第36話 初めての誘い
アリエッタは生徒会の業務を終えた後、足が自然と毒闇の塔へと向かっていた。サンドレアの命令を遂行するためとかいう純粋な理由ではないと思う。
どうしてこんな行動をしてしまっているのか、自分でも説明できそうになかった。
アリエッタは合鍵を使って毒闇の塔へと入る。
「大変よ! ネフィシーはまだ引きこもり中なの!」
塔内部に入ればエルラが騒いでいた。最初の謎の完璧令嬢ムーブからは想像できないほどの変貌を遂げている。最初のエルラは何処へいった。それが微かな疑問である。
「どうして、彼が引きこもりを辞めると思ったのですか?」
引きこもりを脱却するのは精神的にも肉体的にも相当、堪えるものになるだろう。引きこもりの大半は今の誰とも関わらない生活に快楽を覚えていると聞くのだから。
「ええ、だって……。わたしとアメリア、それにあなただってネフィシーと関わることを許可したじゃない。そうしたら自然と会いにきてくれるかな、って……」
彼女はもうネフィシーを怖がる様子はない。何なら会いたがっている。エルラは変化を受け入れるのが早い。
「恐らく、ネフィシーさまは。下に降りてきても良いよと言っても降りてこないでしょうね」
彼と関わっていたら何となく分かる。本人にはすごく嬉しそうな表情をすると思うが行動には移さないと思うのだ。
「わたしが怖かったから、引きこもっていたのではないのね?」
「知りません。多少は関係しているのかもしれませんが。本当の理由は違う、もっと複雑で大きいものだと思います」
「複雑で大きいもの……」
推測であまり大きなことは言いたくないのだ。エルラは鈍感だからかまったく分かってなさそうだが。
「そういえば。エルラさまはあの日以降、ネフィシーさまと会えていますか。対面できていますか?」
「できていると思う?」
「……思います」
完璧令嬢エルラならできると思うがこれまで見てきたエルラでは何となく無理そうだ。難航していそう。
「わざわざ会いに行くのもなんだか馬鹿馬鹿しいと思って。食事を置いていくことはあってもついでに会おうとは思わないわ」
エルラとネフィシーが長年すれ違ってきた理由が分かった気がした。どちらかと言えばエルラ側に大きな問題があるように見える。
その態度で引きこもり中なの、って騒がれても。少しは歩み寄る努力をしてから言ってほしい。
「あたしも会ってないよ。だって用事ない」
アメリアも話に入ってくる。用事ないから会いに行かないのはいかにもアメリアらしい。ある意味潔い。先日のあの宣言はどうなったのだろう。もう、なかったことにされていそうだ。なんなら忘れているかもしれない。
「せっかくですし。ネフィシーさまに会いに行きますか。少し今後について提案がありまして。ネフィシーさまにも一応話をしておきたいのです」
他の人はそんなことないと思うがアリエッタにとっては大事な提案をしておきたいと思った。
「今後について? 何かしら。まあ、行きましょう。アメリアも来る?」
「行く」
短く返事して鼻歌を歌うアメリア。アリエッタにはとても真似できない芸当だ。
三人は長い螺旋階段を登る。ちなみに以前は使っていた飛行魔術は今はもう使っていない。
「ネフィシー。会いにきたよ」
先陣となったアメリアが扉を開ける。一番興味なさそうなのに何故か一番前で最初にいるのだ。続いてアリエッタ、エルラも部屋に入る。
「あ、ああ。……みんないる」
やたら嬉しそうだ。そんなに人間に会いたいのなら引きこもりなどさっさと辞めて仕舞えばいいのに。
「ネフィシー。あなたは下の居間にたまには来なさいよね」
最初に言う言葉ではないと思うが。エルラだから致し方ないのかもしれない。エルラにとっては精一杯かもしれないが。
「そう言ってくれるのは嬉しい、かな」
「あなたを喜ばせるために言っているのではないわ。引きこもりの感性がわたしには分からないのよ」
「それで良い。俺も引きこもりの良さがよく分からない」
妙に話が噛み合ってない。早急にネフィシーは外に出てはどうだろうか。
話がひと段落ついたところでアリエッタは胸元の服をぎゅっと握る。ふう、と大きく息を吐いて。
そんなアリエッタの様子に気がついたのはネフィシーだけだった。何も言わずにアリエッタの言葉を待っていた。
「あの、皆様に折り入ってお話が」
エルラとネフィシーがずっと話していても話の終着点が見えない。無駄話を告げるより、大切な話をしなければ。
「先ほど言っていた提案ってやつかしら?」
エルラが真剣な表情をしてネフィシーが身構える。アメリアはいつも通りのほほんとしていた。
「ええ。そうです。実は私。夏休みは、その……」
目を逸らして言葉に詰まる。こういう提案は初めてだから緊張する。馬鹿にされたらどうしよう。
