第30話 あなたのためではない、私のため
「アリエッタは。お前はもう、俺とは関わり合いたくないんだな」
ネフィシーはそう言った後、フードを深く被ってしまった。昔の彼に逆戻りだ。その姿に腹が立ってしまった。
「あなたが関わり合いたくないなら、そう思っておけば良いじゃないですか。私は実際に期待しない、踏み込まない、心を開かないことって言いましたしね。それが守れるなら素晴らしいですよ」
アリエッタは強引にネフィシーのフードを脱がせる。昔の彼のままなら遠慮していただろうが。今はもう良いだろう。
瑠璃色の瞳は揺れていた。
「だけど私は忘れていませんよ。あなたがはっきり嫌だって言った事。その信念がはっきりあるなら貫けば良い。誤解されるような事など言わなければ良い」
自分でも何が言いたいのか分からなかった。以前アリエッタが言った内容と矛盾している気がする。
竜討伐の後、アリエッタは期待するなと言った。もうアリエッタに深く踏み込まないように彼に求めた。
それで良かったと思う。最善の選択だっただろう。
『それはちょっと……嫌、かな』
ネフィシーの明らかに相手の気を窺っているような、自信のない声はアリエッタの脳裏に深くこびりつき忘れることはなかった。
別にこの言葉で何かアリエッタの思考が変わったというわけではない。ただ、簡単に忘れられなかっただけの話だ。
あの日以来、ネフィシーが傷を負ったことによってふたりの関わりは曖昧になってしまった。
縁を切るつもりで言ったのに、気がつけばうやむやな日々が続いている。もう一度、続けるか切るかはっきりさせないと。
「ネフィシーさまの本音は。私と関わりたいのですか? それとも関わり合いたくないのですか?」
「……許されるなら。関わっていたい」
良かった。ここで縁を切ろうなんて言うものならアリエッタの手が黙っていなかった。
アリエッタは何も言わずに懐に忍ばせておいた魔導書を叩きつけた。側から見たら怒っているようにしか見えないだろう。
「な、何だ……?」
残念ながらここで怯えて怖がるのがネフィシーなのだ。
「覚えていますか? 私が無詠唱魔術を学びたいって言ったこと。ネフィシーさまは常時暇ですよね。では今からご教授を。お願いします」
ネフィシーを睨みつけている自覚はあるが、どうしたらいつもの表情に戻れるか分からない。いや、別に元の表情に戻る必要はないかと思う。
「この空気感で教えるのか?」
ネフィシーもネフィシーでものすごく嫌そうな表情をする。今どうにかしなければ本当に距離が生まれる気がした。
「何か問題でも?」
「き、気まずくないか?」
「そもそもこの空気感を作ったのはネフィシーさまですよね? 私はこれを打破させるためにやっているのですよ」
部屋を見渡せば禁術書が以前より少し増えた気がする。恐らく以前見た時に見落としたものたちだろうけど。
「アリエッタが喜ぶな、なんて言うから……。いや何でもない。教えよう」
ネフィシーはぶかぶかのローブを翻して立ち上がる。そうして天井まで聳え立つ本棚の天辺に手を伸ばす。ネフィシーは身長が高いので小さな梯子を使えば十分手に届いた。
魔術書を数冊取ったあと、彼はアリエッタの様子を伺うようにきょろきょろしていた。端に置いてある小さな時計を見つめてはおどおどしている。一向にネフィシーは動かない。
察したアリエッタは床にある魔導書をひとつ手に取る。禁術書ではない普通の魔導書を選択した。
「あの、少しこちらを拝見させても?」
禁術書ではないことを強調するため表紙をしっかり見せる。
「ああ、ありがとう」
何故かお礼を言われた。無論アリエッタは大人しく魔導書に目を落とすことはしないが。魔導書を見るふりをしながら、ネフィシーの様子をしっかり疑う。
「……っ」
ネフィシーの息遣いは静謐な空間に大きく振動する。彼は恐る恐る手を伸ばし、時計の長針を動かした。ただの装飾時計ではないらしい。魔導具の一種だろうか。
その時計は針を動かせば黒くて醜い光を帯びた。ネフィシーは自身の身体を使って必死に魔導具を隠す。一体何をしているのだろう。
「すまない、待たせたな」
数分後には何事もなかったかのようにネフィシーは本を抱えて戻ってきた。気のせいか額に汗が滲んでいる気がする。
「随分と遅かったですね。疲れるほど魔導書を探し回って頂けて。光栄です」
恐らく魔導具反応によるものだろうけど。ネフィシーの汗は魔導書を探す時の疲労による汗だと設定しておく。
「……ああ」
ネフィシーは言いにくそうに歯切れの悪い返事をする。彼は汗を拭いながらふう、と息を吐く。
彼に気を取られていると机上には小さな雪だるまがいつの間にか現れていた。今は初夏なのに。
