第41話 海に入るには
「逃げてしまえばいい、重い使命を抱えた……」
作業室へ出て、居間に出たアリエッタは先ほどヴィティと交わした言葉を反芻していた。
顎に手を乗せて考えてもヴィティの意図がまったく見えない。マリンルナのことを知るつもりがかえって謎を深めてしまった。
「あ、アリエッタ」
アメリアが手を振って、呑気に近づいてくる。どうして皆アメリアのように楽観的になれないのだろうか。
「ちょうどいい。アリエッタも街に出る?」
「もちろん、私も一緒よ。高嶺の花のような存在とともにお出かけ。悪くないわ」
エルラも慌てて話に入ってくる。
もしかして高嶺の花とはエルラ自身のことを言っているのだろうか。アリエッタのはずがない、アメリアも失礼ながら高貴な雰囲気はないし。
「ええ。良いですよ。ちなみにどこが良いでしょうか。魔導具店? 古本屋? いかがでしょう」
自称とっても魔術が得意で才能あるエルラと底知れないが只者ではないアメリアだ。きっと古代魔導具とかの話に熱中できる。
「せっかく海の近くの街に来たから。海に入りたい」
「でも聞いてよ。海に入るには水着? たるものが必要らしいの」
普段のワンピースのまま入っては沈んで死ぬまで一直線だろう。エルラはふんわりとしていて生地が重なったドレスを着ているし。
「さらに髪の毛や全身が濡れてしまうと聞いたわ。メイクも落ちてしまうのね」
当たり前だ。海が水であることを知らないのか。
「だから、水着を買うの」
「そう。買うのよ! でも、あなたのお母さまが言っていたわ。デザインで人柄が決まる。ここで良い露出を選べば自然と男性が寄ってくるって」
それは母が絶世の美女だったからではないか。アリエッタが最良の水着を用意したとて、男性が寄ってくるとは思えない。身体目当ての男性を相手にしようと思わないし。
「お母さまの言うことは今すぐに忘れましょう」
「ええ、忘れるわ!」
特に母の言っている意味が分かっていないようで何よりだ。真に受けてはならない。アリエッタがきちんと露出量を監修しなければ。
「では。行きましょうか。……ちなみにネフィシーさまは連れて行かなくて大丈夫なのですか」
「馬鹿ね。女子だけの妖艶で華やかな空間に連れていけるかしら」
「まったく私は華やかではないですが。まあ良いでしょう」
エルラは華やかな令嬢だと思っていたが最近、その枠を外れている気がしてきた。
「シーズインザリオは海の大人魚、マーメリアさまの涙と希望とともによって生まれた街だって言われているのです。ほら、あちらに彼女の銅像がありますよね」
「ほんとだ。あたしそっくり」
うひょーと情けない声を出しながらアメリアが銅像に近づいていく。手を合わせて祈るように見つめるマーメリア。僅かに錆びれているが、聖女のような威厳と包容力のある笑み。銅像の周りには、海の象徴を表すかのように噴水が広がっていた。
しばらくじっと銅像を見つめていると。
「綺麗な銅像ですわね。末裔は綺麗だなんて思わないかもだけれど」
聞きなれない声が背後から聞こえてきた。アリエッタは振り返る。そこには可憐な日傘と帽子を被った、日差し対策万全の少女がいた。長い白銀の髪は丁寧に手入れされているように見受けられる。
艶やかで凛とした佇まいからは令嬢と呼んだ方が良いのかも知れない。
「うっふふ。海の底から魔物が浮き出ぬよう」
楽しむような笑い声を出して、令嬢は去ってしまった。一体何をしにきたのだろう。少女は背筋を伸ばしたまま真っ直ぐ歩いていった。
エルラは分かりやすく令嬢の言葉に怯え、「魔物……怖いわ」と震えている。
「妄言だよ。特に気にする必要はない。行くよ」
アリエッタも魔物というのは何かの比喩ではないかと思う。何かの物か人間を指しているのか。ネフィシーが化け物と呼ばれていたように。
