第4話 ロードナイト・ロッド
アリエッタは紺色の扉をじっと見つめる。
相手のペースに合わせて同じように筆記で返事を送り返そうと思ったのだが、気が乗らなかった。どこかの文献で出会って三秒が大事だと書いてあった気がする。
第一印象は大事。筆談などを使って第一印象を最悪にしている場合ではない。主、などという肩書きを聞くと何だが怖いし、怒らせたくないから。
筆談などという舐めた行為が許されるのは身分がある者か、口がないものに限られていると言っても良いだろう。
「アリエッタ・ローズナイトです。この塔をちょ……いえ、この塔に用があって参りました」
危うく「調査をしにきた」と言うところだった。別にそう言っても良いのだが、調査目的で訪れた人などと誰が進んで会いたがるのだろうと思った。
主はしばらく沈黙を貫いた。大方、筆を走らせ返事でも書いているのだろう。
この時間、暇になるのであたりを見回す。アンティーク雑貨や魔導具が置かれていた居間とは違い、何もない閑散とした場所だった。
この景色こそが皆が想像する毒闇の塔の内部だろう。最初からお出しされた景色がこれだったならアリエッタはとても怯えていたかもしれない。
しばらくして先ほどと同じように床下の隙間からするりと紙切れが送られてきた。やはり高級紙を使っていた。
『よろしく』
高級紙に書かれたのは短い、挨拶の言葉だった。長考しておいてまともな言葉が綴られていない。せっかくの高級紙が勿体なさすぎる。紙だってもっと中身ある文章を望んでいたはずだ、可哀想に。
アリエッタは苛つきから、扉を叩き、殴りたい衝動に襲われた。何とか後一歩の所で止められたが。もう少し頭の螺子が外れていたら危なかったかもしれない。
「ええ。よろしくお願いいたします」
さて。挨拶も済んだしもう帰ろう。主への用事は終わったはずだ。対面ではない会話はどうにも慣れない。効率が下がり、結果的に無駄になりそうだから。
「では。これにて失礼します」
アリエッタは一応の礼儀として、誰も目の前にいないのにもかかわらず軽く礼をした。この学園に入学してから、いらぬ貴族の礼儀が身についた気がする。
「待て。少しだけ……」
扉の奥から声が聞こえた。耳を澄ましていなかったら聞き逃していただろう。低くて繊細な声だった。
アリエッタは怪訝な表情になる。
口があるなら筆談を選ぶな。ちゃんと喋れ。
この感情が声の代わりに顔に出ている気がする。
「待て、とおっしゃいますが一体何用で?」
塔の主は返答の代わりのつもりなのか、扉越しにがたがたと慌ただしい物音を響かせる。
時折悲鳴が聞こえてくるが何をしているのか。アリエッタは、無意識にどんどんしらけてくる。
しばらくして扉がかちゃりと少しだけ開いた。
「待たせてしまってすまない」
そんな謝罪とともに現れた人物は想像以上に普通の人物に見えた。人間でない人物が出てくると思って覚悟を決めていたのに。
驚きで馬鹿っぽい表情をしないよう、必死に取り繕う。
主は魔術師がよく着ていそうな漆黒の長いローブを羽織っていた。所々に黄金の刺繍が施されている。サイズがとても大きく、裾を引きずっていた。
更には顔を見られたくないのかフードを目深に被っていた。フードをぎゅっと握って猫背気味に萎縮している。フードの隙間から胸元あたりまで伸びた長い紺色の髪がさらりと流れている。
「……ネフィシー・ラピスラズリという。よろしく」
ネフィシーと名乗った主はやや躊躇いながらもローブの袖を捲って手を差し出してきた。手まで見せたくないのか黒色の手袋をはめている。
筆談を選ぶ警戒心はどこへいったのやら。
アリエッタも手を差し出して握手をする。
「どうして先ほどまで筆談をしていたのでしょう」
「……悪かった。ずっと、人と関わっていなくて。いや。人と関わるのは怖いというか……。駄目だ、どうしても言い訳じみてしまうな」
ネフィシーはおろおろと挙動不審になりながらも答える。その様子から本当にずっと人と関わっていないのだろうことが伝わった。内部にはエルラもいるというのに、彼女とは会わなくて良いのだろうか。
「別に人との関わりを断つことは悪いことでは無いと思いますよ」
