第31話 諦めるのはまだ早い
無詠唱魔術が自分にも使えるかもしれない。
そんな輝かしい未来は自分の才能の無さと失敗で水の泡のように消えてしまった。そんな高揚した感情などもうなくて。アリエッタは何か物に当たりたくなった。
肩を落として部屋を出れば。
「ひゃい。きゅ、急に出てこないでよ。ばれてしまったじゃない!」
突然鈴の鳴るような、だが焦りが混じった令嬢の声が聞こえてきた。アリエッタ声のした方へ視線を動かせば、エルラがびっしりとメモが記された手帳と共に狼狽えている。
術式が丁寧で緻密な線で描かれていた。アリエッタが描くより分かりやすそうだ。
エルラは焦って手帳を手で隠す。まったく隠しきれていないが、そういうところがまさしくエルラだ。
「何をしていたのでしょう。ここは廊下です。長居する場所ではないかと」
「そうよ、そうね。わたしだって居たくているわけではないのよ」
エルラは顔を赤らめて必死に弁明する。
「なら早急に去ってはいかがでしょう。私はこう見えて、今すごく嫌な気分ですので」
今は誰かと関わる気が起きない。さっさと自室に帰って、グラスでも叩きつけたい。アリエッタの近寄りがたい雰囲気を気にも留めずエルラは身を乗り出す。
「ね、ねえあなた。先ほどまで何をしていたの?」
「無詠唱魔術ですが。それがいかがしましたか?」
「それよ!」
無詠唱魔術の単語を聞くとエルラが人差し指を上げて鼻の先まで迫ってきた。この令嬢、時折距離感がおかしい時がある。
「わたしもできるようになりたいのよ。良ければわたしにも……お、おし……」
教えてと言いたいのだろうか。令嬢は平民風情に教えを乞うのは恥なのだろう。常に自分が頂点でなければ自尊心が許さないのだろう。
「残念ながら私は失敗したのです。なので、私からあなたに教えることはないかと」
もし、アリエッタが教えたとしてエルラが成功してしまったらどうなる。自分すらできないものを教え子が先に習得する。そんなことになったらアリエッタの矜持が保てない。
エルラが教えてと言えないようにアリエッタだってできないことはあるのだ。
「え、でも。一緒に。わたしだってネフィシーの講義、実はちゃんと聞いていたのよ!」
開き直ったのか真面目に書いたノートを見せつけてくる。聞いている、聞いていないの問題ではない。
「私は諦めました。もう二度と無詠唱魔術なんて言葉を口にしないでください」
エルラを怖がらせるために、アリエッタはあえて冷たい視線で彼女を睨みつける。その場を静かに去ろうと足を進める。
「待ちなさい!」
エルラはアリエッタの腕を掴み引っ張った。服が破けそうだ、やめてほしい。
「何ですか、どうして私を怖いと言わない……」
「わたしはあなたたちの会話を聞いていたわ。何なのよ、『一発で成功しなければ凡人も良いところでしょう』って。ふざけているの?」
エルラはアリエッタを怖がるどころか、彼女自身が声を荒げていた。エルラが、また怒っている。相変わらず何故怒っているのかまったく見当がつかないが。
「ふざけてませんよ。あなたもネフィシーさまの講義を聞いてみてはいかがでしょう。本当に失敗してしまった自分に反吐がでそうです」
講師が上手だから、教え子も才覚があればすぐに上達できるはず。至極真っ当だと思うのに。
「馬鹿ね。何簡単に諦めているのよ。たった一回の失敗でしょう」
「完璧令嬢エルラさまなら、失敗した時の屈辱は分かると思います。自分の才能の無さに絶望するでしょう」
「……」
その言葉はエルラに深く刺さったのか、硬直して言葉を失ってしまった。泣きそうな瞳で歯軋りを起こしている。
「あの。すみませ……」
「うるさいわね! わたしだって初級魔術を使うのに、かなり時間がかかったじゃない。失敗を何度も繰り返したわ」
謝罪はエルラの被せた声に負けてしまい、不発に終わってしまう。どちらかといえばうるさいのは完全にエルラだと思うのだが。
「それはエルラさまの執念と努力があったからでしょう」
「そうね、でもあなたはそれでも、こんなに弱い魔術でも素晴らしいって褒めてくれたわ。その言葉をわたしは忘れていないわ」
「そうですね、ですがエルラさまはあの時、誰かに教えてもらいましたか? 孤独な魔術との向き合いだったことでしょう」
アリエッタから直接エルラに何かアドバイスをした覚えはない。盛大な火炎旋風を披露したことがきっかけで、エルラが怒ったことは記憶に残っている。
「そうよ、それがどうかしたの?」
「エルラさまは孤独で崇高な魔術練習、私は誰かの手を借りた低俗な魔術練習です。誰の手も借りないなら失敗してもいいと思います。ですが、私みたいな者が失敗すれば指導者は失望することでしょう」
どうして自分で無詠唱魔術を学ぼうとしなかったのだろう。すぐに人間を、ネフィシーを頼ってしまったのだろう。
ひとりで突き詰めたら良かっただけの話ではないか。自分はどうしてここまで脆い方向へ変わっていってしまったのだろう。
「孤独が崇高、みたいな言い方は鼻につくわ。わたしはできれば誰かと一緒に学びたいわよ」
「その考えはとても素晴らしいと思います」
そう思うならそう思えば良い。今はアリエッタの方が上でも。きっと将来的にはアリエッタよりもエルラの方が魔術の技術も人生術も上をいくのだろう。彼女にはその片鱗がある。
だが、そんなエルラに比べてアリエッタは。
「そうですね。でも私は絶望的に人間と関わるのが向いていないんだと思います。私は相性で人間と関わるのか決めています。エルラさまはまだ大丈夫ですが、ネフィシーさまは少し危うい気がします」
彼と関わるとどうしても自分が自分らしくいられない気がする。変な方向へアリエッタの心が動かされるのだ。
相性の違いによって引き起こされたものだろう。
「ああ、もう。なんか面倒ね。わたしより面倒な人は初めてだわ」
「そうですか。それは光栄です」
エルラは自分は面倒な人だと自覚していたのか。アリエッタは自分が面倒だとは思わないが、自分と関わる人が面倒だと思っていないかが心配だ。
「褒めていないわよ!」
エルラは片方の手は指を立てて、もう片方は腰に当てる。
「もう、良いわ。わたしがいくら言ってもあなたは諦めるのね。でもわたしは諦めないわ。誰かと一緒にいる楽しさをわたしが教えてあげるんだから」
そんな。頼んでもいないのに。ありがた迷惑だ。その後にエルラはぼそりと「まあ。わたしも楽しさがよく分からないけれど……」と呟いた。
人間との関わりは楽しいという感情によって形成されるものではないと思う。必要だから、仕方なく行っているものにすぎない。
どうでも良い世間話や雑談など時間の無駄だ。まして友人と遊びに行くなどという行為はもっと意味が分からない。
一度失敗してから、もう諦めた。はずなのに。
すると。コンコン、と扉を叩く音が響いた。扉の先にいるネフィシーが鳴らした音だ。
あまりにも気配がなくて彼の存在を忘れていた。まさか、ネフィシーの前でこんな話をしてしまうとは。
「俺は、アリエッタが失敗したからって、迷惑だとか失望だとか思わない。誰にでも失敗はつきものだろうし。それより、俺はアリエッタが成功する姿が見たい、かな」
今更何を言おうと鉄壁のアリエッタの心は簡単には動かない。アリエッタは自分の決めたことは最後まで揺るがない。だから、無詠唱魔術はもう、諦める。




