嘘つくのって、苦手なのよね
日曜の朝、バイトの入っていないあたしは、ベッドの上で両手両脚を放り出し、大の字になってぼーっとしていた。頭も体も、重いのだ。だるくて、指一本だって動かしたくない。が、そんなあたしの耳に、すっかり馴染んだ水戸の御老公のテーマソングが聞こえてきた。
「うげぇ……ヤな予感しかしないわぁ~」
のろのろと起き上がりベッドから下りると、床に放置してあったそれを拾い上げる。もちろん電話をかけてきたのは、このテーマソングが超絶お似合のじじ様だ。御老公のような立派な髭は、我がじじ様にはないけどね。
ボン――と、倒れこむようにして再びベッドに横になると、通話ボタンを押して携帯を右耳に押し当てた。
「おはよぉ~じじ様」
『おはよう莉奈。その声は、まだ寝ていたな? 今何時だと思ってるんだ、ん? このネボスケ娘め』
十時をとうに過ぎてるぞ――と、じじ様はハハハと笑った。ダラダラしていることを咎めているわけじゃないのは、その楽しそうな声音でわかる。
今日いつも以上に、あたしの寝起きが悪いのは、半分以上同居人のせいだ。
日付が変わる頃までカクゲーに付き合わされた後、もう眠いから寝ると言ったあたしを、侑は寝かせてくれなかった。頭を使ったら、今度は体も使わなくちゃね~と、ワケのわからない、自分勝手な理由でですよ。ようやく眠ることができたのは、外が薄っすらと明るくなった頃だった。
まだ充分に頭が回っていないあたしの、淀んだ目が覚めるくらい猛烈な威力のある爆弾を、じじ様はいきなり落としてくれた。
『莉奈、泉田君のお嬢さんの婚約パーティーで会った、遠藤 晃君を覚えているかね? もちろん莉奈のことだから、忘れてなんかいないね? 今日、彼との食事をセッティングしたから、行ってきなさい』
「ちょ、待ってよじじ様。なんであたしがっ」
『賢い莉奈のことだ、きっと気がついていると思うが、あのパーティーに莉奈を連れて行ったのは、彼と引き合わせるためだったんだよ』
でしょうね。わかっていたけど、こうもハッキリと言われちゃうと、今更どう反応していいのかわからないよ。
「じじ様はさ、あたしに彼と結婚してほしいの?」
この年で婚約とか、結婚とかって、マジでありえないでしょ? いや、若気の至りで“デキチャッタ結婚”ていうのはあるわな。
「ハッキリ言って、結婚とかってあたしはまだピンとこないし、そりゃあいつかはするだろうけど……今はこれぽっちも興味ないよ。第一あたし、するなら恋愛結婚派だから」
そうそう、これ大事!
大事ですから!!
だいたいさぁ、今の時代に政略結婚とかってナンセンスだってーの。っていうか、本当にまだあるの? そういうの。やってる人、本当にいるの? まあ、お見合い結婚なんて今でもあるくらいだから……やっぱりあるのかな? でもあたしは絶対にそんなの嫌だし、自力でどうにかするよ。だってあたしの人生だもん。
『結婚にはな、色々な形があるんだよ莉奈』
「そりゃあそうだけど……」
『遠藤コーポレーションは、これからまだまだノビシロがある。今のうち、関係を深めるには良い相手なんだ』
関係を深めるって言ったって、あたしは倉科とは関係ないんだよ? だからそんな事したって、意味ないんじゃないの?
「ふぅん……そうなの。でもさ、じじ様忘れてない? あたし、倉科の家とは関係ないんだけど」
亡母はじじ様の娘だったけど、あたしは孫で、しかも“松尾”だから。“倉科”じゃないから、じじ様の選んだ相手とどうこうなるのは違うと思う。
とは言うものの、やはり外孫でも倉科と縁付きたい人は多い。そのせいで、あたしは散々嫌な思いをしてきた。いくら外孫だって主張したって、倉科とは関係ないって言ったって、周囲は理解してくれないんだから……ホント、嫌になるよ。
『その事だがなぁ……。莉奈、やはり月哉の娘にならないか?』
「は? 月哉叔父さんの娘? あたしが? 何でよ?」
姓が変わるのは一度でいい。
もちろんそれは結婚で――だ。
月哉叔父さんが嫌いとか……倉科の家が嫌いとか……そんな事はこれぽっちもない。大好きだよ。だけど、わざわざ養女になることなんかない。例え松尾の家にあたしの居場所がなくても、そこまでする必要はないんだよ。
「大体、月哉叔父さんの娘になったって、彼と結婚してしまえば、倉科の家を出るんだから、意味ないよじじ様」
叔父夫婦には子供がいない。それはこれから先も無理な話で、だからこそ雪耶叔父が早く結婚して子供をつくれば良いと思う。それをじじ様に言ったら、「それが難しいから、莉奈に月哉の娘になってほしいんだよ」と溜息混じりに言われてしまった。
『雪耶は結婚には向かない男だ。本人もその点は、厄介な事にちゃんとわかっている。だからこそ倉科の血を残すために、莉奈には月哉の娘になってもらいたいんだよ。直仁君には悪いが、彼には東吾君がいるからね……だから莉奈を倉科にくれても良いと、じじ様はそう思うんだ』
「……あたしは物じゃないってば」
ムッとしてそう言えば、じじ様は笑って『もちろんだよ』と言った。そしてあたしがいない方が、彼女も安心するだろう――とも………。
それを聞き、じじ様はあの事に気がついていると確信をした。
東吾が本当は、父の実子だということを………。
