第6話 化け物
アリエッタはエルラとともに塔の最上階へ繋がる螺旋階段の前に立つ。
「禁止されている魔術に関してですが、この階段を登るため飛行魔術を使ってもよろしいでしょうか」
登るのが面倒だからとかそんな愚鈍な理由で聞いているのではない。魔術を使うことで塔の最上階にかすかな変化が起こると思ったのだ。
「へえ。どうして?」
怪訝な表情を演じているようなエルラが言葉を発する。
「希望を持つために。……私からしてみれば理由もなく魔術使用を禁止する意味が分からないので」
魔術を使える者は生まれたときの素質、才能で魔力量が決まる。更に魔術師としての才能があってもそれで生きていけるとは限らない。アリエッタの父が良い例だ。
魔術を使いたくても使えない者は沢山いる。せっかく使えるのだから使いたくはならないだろうか。
何より魔術を使うのは楽しい。落ち込んだ気分を晴らしてくれるような気がするのだ。
「私は置かれた状況をただ傀儡のように頷く馬鹿ではないのです。知らないことは自分で知るまで」
エルラの了承を前に勝手にロードナイトの杖を取り出す。
「ちょっと。わたしは許可出していないわ」
「では。改めて聞きます。魔術使用を許可してはくれませんか?」
半ば強引になってしまったのは許してほしい。魔術関連になると我を忘れてしまうのだ。
「そこまでやって却下はできないじゃない。特別よ」
「ありがとうございます」
明らかな上から目線で腕を前に伸ばすエルラ。娯楽小説によく出てくる高飛車令嬢でも目指しているのだろうか。
そしてエルラ自身も自前の杖を取り出す。
黄金が基調となった煌びやかな色をした杖だった。先端の宝石はエメラルドだろうか、深い緑色をしている。
「魔術、使えるのですね」
少し揶揄ってみせる。不快にさせてしまったら申し訳ないが。
「当たり前じゃない。馬鹿にしているの?」
「いえ。もしかして魔術禁止令を出しているのは自身が魔術使えないからなのでは、と思いましたが違いましたね」
「違うわよ!」
大きな声で腕を伸ばす。
「行くわよ。魔術を使えばいいのよね」
エルラは杖を構えて詠唱をしたのち、ふわりと身体を浮かせた。技術も精度も隙のない素晴らしい魔術を披露してくれた。
室内なのに、風が生まれているのかドレスがひらひら揺れている。
アリエッタもエルラに続いて詠唱をして飛行魔術を披露する。観覧客はいないが。
エルラを馬鹿にしたことを悔やみつつ、彼女に続いた。
「ふう。……特に何もないわね」
「ええ。そうですね」
塔の最上階にて目を瞑って魔力の流れを精査したが変化はなかった。前と同じく、扉の奥には人の気配すら感じさせられない。
無駄足に終わったから帰ろうと思ったその時。
「……っく。うぐ……」
おおよそ人が出したとは思えない化け物じみた静かな訴えるかのような声が奥から聞こえてきた。
突然の出来事にアリエッタとエルラは思わず身を寄せ合う。ふたりとも冷静のようで表情は強張っていたが悲鳴は上げなかった。
その後に荒い息遣いが聞こえてくる。只者ではない。心の奥底でそう感じたのか全身が震え上がった。
「ちょっと、ネフィシー! 大丈夫かしら?」
エルラが扉を叩きつけて怒鳴る。怒った声だが、心配そうな表情が滲んでいた。
「ちょっと。ねえ!」
エルラが扉を叩きつけている最中に床下の隙間から紙が送られてきた。いつも通りの高級紙に。
『大丈夫。心配するな』
紙にはそう書かれていた。だが、先ほどの綺麗で繊細な文字から拙い歪んだ文字に変わっていた。相当切羽詰まっているのだろうか。
「あの、こちら。下の隙間から」
ネフィシー直筆の紙をエルラに手渡す。エルラはじっと眺めて「大丈夫、なのね……」と独りごちる。
さらに紙が送られてきたのでアリエッタはしゃがみ込んで内容を見る。
『これからも塔内で魔術は使ってくれて構わない。……むしろ使ってくれ』
どうやらネフィシーはアリエッタたちが魔術を使ったこともお見通しらしい。
「ネフィシーが使ってもいいって言うのならいいのかもしれないわね」
