氏は知っていたそうだ。

 幼い頃から優秀だった兄と、努力して努力してその兄に追いつこうとがんばったけれど、結局は何一つ追い付けなかった弟……その兄が、見ない間に綺麗になっていた清花さんと一緒に実家に帰ってきたのは、彼女との結婚を考えていたからだった。


「伯父さんが家を捨てたのは、母さんのためだったんだ。いや、それだけじゃなくて、それも理由の一つだったって言った方が正しいな。で、母さんが全寮制の高校を選んだのは、伯父さんと外で自由に会うためだった。二人はさ、誰にも気づかれないよう、慎重にひっそりと、愛情を育んできたんだ」


 清花さんの卒業後の進路は大学や短大への進学でも、どこかの会社へ就職するでもなかった。母親と同じように、遠藤家で住み込みの家政婦をする予定だった。


「その頃、ばーちゃんの体調が思わしくなくってさ、母さんがばーちゃんを手伝うことになっていたんだ。だから伯父さんと一緒に戻ってきて、皆驚いた。しかも結婚するって言うんだよ? 驚かないほうが無理だよね」


 くすりと笑って、侑はミルクティーをごくりと飲む。ぺろりと唇を舌で拭い、マグをテーブルに戻した。


「伯父さんは全てを放棄したから、誰と一緒になろうと良かった。遠藤の祖母は二人の結婚に賛成したよ。だけどばーちゃんは……ばーちゃんの中では伯父さんは“坊ちゃま”で、その坊ちゃまに家を捨てさせた原因が、自分の娘にもあったのが許せなかったんだ。だから反対した。伯父さんはばーちゃんが許してくれなければ結婚しないって言って、そりゃもう毎日お願いにきたよ。でもばーちゃん頑固でさ、先代が長男に期待していたのを知っていたから、余計に母さんを許せなかったんだ」


 そうこうしているうちに、侑のおばあさんの具合が悪くなり、入院することになってしまった。


「自分がしつこくしたから、精神的に追い詰めてしまったって思った伯父さんは、暫く顔を見せるのを止めたんだ。母さんも毎日病院に通って、かなり疲労していた。そんな時だった。父さんが母さんを無理矢理自分のモノにしたのは」


 無理矢理って……それって……それって………。


「つまり……その……」

「ん、莉奈の考えているとおりだよ。伯父さんへの復讐心だけで、父さんは母さんを自分のモノにしてしまった」

「あ、うん……」


 清花さんに何が起こったのか言葉にしたくなくて、お互い口を噤んでしまった。窓の外の音がやたらと大きく聞こえて、でも何も言えなくて、そろりとマグに手を伸ばした。すっかり温くなってしまったミルクティー……さっきまで美味しいって思ったそれは、なんだか味が変わってしまったようだった。


 重い沈黙を破り、最初に口を開いたのは侑だった。


「それでデキたのが俺。母さんと伯父さんは、まだしてなかったんだ。清い交際って戦前かよって思わない? それだけ母さんのことが、伯父さんは大事だった――ってことなんだろうけどさ……。だからさ、俺の父親が誰かなんて、最初からはっきりしていたんだ」


 これ幸いと、遠藤氏は清花さんを自分の愛人にし、彼のお兄さんはそれきり音信普通……生きているのかどうかも分からない状況なのだそうだ。本当にあるんだね、昼ドラみたいな展開ってさ。


「ばーちゃんの入院費や治療代とかは、全部父さんがもったんだ。お手当て代わりだったみたいだよ」

「でもさ、よく本妻さんが許したね。生むの」

「うん。あの人が子供を作るなって言ったのは、堕胎するのが許せないからなんだ。命を粗末にするのが、生きる権利を……未来を無理矢理奪うのが、あの人は嫌なの。だから堕ろすくらいなら、生んでもらった方が良いって」

「あぁ、そういうこと」

「うん。本当は優しいんだよ」


 ふふっと笑って、侑は残ったミルクティーを一気に飲み干した。もう一杯飲むかと訊かれ、ゆるりと首を左右に振る。甘いのはもう勘弁って感じ。


「で、俺が家を出た理由だけど」

「あ、うん」


 そうそう。本題はそっちなのよね。


「あの、さ……怒らない?」

「は?」

「いや、なんか莉奈ってば、俺が家を出たのにはもの凄い理由がある――って思ってる感じがしてさ……言うの怖いんだよね」

「……いいから、言ってみなさいよ」


 自分でも、声が低くなっているのが分かる。言うのが怖いって……どういうことよ。


「えっと……その……兄貴も伯父さんと一緒でさ、俺に全部押し付けようとしたから、自分はゲイだから結婚する気もないし子供もできないってカムアウトして、んで、逃げてきた」

「……は?」


 おい、ちょっと待て。何このふざけた理由。


「嘘でしょう?」

「ホントです……」

「他に理由があるんでしょう?」

「ありません……」

「ふざけてんの? アンタ」

「ふざけてません……ごめんなさい」


 握った拳がぶるぶると震える。侑との出会いから今日までのことが、走馬灯のように次々と蘇る。てっきりあたしと同じで、家族と確執があるのかと思っていた。パーティーでの遠藤親子の様子から、侑が実家で冷遇されていると思っていた。それが全部あたしの勘違いなわけ? マジ? マジで? あたしの早合点ってやつなわけ? 噓でしょーっ!!


「あのさ、家族との関係って……どうなってるの? 家に居場所がないって、前にあたしに言ったよね? それって……」

「ん? ああ、家族との仲は悪くはないよ。良くもないけどね。居場所がないのはホント。自分がどうしてこの世に生まれたのかを知った瞬間から、あそこにいちゃいけないって思うようになった」


 肩を竦め、侑は小さく溜息をつくと、カラになったマグへと視線を落とした。


 思うようになった――と言うことは、侑一人がそう感じているだけであって、家族はそう思っているとは限らない。お互い腹を割って話し合えばいいのにっていうのは、あたしにも言えることなんだよねぇ。


「あーそうですか。で、眞人さんはそのこと知ってるの?」


 知ってるよ――と明るい声が返ってきて、やっぱり一発殴っておこうかと思った。もちろん“グー”でね。


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