第5話 逃れられない使命
ネフィシーは扉を閉めてフードを脱ぐ。
誰かと顔を合わせて話すのは一体いつぶりだろう。会話するだけで体力が消耗し、ネフィシーはその場に座り込む。
我ながらみっともなかった。こんな格好悪い姿は誰にも見られたくない。
床に手をつけると、紙の感触がした。部屋は散らかっているから、どうせ不要な塵同然の紙だろう。一応手にとって見てみると、それはアリエッタとの会話内容だった。
『誰か知らない人がいる気配がする。誰か来たのか?』
『よろしく』
拙い文字で書かれたのは何の変哲もないありふれた定型文だった。気の利いたことをひとつも言えていない。
ネフィシーは自身が綴った筆談をじっと見つめる。普通に会話できるというのに筆談という回りくどいことをしてしまって。彼女を怒らせてしまってはいないだろうか。
……否。ここに紙があることが答えだ。彼女は怒って、この出来事を忘れようとして紙を投げつけたのだろう。
あの人じゃないと分かったから。勇気を出して話してみたのに。フードを目深く被っていたせいで目を合わせることはおろか、アリエッタの顔をまともに見れなかった。
彼女が紡ぐ声も緊張のせいで覚えられていない。
だから彼女に謝ろうとも謝れない。ネフィシーはそんな自分が嫌になってはあ、と自嘲気味に大きくため息をついた。
しばらく誰かとの会話はいいかな、と思った。そもそもネフィシーは誰かと気軽に会話していい立場にいない。父の言いつけを守るためには、この部屋から出てはならないのだ。
「……っ!?」
突然ネフィシーの全身が苦痛に襲われた。耐えられなくて、その場にうずくまる。規則の代償だろうか。
今日はいつもの体を引き裂かれ、全身が血塗れになるような痛みではない。痛みの程度は同じだが慣れないものだった。
違和感を覚え、左手の手袋をとる。その手の甲には、無理矢理入れられてしまった紋様がある。夜の鴉がモチーフの紋様だと言われたが、正直どうでも良かった。
この紋様さえなければ。選ばれなければ。きっと普通の生活が得られたかもしれない。高望みは駄目だということは分かっている。だが、どうしても願わずにはいられなかった。
普段は闇のような漆黒に紋様が光るのだが、今回は違う。包み込まれるような鮮やかな白い光だった。
そして、綺麗なものだった。
「すぐに、治癒。しないと……」
そう言ってエルラが用意してくれた薬草を手に取る。ネフィシーは治癒魔術を扱うことができるが、薬草を使う方が、魔力が消費されない分、楽になるのだ。
ただエルラはそこまで親切ではないので、調合は自分でしなくてはならない。
予め調合しておいたハーブティーを一杯飲み干す。ヨモギやセンブリなどを混ぜ合わせた茶は、長年の独自研究から、素晴らしい効果をきたすことが分かっている。
現に痛みはすぐに引いたのだが。
ふと、ほんの不意に自分は一体何をしているのだろうと思った。ネフィシーには王国から半ば強制的に押し付けられたある使命がある。その使命はどう足掻こうが一生、死ぬまで解放されないらしい。
いつも生きるために無意識にハーブティーを飲んでいたが、その必要はないのではと思い至った。
どうせ何をしようとしがらみのせいで自由には生きられない。皆と同じように生きることはできないのだから。
早々に生きることを放棄するべきだったと今になって思った。自分は、どうして今まで命を繋いでいたのだろう。
命を絶つことでしか楽になれないというのなら、すぐにそうしたというのに。
♢♦︎♢
「よし」
普通に降りるよりも半分以下の時間で塔の一階までくることができた。我ながら完璧だ。どうして登るときも同じように魔術を使わなかったのだろうか疑問に思うほどに。
杖を術で片付けてからエルラのいる居間へ向かう。
居間で魔導書を読んでいるエルラ。彼女はいつのまにか学園の制服から若草色のドレスに着替えていた。姿勢良く魔導書を読んでいるのが様になっている。
「ただいま戻りま……」
「ちょっとあなた」
戻った報告をしようと思ったらエルラが剣呑な表情でこちらに近づいてくる。覇気を感じられて正直怖い。今まで一番の怖さがあった。
「なんでしょう」
相手を恐れている旨を感じさせないように冷静に淡々とを意識して口を開く。そんなアリエッタの繕いには気にも留められずエルラは口走る。
「魔術を使ったわね? この塔で魔術を使うのは禁止よ。どうして使ったの?」
「そうだったのですね。初耳です」
そんな周知の事実のように語られても。怒るならきちんと伝えた後に、それでもやらかしてしまった時にしてほしい。それともエルラは言うのか? 「察せ」と。
「塔に張られている結界を集中してみて。魔力の流れが違和感でしょう?」
次に発せられた声はいつもの鈴が鳴るような声に戻っていた。
アリエッタは瞳を閉じて集中する。確かにエルラの言う通り違和感があった。普通は建物補強や侵入阻止のために結界を張る。だが、この塔には最上階のみ結界の力が弱まって穴が空いている。そして謎の魔力の流れがあった。
「確かに。普通のものとは何か違いますね」
結界は流れる魔力から察するにネフィシーがかけたものだろう。
「でしょう? だから念のため魔術禁止令を出しているのよ」
魔術禁止令。初耳だ。今まで「ま」の字もエルラの口から聞いたことのない令だった。
学園内にはない規則だからこの塔独自の規則なのだろう。
「何かあってからでは遅いの。次から気をつけてちょうだい」
「ええ。すみません」
そもそもエルラが魔術禁止令とやらを伝え忘れたのが原因ではないか。……その言葉は言わなかった。言うべきではないと思ったのだ。
「説明不足で、悪かったわね。……ま、まあ。そういうこともあるわよね」
「ええ。お気になさらず」
エルラが妙に目を逸らしながら詫びた。目をじっと見つめる覇気と気概はどこへ行ったのだろうか。
「魔術を使いたかったら隣にある小屋を使ってちょうだい。広さも十分で不便はないと思うの」
「はい。ありがとうございます」
学園では魔術実践塔という実践魔術専用の塔があるくらい魔術が身近なものになっている。この毒闇の塔よりは小さな空間であまり目立たないが。
わざわざ小屋など使わずとも。魔術実践塔の存在をエルラは知らないのだろうか。彼女は制服を着ていたが本当に生徒なのか怪しくなってきた。
後で名簿を見て確認しよう。
「ところで。何かあってからではと言いますが、実際にもう何かが起こっているような気がします。何かご存知ないですか?」
確証が持てないことを言うのはあんまり好きではないが。
「どうしてそう思うの。根拠は?」
「念を押しすぎている気がします。……杞憂に終わるといいですね」
最上階の結界の異常。魔力の流れの違和感。引きこもりの塔の主。
何故だろう。妙なざわめきが抑えられない。
「わたしは何も知らないわ。……教えて、くれなかった」




