第33話 普通の人間
想像していたよりも数倍格好良く現れたネフィシーは黒い手袋ごしの手を差し出してきた。人に触れるのは躊躇うのに、握手だけは初期からずっとやけに積極的なのだ。
エルラは「ありえないわ……」とずっとぶつぶつ呟き、現状をなかなか受け入れられずにいる。
まあ、英雄だと思っていた青年の正体が格好悪くて臆病でおどおど青年だった訳だ。アリエッタでもすぐ受け入れられる自信がない。
「すまないな。俺が、英雄なんかで」
なかなかエルラが握手をしないので、ネフィシー自身が手を引っ込めた。先ほどの英雄ことネフィシーだ、という格好いい台詞が一瞬で台無しになる。
「あなたは、この事実を知っていたの?」
ようやく正気に戻ったエルラが立ち上がり、疑いの声を向けてくる。
「はい。というか私は竜討伐の時、近くにいましたからね」
実際にネフィシーが杖を振るって何頭もの竜をたったひとりで相手にしている姿を間近で見ていたのだ。
「どうしてすぐ教えてくれなかったのよ。わたしが馬鹿みたいじゃない」
想像以上に憔悴しきっている。面白そうだから、と調子に乗りすぎてしまったか。
「すみません。私は別に隠しているつもりはありませんでした。積極的にネフィシーさまの名前を出して気が付かせようとしたではありませんか」
「そういえば。やたらと英雄とネフィシーを比べていたわね。まさか、そんな意図があっただなんて……」
エルラは頭を抱えてその場に崩れ落ちる。伝えなかったアリエッタも半分悪いが、彼女が鈍すぎるのも半分悪い気がしてきた。
「俺がすぐに言えずに変な期待を持たせてしまったのが悪かった。……本当に、すまない」
ネフィシーもネフィシーで謝ってくる。ふたりが話せば会話が一向に進まない気がしてきた。どちらも反省しすぎだ。
「……一度、ふたりで話し合うことも重要だと思うのです。久方ぶりにおふたりで何かお話ししては如何でしょう」
アリエッタは軽く一礼をして去ろうとする。邪魔者はさっさと退散するべきだ。
「ちょっと待って。今のわたしにはあなたが必要よ」
「ああ。エルラと何を話せ、と……?」
ふたりにしてアリエッタに縋ってくる。都合の良いように扱いやがって。
「必要だからです。あなたたちはどうせお互いのことを見向きもせず、私の方ばかり見てこの場を凌ぐつもりでしょう」
エルラとネフィシーの会話ではなくエルラとアリエッタ、またはネフィシーとアリエッタの会話になることは容易に想像ついた。苦手な人と関わらないで逃げることはとても重要だが逃げてばかりではいけないこともある。
「それでは。失礼いたします」
お互いを怖がっているふたりがどのような会話を紡ぐのか気になったが致し方ない。アリエッタは部外者だから。
アリエッタが大人しく階段を降りていると。
「アリエッタ発見」
なんともマイペースな声で占星術師アメリアが話しかけてくる。見計らったようなタイミングだ。
「アリエッタも見る? 世界の話者の心を見る占星術師アメリアの力を」
アメリアがまた変なことを言い出した。なんだ、世界の話者の心を見るって。アリエッタの許可を取ることなく何か詠唱をした。この世に存在する発音ではなかった。
「アメリア語だよ。アメリア式占星術ならぬ時空共鳴」
ほら、と言ってアメリアは水晶を差し出してくる。彼女の言葉を理解することは諦めた。
水晶を除けば気まずそうなエルラとネフィシーが映っていた。
「あたしはこうして皆の行動を見れるから。最高の観測者だよ」
最悪の観測者だ。今後のアリエッタの行動が全て見られると思うととても胃が痛くなってくる。
「アリエッタはネフィシーの髪を切って。その後無詠唱魔術を教えてもらっていたね」
「……」
「それで、上手くいかなかったんだっけ?」
もう消えても良いだろうか。観測者としての力は絶対にアメリアに与えてはいけなかった気がする。
♢♦︎♢
唯一の救世主アリエッタが去ったことによりエルラははあ、とため息をついた。目の前のネフィシーは英雄らしかぬ佇まいでおろおろ様子を伺っている。
これが竜討伐を躊躇わない青年へと変貌するのだから困ったものだ。本当にネフィシーなのか。今でも現実が受け入れられそうにない。
何か言わなければと思い、エルラは口を開く。
「あなた。わたしが英雄にときめいていた所は決して見てないわよね? 見てしまったのなら今すぐに忘れなさい」
「あ、ああ……。見ていない」
視線をきょろきょろ彷徨わせて言う。嘘が本当に下手だ。エルラはさらに念を押しておく。