『まあ、その話は、今は横に置く事にしよう。実はな、莉奈。今日の件は、あちらの……晃君からの申し出でな、莉奈に話したい事があるんだそうだ』
「話? 何だろう?」
『うむ……それが何かは、さすがに聞いてはいないがね』
気はすすまないと思うが、行って話とやらをきいてやって欲しい――と、じじ様は場所と時間をメールするからと言って、通話をさっさと切ってしまった。そしてその言葉通り、すぐにメールが届いたのを告げるメロディーが鳴る。開封すれば、そこに書いてあったのは有名なイタリアンレストランだった。
「これはまた……女心をクスグル店を……」
じじ様のチョイスなのか……それとも遠藤 晃なのか……まぁセンスは悪くない。そこは客層も比較的若く、カジュアルな雰囲気で、値段も結構リーズナブルだ。だが、提供される料理はどれも超一級品と、雑誌でも紹介されるほど高い評価を得ている。
「美味しい物は食べなきゃ損だよね。しゃーない、行くか。それに向こうから誘ったんだから、この場合、向こうの奢りだろうしさ」
がしがしと頭を掻きながら、あたしはベッドから下りた。それと同時に、部屋のドアが開いて、エプロン姿の侑が顔を覗かせる。
「オソヨ、ご飯できたけど」
食べる?――って、小首をかしげて訊いてくる姿は、破壊力抜群ですよ。でもさ、可愛くたって、あれは男なんだよ。男……男だねぇ……確かに男だ。あー……なんかムカつくわぁ。
「あ、うん。おそよー。今行く」
顔を洗って、着替えを済ませて、朝食と昼食を兼ねたそれを食べるためにイスに座る。
いつも思うけど、侑の作るご飯は本当に美味しい。
お金が取れるレベル――ではないけど、家庭料理の域だけど、本当に美味しい。
これってあれ? 侑の、あたしへの愛情がこもってるから?
「いただきます」
「はい。召し上がれ」
ふわっふわのオムレツに、最近このマンションの近くにできたベーカリーのコーンパン。具沢山のミネストローネに、喉を潤すのは果汁百%のオレンジジュース。オムレツに添えられたグリーンサラダのドレッシングは、もちろん侑の手作りであるフレンチドレッシングだ。
もぐもぐぱくぱく……美味しいなぁ~幸せだなぁ~なんて思いながら、あたしは侑の作ってくれたそれらを綺麗に平らげた。
「そういえば、さっき誰かと話してた?」
「え? ああ、じじ様とね。そうだ、あたし今日、夕飯外なんだ」
ごめんねと言って、グラスの中のオレンジジュースをカラにした。コトリと小さな音をたてて、グラスをテーブルの上に置くと、侑は一人だと夕飯を食べないかもしれない――ということが、あたしの頭を過ぎる。これは先手を打っておかないとマズイ。
「そうだ。たまには大将と、外で食べてくれば?」
「新垣と?」
「そう」
こくりと頷いたあたしを、侑は訝しむように見る。裏の裏まで見られているような、妙な感じがして落ち着かない。誤魔化すように「新しいメニューが幾つか増えたから、オーナーが食べに来てって言ってたよ」と付け足した。嘘じゃない。本当の事だ。まあ、侑がどうとるかわからばいけどね。
少し考えるように視線を落とすと、侑は自分の顎を親指と人差しの指先で挟むように摘み、人差し指を上下に動かして顎の先を何度か撫でた。
「そうだね。行ってみようかな? 新垣の恋の行方も気になるし」
「そうそう。相談にのってあげてよ」
「うぅ~ん。俺で役に立つかわかんないよ?」
「いやいや、大丈夫でしょ。一緒に考えてあげて。それが大事だから」
「考えるかぁ……それなら俺にもできるね」
ニカッと笑って、侑はテーブルに置いてあったスマホを取ると、さっそく大将にメールをした。返事はわりとすぐに返ってた。もちろん「OK」の返事だ。それを見て今度はあたしが、オーナーに二人が行く事をメールをする。席を取っておこうかと返ってきたので、それを確認すればしなくて大丈夫と言われた。カフェに行く前に、ショッピングモールで買い物をするから、時間が読めないというのが理由だった。
「で、莉奈はどこで何を誰と食べるの?」
洗い終わった食器を、布巾で拭いて食器棚にしまっているあたしの背中に向かって、侑が冷ややかな声音で訊いてきた。すっかり安心していたあたしだ。手に持ていたお皿を、おもわず落としそうになってしまった。
「い、いやぁ~じじ様に呼び出されたから……」
「ふぅん。じゃあ、お爺さんとってこと?」
嘘をついても、その場凌ぎにしかならない。だからといって、正直言うのもちょっと……。ああもう、どうしたらいいのよ、この場合って?
たらりと背中に、生ぬるい汗が流れ落ちる。冷や汗って、実際は冷たくないのよね。なまぬっるいの。気持ち悪い。
「えっとですね……じじ様とではなくてですね……」
黙ってじっとあたしを見る侑の目は、さっさと白状しろと責めているようで……居た堪れない。
「その……実は侑のお兄さんで……あたしに話があるんだって」
「はあ!?」
何だよそれ――と、おもいっきり両手でテーブルを叩いて、侑がイスから立ち上がった。
踏んだわ、あたし。
確実に地雷を踏んじゃった。
やばいな~。
やっぱり嘘ついて、この場は凌いだ方が良かったかも……って、今更だよね。
それにあたし、嘘つくの下手だし、苦手だから無理だわ。
うん。
無理だわ、嘘つくの。