そう言えばネフィシーは安心したのか、そっと息を吐いた。
「あなたは塔の主さんだと聞きました。何か統率でもとっているのですか?」
調査のために聞いたが、半分は自分の興味も含まれているように感じる。
「主ではない。勝手なことを……」
本人曰く、主などではないということ。エルラが勝手に主だと思っているらしい。
「へえ……」
どちらかといえばエルラの言っていることの方が正しい気がした。
アリエッタは机に上に置いてある籠に手を伸ばし、ネフィシーに渡した。
「エルラさまが、薬草を届けてくれましたよ」
「あ……あり、がとう」
ややつっかえながらお礼を言う。お礼すらまともに言えないとは。アリエッタも人との関わりは皆無に近しいが、ここまで酷くはない。求められればお礼だってきちんと口にできるはず。
「もし答えたくなかったら全然大丈夫なのですが。その薬草、一体何に使うのでしょうか?」
アリエッタは、ネフィシーが大事そうに抱える籠を指差す。彼はしばし逡巡したのち小さな声でぼそりと呟いた。
「……治癒」
何か病気でも患っているのか。見たところ元気そうだが。フードを被っているとはいえ一回も目を合わせてくれないのが気になった。
疑問はまだあったが、ひとまずは切り上げることにした。急いでも仕方がない。
「それで。何か用があるって言ったが、なんだ?」
別にネフィシーに用はないが、そんなこと言っただろうか。少し考えて思い至る。調査といいかけて慌てて言い直した言葉だ。
「あ、ええと。主の姿が見たいという用事でした。ですが拝見できたのでもう終わりました」
ややごり押し感があるが仕方ない。諦めて欲しい。
欲をいえばフードを脱いだ姿をほんの少しだけ見たかったが。流石に我儘が過ぎる。
「そうか」
何故かネフィシーはフードをさらに深く被った。その仕草が癪にさわってアリエッタは口走る。
「ずっと部屋に籠っているのは不健康です。たまには運動をしに、外へ出て行かれてはどうでしょう」
「断る。余計なお世話だ」
ネフィシーはアリエッタと一度も目を合わせないまま扉を閉めようとする。
扉が閉まる数秒の間にアリエッタは部屋の中に入るように二枚の高級紙を投げ入れる。これを捨てるのは勿体無いから何かの裏紙に使ってほしい。
多分怒らせたな、とぼんやり考えつつ、階段を降りようとする。
(素直に降りるのは面倒よね……)
そう考えて、アリエッタの中にあることが浮かんだ。魔術を使えば良いのではないのか。飛行魔術を使って長い螺旋階段を下れば時間も大幅に削減できる。
そうと決まれば決行だ。アリエッタは手を大きく振り翳して自前の長い杖を取り出した。
魔術師の象徴ともいえる杖は魔術発動において大きな力をもつ。別に杖はなくとも魔術は唱えられるのだが、お気に入りの杖のため、わざわざ魔術使用のたびに取り出している。
魔術師としてのレベルが上がるにつれて、魔術の補助の効果は薄まっていく。上級魔術師が杖を持っているのはほとんど見た目重視の装飾品として機能している側面が強い。
アリエッタも例に漏れず、半ばお飾りの杖と化していた。だってこれは魔術店を営む父がアリエッタのために作ってくれたものなのだ。
茶色を基調としたシンプルながらも他者の目を惹くデザインだ。先端には宝石がはめ込まれている。家名「ローズナイト」の由来にもなった宝石ロードナイトだ。
あまり知名度のない宝石だが、そこがさらに魅力を引き立てている気がする。何よりあまり目立ちたくはないが、杖に華やかさは欲しいアリエッタにぴったりだ。
建物の中で飛行魔術を使うには精密な術式設定と魔術操作が重要になる。実際に室内で使ってみるのは初めてだが、どうなるのだろう。
アリエッタは深呼吸をし、軽く詠唱をして足を踏み出した。
ふわり、と身体が軽くなって宙を浮く。なんだか気持ちが良い。
術式を整えながらアリエッタはぐるぐると降りていく。階段を下るという地味で単純な動作より遥かに気持ちよかった。そして魔術を使うのは楽しい。
アリエッタは高揚して、終始笑顔のまま螺旋階段を下って行った。
作品タイトルと杖に嵌め込まれた宝石は「ロードナイト」
主人公の名前は「ローズナイト」です。