「良い? わたしが英雄だと言ったのは青年がネフィシーだなんて思わなかったからよ。まさかいつもおどおどしゅんしゅんあわあわな引きこもりダサい魔術師のあなただとは思わないじゃない!」
「おどおどしゅんしゅん……」
何か落ち込んでいそうだが事実を述べただけだ。気にするなら改善してほしい。
「わたしはあなたが竜討伐をしたことは絶対に認めないわ。竜が現れた時だけ別人格が入ってあなたの肉体を操作したのよ!」
「それは禁術だ。そんなこと俺はしない」
「しない、ではなくさせられたのよ!」
よく知らないが禁術を使用すればこの世界の選ばれし者が必ず苦しむと聞いたことがある。まるで生贄のようだ、何処かの誰かが言っていた。
なんだか自分で言ってきて恥ずかしくなってきた。あまりにも無知な見習いが提案する内容に似ている。
「それと。随分と雰囲気が変わったわね」
最後にネフィシーに会ったのは三年前だろうか。その時は生きる気力も失い、何もかも自暴自棄になっていた気がする。それに比べれば随分落ち着いて大人しくなった。
少しだけ生きることに楽しみを持ったようなそんな雰囲気が滲んでいた。
「何も変わっていないよ」
そう言って自分を卑下するところは変わっていない。風の噂によればネフィシーは昔はもっと活発で積極的な人だったとか。自分に自信があったらしい。
「エルラは。なんか面白いな」
「え、面白い? 何を言っているの。何を見ているのよ。別人を見ているのでは?」
面白いなど言われたことがない。エルラはいつだって完璧で秀才、才色兼備な令嬢を目指しているのに。少しだけ。否、だいぶエルラの理想とは離れた言葉だ。
ネフィシーは左手の手首をぎゅっと握りしめて何かを恐るようにぽつぽつとゆっくり話し始めた。
「俺は。ずっと掟を守って誰にも会わないことを徹底してきたし、それと同時にエルラと関わるのがとても怖くて……。ずっと放置していた」
ネフィシーはこんなにも本音を語る人物だったろうか。
性格も、表情も、彼がどんなものが好きなのかすらエルラは知らなかった。もはや彼のことは声しか覚えていないのではと思う自分が怖い。それくらいネフィシーと関わってこなかったのだろう。
「だけど。もう良いかなって。俺の非礼を許してくれるなら、これからも関わってほしい」
ネフィシーは驚くほど純粋で汚れのない瞳でエルラを見つめてくる。
ネフィシーのやったことは決して許されることではないだろう。彼は、引きこもり、生活に必要なことは完全にエルラに任せていた。エルラが用意する食事を食べるだけ食べ、片付けすらしない。
心を鬼にして、ネフィシーを追い出す者だっているかもしれない。
それでも、エルラは文句を言いつつも毎晩食事を用意していた。ネフィシーが一日一食生活だったことはここだけの秘密だ。
エルラ自身は三食きちんと摂っているというのに。
三年前よりも、随分と痩せてしまっていた。食べることは生命活動の維持によって重要だろうに。何だか、申し訳ないことをしたな、と思った。
「あなたは一日三食の食事を用意してもきちんと食べるかしら?」
「……食べる、と思う。エルラの食事は……美味しい、から」
美味しい、と言われたことは初めてだ。料理を始めてからかなり経つが、批評家はアメリアしかいないため、まともな感想が得られず、自信がなかったのだ。
「そうでしょう、当たり前に美味しいはずよ。これからは三食作ってあげても良いわよ」
これがエルラの答えだった。若干上から目線なのは通常仕様だ、許してほしい。
「最近、人と一緒に食事をして、食事をする楽しさを知った。少しだけ、俺は人との関わりを求めているのかもしれない」
ネフィシーが一緒に食事をした相手とは一体誰のことだろうか。脳裏にひとりの少女が思い浮かぶが、エルラはそのことについて考えないことにした。
どちらにせよ、ネフィシーを変えるきっかけになってくれたのだろう。
そんな本当に少しだけ変わったネフィシーに言いたいことがあってエルラは言葉を紡いだ。
「わたしが、あなたのことは化け物だって恐れていたことは知っていたでしょう?」
「ああ」
人間とは似て非なる声を出されたら誰だって恐れて関わらなくなるだろう。その化け物に取り入ったアリエッタはやはりすごい。
「姿は思っていたよりも普通で驚いたわ」
エルラは自分の長い髪をぎゅっと抑えた。
「ああもう。あなたを怖がっていたわたしが馬鹿みたいね。普通の人間そのものじゃない」
普通の人間、と言えばネフィシーが分かりやすく嬉しそうに控えめにはにかんだ。




