第39話 救われる存在
どうしてもネフィシーが海暗の塔に興味を示すので、アリエッタは案内役も兼ねて同行することにした。あんまりあの場所は好きではないのだが。
ちなみにエルラとアメリアは放置してきた。ふたりは文句を言いそうだし。こういう閑散とした場所とは無縁そうだ。
アリエッタたちは庭園をじっと見つめる。花々は寂れ、人を寄せ付けない雰囲気を漂わせていた。
「誰も世話していないんだろうな」
ネフィシーは呟いて自ら如雨露を持って、花に水を撒く。毒闇の塔の庭園の管理はエルラに任せっきりだというのに。
まずは毒闇の塔を気にかけるところから始めたらどうだろうか。
「どうして、ここに行きたかったのでしょう?」
「……何か見つかると思って」
アリエッタに詳しく述べずに周囲を見つめている。もう帰っても良いだろうか。ひとりでその探し物とやらを捜索してほしい。
何か見つかる、の何かは一体何なのだろう。
「観光地って言っていたが、誰もいないな。まあ、確かに。廃墟と化しているからな」
数年前に訪れて以降アリエッタもその変貌を知らない。だが、花は枯れて塔の外壁も蔦とともに色褪せている。誰も近づきたいとは思わないだろう。
もう観光としての役目は終わったか。
「誰が観光地だ。客人など受け付けていないぞ。早く帰れ」
背後から甲高い少女の声が聞こえてきた。やけに威圧的な態度だ。
振り返れば海を彷彿させる見た目をした少女がいた。淡い水のような色の髪は顎先で短く整えられている。深い海のような青い瞳は、早く消えろと訴えているように見えた。頭には海月の飾りがついたベレー帽を被っている。
「お前は一体……」
「名乗るか。そんな怪しい魔術師に。そっちのあんたは、あの忌々しいローズナイトの娘じゃないか。ここは廃墟なのだろう? だったら留まる意味などないではないか」
少女は鋭く棘が刺さるような剣呑な声で言う。アリエッタはこの礼儀のかけらもない少女と出会った覚えはないが。いつ顔を覚えられた。忌々しいとは一体。
「俺はネフィシー・ラピスラズリだ」
横柄な態度の奴に名乗る必要なんてないと思うのだが。ご丁寧にネフィシーは名乗りを上げる。
「ネフィシー……。あの、哀れな魔術師か。あたしと同じ境遇にあった。まあ、良い。名乗ってあげよう。マリンルナ・アクアリアだ」
哀れな魔術師と言われるとネフィシーは分かりやすく顔を歪めた。彼は哀れだとかそういう言葉は嫌いそうだ。
「あんたはアリエッタだろ。名乗らなくても分かるぞ。あたしはあんたの父が大嫌いだからな」
普通父が嫌いです、と娘に面と向かって言うものだろうか。とうにアリエッタからは普通という言葉が抜け落ちたため、まったく分からない。
「あんた、どうだ。こんなところ彷徨いていて良いのかよ。さっさと毒闇の塔へ戻りな。あんたはこんなところに居ても誰にも咎められないのか」
マリンルナという少女は物を放り投げそうな勢いのある雑な口調で告げる。
「ま、まあ……。アリエッタに誘われたから」
そこまで正直に言わなくても。適当に誤魔化しておけば良いのに。
「ちっ。誰だってアリエッタが欲しいだろ。あいつは昔からずっと注目の的だったんだぞ」
「そうだったのですね」
まったくそんな実感はわかなかったが。自分の想像以上に、誰かの心に残っているのだと思った。
「一時期アリエッタは、ルミナイト学園入学が決定したと、祭りが起こっていた。あたしを放置して他の塔を救うなんて! まさかルミナイト学園でそんなことをやっているなんて!」
ルミナイト学園入学は、莫大な資金とそれに見合った魔術技術が必要だと言われている。十三の時、なんの気まぐれか試験に合格してしまったのだ。
「ずるいぞ。アリエッタをくれ」
「え……?」
なんか面倒なことになってきた。たまに誰かを巡って取り合う展開を小説で読んだことがある。
「あんた、なんでアリエッタと一緒にいる」
マリンルナは近くにあった年季の入った槍を持ってネフィシーの喉元に突き刺す。
彼は臆することなく優雅に瞳を閉じた。
「おい、答えろ。あたしたち王国から選ばれし七人の悪勇者は、常にひとりでいなければならないだろ!」
またアリエッタの知らない用語が出てきた。「黒魔術の大悪魔」に続いて。今度は「七人の悪勇者」だったろうか。
どうして固有名詞が、悪だとか黒魔術だとか、悪い意味を想起させる羅列なのだろう。
「俺は、変わってしまったみたいだ」
「あたしを差し置いて。あんたもあいつ……ヴィティみたいになるのか! ふざけるな! 向き合え!」
「……」
マリンルナはネフィシーの胸ぐらを掴みそうな勢いで叫び散らかす。久しぶりに、自分がコントロールできず、叫べば良いと思っている人が現れた。こういう人は大体その場限りでの言葉をつらつら並べるからやりにくいのだ。