「あの、せっかくですし。いえ、別に強要するわけではないのですが。何でもありません。夏休みは私実家に帰ろうかと思っておりまして」
せっかくだから三人も一緒にどうか、という提案をしたつもりだが上手く伝わっているだろうか。アリエッタ如きがこんな誘いをするなど身の程を弁えろ、と怒られたりしないだろうか。
アリエッタにしては珍しく恐る恐る様子を伺っていると。
「行く。アリエッタのおうち」
一番察しが良さそうなアメリアが即座に返事してくれる。二つ返事だとか。そんな人間がいて良いのか。
「どういうこと? わたしを誘っているの?」
「うん」
何故かアメリアが返事をする。アリエッタを差し置いて。随分と図太く出たな、まあいつも通りだが。
「まあ、外出ってことよね。悪くないわね」
若干分かりにくい返事だが了承を貰えたと思って良いだろう。最近気が付いたが、エルラは悪くないという言葉で本心から逃げている節がある。
残るはネフィシーだが。彼は手首をぎゅっと握りしめて俯いて思案している。視線を左右に動かして狼狽えていた。
「……行きたい」
散々待たせた挙句ゆっくりと微かな吐息のような声で短く言った。アリエッタは、すっと肩の力が抜けて気が楽になった。
「あら。引きこもりがいきなり外出なんて大丈夫なの? お出かけとは非にならないほど長く外に出るのではないかしら?」
確かに。恐らくネフィシーはここ数年は太陽を知らないと見て良いだろう。念を押しておくことは大事かもしれない。
「途中で日差しが無理、とか情けないこと言って倒れたりしないでくださいね。助けませんよ」
もし倒れたらその時は他人のふりをしよう。
「気をつける。……何ならアメリアがそうなってしまう方が解釈一致ではないか?」
「何を言っているの? あたしはいつでも元気な占星術師アメリアだよ」
いつでも元気は、流石に大嘘だが。何となくアメリアは倒れなさそうだ。ネフィシーは人のことよく分かっていない。
「ということで。私の実家はナーリア王国南部にある港街、シーズインザリオにあります。私は明後日の朝行こうと思っております。皆様も準備ができたら、各々向かってください」
話は終わったか、と思い退出しようとしたが、誰も頷いてくれない。今更になってやっぱり取り消しとか言うのか? ひしひしと汗が滲んできた。
「……場所が分からない」
「そうね。どうやって家に行けって言うのよ」
「同感」
三人は視線の押し付け合いを始めた。今から何の戦を始める気だろう。確かに、住居を言わなかったのは悪かったな、と軽く反省する。
「そうですね。私の実家は、シーズインザリオにあるローズナイト魔術店です。あまり栄えておらず、小さいのですが、街の人に聞いていただけたら誰でも分かるかと。お父さまが偉大というか、腕は確かなので」
アリエッタの父は本当に凄いのだ。名前を出せば街の者なら首を傾げる者はいないと聞く。子供に至っては恐怖で父の名前を聞いたら泣いてしまうだとか。
「そういうことではなく」
「そうよ。ええ、言いたいことは分かるわ」
ふたりはさらに否定を続ける。そんなに否定の祭りを開くなら、誘いを取り下げても良いだろうか。流石のアリエッタでも、今更断られるのは相当堪えそうだ。
「あ、あの……。いや……」
ネフィシーの方は何か言いたげに口を開いたが、すぐに噤んでしまった。こういうところで対人関係の不慣れな、彼のよくない部分が出ている。
アメリアは意図が分かったのかニヤニヤし始めた。彼女はアリエッタに近づいて耳打ちする。
「ふたりはアリエッタと一緒に行きたいんだよ。えへへ。ねえ、あたしとは一緒に行こうよ」
囁くような声で言われる。耳元で言われる笑いほど不快なものはない。
「え、ええ。構いませんよ」
こんなにつまらないアリエッタと一緒に行きたい、と言われるとは。てっきりアリエッタはひとりで行くつもりだったのに。一緒に行った方が長期的に見て効率的かもしれない。
「え、本当に。口が滑ったとかではないのですか? 明日になって断るとかやめてくださいよ」
「心配性だね、アリエッタ。大丈夫だよ。アリエッタはあたしが信頼している数少ない相手だからね」
にんまりした表情のアメリアが胡散臭く見えてしまいせっかくの発言も台無しだ。思ってもない発言をされるのは良い気がしなかった。残念だが、明日には断りの言葉を聞かされることも覚悟した方が良さそうだ。
ふたりはいまだに情けない押し付け合いをしている。はあ、とため息をついてアリエッタは近づいた。
「そんなに一緒に行きたいのなら、私と一緒に。良いですよ。明後日の朝に出発でよろしいでしょうか?」
そう言えばふたりの表情は明らかに嬉しそうになり、満足そうな笑みで大きく頷いた。