本人は良いと言っているがアリエッタはどうも気になることがある。先ほどの獣の咆哮のような声は間違いなく本物の苦しみに思えた。
ネフィシーは何かに苦しめられている? そう推測した時、エルラがぼそりと独り言を言うように呟く。
「わたしね。ネフィシーはもう化け物になってしまったのではないかってずっと思っていたの」
目を細めるエルラは今までより一層神秘的に見えた。
「獣のような咆哮をあげるのだって実はこれが初めてではないのよ。ネフィシーは何も言わないけれど。あまりに人間に思えないの」
違います、ネフィシーは普通の人間のように見えました。……この言葉がかけられたらどれほど良かったのだろう。
「そう、なのですね」
アリエッタの口から自然と飛び出たのは当たり障りのない、いたって平凡な言葉だった。
「そうよ。だってここまでして助けを求めないなんておおよそ人間から離れているわ。……化け物よ」
エルラはネフィシーが書いた高級紙をぐしゃぐしゃに握り締めて唇を歪ませる。
アリエッタは黙り込む。エルラの言葉に肯定も否定もできなかった。
まだ一回しか会ったことないが、生きる気力を失っていそうな生命維持の限界まで自分を追い詰めていそうな雰囲気があった。
化け物だって決めつけるのはまだ早いのではないか。
そう思ったが助言はしなかった。自分の力で本物のネフィシーを見て欲しかったのだ。
「化け物なら魔術を使っても問題ないわね。……化け物に世話をしていたわたしが馬鹿みたいね」
エルラは自嘲気味に呟き、魔術を駆使して螺旋階段を駆け降りていった。
エルラが魔術を使った直後、扉の奥から化け物の咆哮が響いた。
アリエッタは心配になり、扉を軽く叩いた。しばらくして届いた紙は頑張って綺麗に書こうと努めて書いただろう文字で綴られる。
ああ、やはり魔術を使ってはいけないのだと悟った。歪んだ文字は今のネフィシーの状態を示しているようにも見える。
『俺は化け物じゃない。人間だ』
「人間、ね……」
アリエッタは扉の前で呟く。ネフィシーは人間。その言葉が頭から離れず反芻させる。
確かに会った時は人間だった。人との関わりが極端に少なそうだが普通の青年のように見えた。
至って彼に、おかしな部分はなかったはずなのに。
あの獣のような咆哮はどこか人間とはかけ離れていた。どうしても普通の人間とは思えなかった。
「あの。もう一度、会わせてはくれませんか?」
エルラは化け物だって決めつけていたけど実際会ってみないと分からないと思う。
可能性は限りなく低いが、咆哮は術式を発動させたら音がなる不思議な玩具が鳴らす音かもしれないし。
「俺は人間だけど。エルラが化け物っていうのなら化け物なんだ」
筆談ではなく、扉越しに低い声が聞こえてきた。その声は弱々しく聞き取りづらい。
どうして自分を悲観的に捉えるのだろう。エルラが言うことよりネフィシー自身が言うことの方がよっぽど正しいだろうに。
人間と言ってみたり、化け物と言ってみたり。実際はどっちなのだ。自分のことなのだからはっきりしていてほしい。
「まあ。自分が化け物だって思うのならそれで良いんじゃないですか。あなたは待っているかもしれませんが。誰も否定はしてくれませんよ」
ネフィシーは人間だから。強く生きてください。そんな言葉を何故アリエッタが掛けなければならない。悲嘆に暮れ、誤解を解こうともしない。人を厭い逃亡する。
そんな人生が良いと思うならそうすれば良い。興味がない。アリエッタが踏み込んで良い領域ではない。
だが、分かったことがある。直接対面しようがしまいが多分結果は変わらない。望むようにはならない気がしてきた。
そもそもネフィシーが人間か化け物かなんて些細な問題に思えてきた。
「先ほど言った対面のお願い、取り消させてください。……会わずともなんとなく分かりました。では」
ネフィシーの返事を待たずしてアリエッタは杖を取り出して飛行魔術を使おうとする。だが直前で魔術を使う意欲は失せた。
このまま魔術を使えば、この塔の構造的に直後にネフィシーに激痛が走るのだろう。
しばし逡巡したのち、アリエッタは素直に階段を降りた。