「あの、マリンさま。あなたの言い分的に私がネフィシーさまから離れたら良いということでしょうか?」
「マリンルナだ」
「はい、失礼いたしました。マリンルナさま」
呼び方に関しては頑なだった。マリン、と呼べば眉を顰め、不満そうな表情をしたのだ。絶対にマリンかルナという名前の方が可愛らしくて良いと思うのに。
「……ああ。規則は守らなければならない。現にあたしは守ってきた。あたしはずっとひとりで、ここまで耐えてきたんだぞ!」
マリンルナは怒りで、槍を真っ直ぐ射抜かせる。ネフィシーはすぐに、隣にずれた。幸い、誰にも当たることはなかった。
「ふざけるな。ふざけるな……!」
マリンルナは槍を投げ捨てた後、そばにあった如雨露を手に取っては投げていった。完全に物に当たっていた。古めかしい如雨露はふたつに砕けてしまう。
「あの、マリンルナさま。落ち着いてください」
「落ち着くなどできるか!」
マリンルナは、ありとあらゆる物に当たっていく。しまいには、ネフィシーの腹をぽこぽこ叩いていた。マリンルナの力は弱く、彼は呆然と立ち尽くしている。攻撃から逃れることもできただろうに。
「では私の話だけでも。あなたは私とネフィシーさまが関わらなければ良いと言いましたよね」
「ああ。言ったが」
「でしたら、関わりを自重しましょう。夏休み期間限定ですが、あなたに会いにいけばよろしいですか?」
マリンルナはネフィシーへの攻撃をやめてこちらを見てきた。くるりとした広い海を求めているような輝きをした瞳で。
「あたしはあんたが欲しいと言ったがそういうことじゃない。……本当に真に受けるな、馬鹿が」
盛大に罵倒したのち、マリンルナは走って逃げ去っていった。
彼女は体力がないのだろう。途中で躓いてよろけながらも前へ向かっていた。
「ところで、アリエッタ。俺と関わりたくないって言うのは……」
「ご心配なく。私はまったく関わりたくないですが、今ネフィシーさまを失うのは早計だと思うのです」
ネフィシーはいつも通りの、アリエッタを少し怯えるような、臆病な様子で聞いてきた。
「こういうのは適当に肯定しておけば良いのですよ」
「……ありがとう」
感謝されるようなことは一言も言っていないのに。感謝された。
ネフィシーはマリンルナが壊した如雨露を手に取る。その破片を拾い集めてはじっと見つめている。
「俺の……仮面みたいだ」
まだ彼が顔を見せられなかった時。顔を隠すように仮面を被っていた。
今はもう、顔を見せて、アリエッタが切ってあげた前髪の長さを維持してくれている。素顔を晒してくれるようになった。
「もう、仮面はつけないのですね。あれは事故でしたのに」
「事故だったがきっかけになった。自分が自分らしくあるための」
ネフィシーは目を閉じて無詠唱魔術を発動した。アリエッタが失敗した無詠唱魔術だ。彼が目を開くと同時に粉々に砕けた如雨露は、ひびひとつ残さず以前となんら変わらない状態に戻った。
自分が壊した訳でもないのに。誰かのためにどうして優しい行動ができるのだろう。
彼は少し逡巡したのちアリエッタの瞳を真っ直ぐに射抜いてきた。彼が誰かの目を見るのは珍しい。
傷のある左手をぎゅっと握りしめて。恐れながらも覚悟を決めた凛々しさを伴っていて。彼は大きく息を吸った後、口を開いた。
「我々は苦しくても、寂しくても。王国から与えられた使命からは逃れられない。だから、救おうだなんて考えるな」
いつもの姿とは大きく乖離した凛とした鋭い声だが、浮かない表情をしていた。救うな、とはっきりと言っているにも関わらず、どこかアリエッタに縋っているような。複雑な感情をネフィシーは抱えているように見えた。
アリエッタはどう返すべきか迷う。いつものアリエッタなら、素直に肯定していただろう。相手がどういう気持ちなのか考えもせず。
(ネフィシーさまは本当は救われたいのですね……)
だから、なんだと思う。アリエッタは干渉しないととうに決めている。
「はい。そもそも私は救おう。だなんて一言も言ってませんし。私は見ないふりができます。あなたが苦しめられても放置する力はありますよ」
多分、放置はできない気がする。見ないふりができたとしても気にかけてしまいそうだ。
この回答が今の自分らしく。本心が悟らせないための最善な選択だと思ったのだ。
「ああ……。それで良い。むしろそうしてくれ」
と言っているのにも関わらず、ネフィシーはその場に崩れ落ちた。苦しそうに、耐えられないとでも言いたげにその場に蹲る。
居た堪れなくなったアリエッタはそっとネフィシーの背中をさすった。
そんなアリエッタの仕草に安心したのか、ネフィシーは表情を緩めて軽く息を吐いた。