「そうね。優秀なアメリアがいたら、完璧よ! あ、あり……あなたもいるしね」
「そうですね。アリエッタもいます。いい加減名前を覚えてください」
ここまでエルラと一緒にいた時間は短くないと思う。アリエッタの記憶が正しければ。まだ一度もエルラから名前を呼ばれたことがない。あり、までは言えたことがあるらしいが。
「馬鹿にしすぎよ。名前は覚えているわ」
「こういう面倒な性格をしている人は名前すら素直に言えないんだよ。あたしなんてアリエッタって百回呼び続けられるのに。ねえ、アリエッタアリエッタアリエッタ……」
言えても百回も名前を呼ばないでほしい。一回で十分だ。聞き取れる。
「あ、出てきたよ。バーバラのお母さまおすすめのお店。『リル・マリンシー』だね」
リル・マリンシー。知らない店が出てきた。アリエッタが学園に行ってから出てきたお店だろうか。アメリアはアリエッタの分析をよそに扉に手をかけた。
「待ってください。ここが怪しいか否か……」
アリエッタの声は無視してアメリアが扉をバン、と音を立て開く。心構えは素晴らしいがもう少し躊躇いがほしいところだ。
「アリエッタのお母さまのおすすめだよ。怪しい訳ないよ」
自分の母だが、彼女が潔白だとは思ってない。母だからという安易で愚直な理由で信用しては痛い目を見る。寂しいからと言って妹を作り出した親だ。動機は素晴らしいが、欲情が残っていることに呆れてしまう。
「いらっしゃいませ。旅の方? 海に入られる? ここはとっておきの海用品が手に入るの」
店内に足を踏み入れる前から若い金色の髪の女性が嵐のようなスピードで攻めよってきた。まるで逃げ場はないよ、と言わんばかりの。
「アリエ……。いえ、あなた。わたしここはやめたほうがいい気がするわ。高額請求でとてつもないお金を支払わせそう。デザインは良さそうだけれど」
「私はアリエッタです。エルラさま。……同感できます。内装が綺麗ですが、あの女性。無理やり商品を買わせるやり手ですよ」
エルラとアリエッタがこそこそ会話する。呑気なアメリアは話に入らないで女性と仲良くしている。
「わたしは店主のリル。あなたは可愛い子ね。小柄な小動物みたいよ。頭撫でたいわ」
「許さない。あたしには聖なる力が宿っている」
「あら、そうなの。残念だわ」
ふたりしておかしな会話を交わしている。聖なる力って何だ。アリエッタも聞いたことがない。店主も本気で信じているのだろうか。
「水着、買いにきた」
「そうよねえ。さあ入ってちょうだい。後ろのお嬢さまたちも入るわよね?」
声のトーンは変わらないのに有無を言わせぬ圧を感じた。
「いえ、私はあの……」
「入るわよね?」
アリエッタは断ろうとしたが断りきれなかった。店主が逆に怪しく見えるくらいの笑みを絶やす。
エルラは一瞬の隙を狙って逃げようとするが腕を掴まれて止められた。店主ではなくアリエッタがその腕を掴んだ。ひとりだけ逃げるとか許さない。
「わたしに任せなさい! あなたがたの素敵な夜伽に繋がるような最高の服装を!」
ここに来るのは間違いだったと思う。今すぐにエルラとアメリアを抱えて逃亡を図りたかった。
「ねえ、夜伽って何かしら?」
「死者の霊に寄り添うこと。うん、その通り」
「ええ……わたしは今からそれをするために水着を? もしかして誰か死んじゃうの。アメリアの占星術で何か見えたの」
アメリアの説明は合っているが、店主の想定することと大層違うだろうということは分かる。確かにそういう意味もあるが。
「知っているよ」
アリエッタにだけ聞こえる声の大きさでアメリアは呟いた。夜伽が繁殖行為の一環という意味を持つことを存じている、と伝えているのだろう。
よく使われる意味を知っていてあえて誤魔化したのか。なかなか頭の切れる少女だ。やはりこの占星術師は侮ってはいけないと改めて痛感した。