アリエッタはそっと雪だるまを触る。触れた部分が小さなへこみを帯びた。模倣品ではない、本物の雪のようだ。
「これが無詠唱魔術っていうものですか?」
「……ああ」
満更でも無さそうだ。雪を出す魔術か、ただ装飾が豪華になるというだけの何の役にもたたない魔術だが。
「綺麗、ですね。雪が楽しみになりました」
「……っ。それは良かった」
ネフィシーは自分のことでもないのに嬉しそうな表情をした。
「アリエッタも。頑張ってできるようになろう。きっと広がった世界を見ることができる」
アリエッタは頷いてロードナイトの杖を取り出す。中央に嵌め込まれているロードナイトはいつもより輝いて見えた。
だが、どうしても確認しておきたかった。
「室内で魔術を使ってしまってもよろしいのでしょうか。以前まで魔術を使うとネフィシーさまが苦しんでいるように見受けられましたが」
「あ、ああ。構わない。というか前にも構わないと言っただろう」
「そういえばそうでしたね」
あくまでアリエッタの推測なのだった。ということは推測が外れたか。考察には自信があったばかりに、外れた時の落胆は大きい。
そんな感情を紛らわすかのようにアリエッタは口を開く。
「まずは各属性の超初級魔術が良いと聞きました。試しに水属性の小水球を練習したいです」
地水火風のどれかひとつ属性が抜きん出ていていれそれぞれの得意属性というものがある。アリエッタは水、エルラは風というように。ネフィシーはよく水の応用編である氷の魔術を使っているから、得意属性は水だろうか。
「小水球……」
ネフィシーは複雑そうに眉を顰めた。此処は室内だから向いてないとでも言いたいのか。
「いや、何でもない。確かにそれが一番良い」
紙と万年筆を取り出して緻密で丁寧な魔術式を書き上げる。アリエッタはしなやかな彼の動きを横から覗く。魔術式を頭で展開し、書き上げることで魔術は発動するのだ。
「通常は詠唱による時間を使って魔術式が完成していく。だが、無詠唱魔術は詠唱時間が皆無になる。素早く魔術をイメージして展開することが大事なのだ」
魔術式は術者の性格を良く表すという。ネフィシーの魔術式は丁寧でとても分かりやすかった。小さいブレも見当たらない。とても綺麗な術式だ。是非とも額縁にいれて保管したいほどに。
「この魔術式をしっかり焼き付けて。そうしたら最初は目を瞑ろう。そうした方が成功率が良い」
アリエッタは立ち上がって杖を真っ直ぐ構える。先まで芯の通った杖へと変貌する。
「それじゃあ行こうか。術式を展開して。自分が魔術を使った姿をイメージする」
先ほどからネフィシーの声はやたらと優しかった。心地よい耳触りが良い声をしていた。アリエッタは小水球を使う姿を想像した。大丈夫。きっと上手くいく。
「出来たか? そうしたらいつも通り魔術を展開」
ネフィシーの声に合わせて魔術を展開。発動する。何だかさらさらな水の感覚がしてきた。上手くいったかもしれない。楽しみで目を開けるが。
「あれ。おかしいですね。小水球……」
ネフィシーの杖の先には小さな球が浮かんでいたがアリエッタの杖にはなかった。小水球が床に落ちてしまったのかもと思い、近くを確認するがそれらしき跡はない。
「失敗、ですか」
自分のことを天才だと自称してきた痛ましい時期はあったが。所詮はこんなものなのだ。魔術においても何においても上には上がいる。
無理だと悟り、杖の先を床に叩いて音を鳴らした。
「もう良いです。ありがとうございました。さようなら。私には才能がなかったようで」
諦め気味に杖を片付け、ネフィシーのことを見向きもせず部屋を去ろうとする。ネフィシーとやっても圧倒的な実力差をひけらかすだけだ。そんなことは承知でお願いしたが。
(多分一度で成功できなかったから……)
天才は何でも一発で成し遂げるとあの第三王子から聞いたことがある。所詮アリエッタは平民。天才でもないただの凡人風情だ。
「待ってくれ。先ほどのアリエッタは手に力が入りすぎていた。もう少し力を抜いてリラックスすれば……」
「ネフィシーさまは。教えるのがとても上手だと思います」
指示は的確で抜けがなかった。イメージもきちんと出来たし。アリエッタが成功する未来が少し見えた気がするのに。
「だからこそ。教えが上手だからこそ私は一発で成功しなければ。凡人も良いところでしょう」
忖度なしでネフィシーの指導は学園の教師誰よりも分かりやすかったと思った。これ以上の者はいない中、アリエッタは失敗した。
つまりは諦めなさいと言っているようなもの。何度やったってきっと結果は同じ。
上手な人に教えてもらって、失敗をすることによって自分が凡才だと晒すなんて恥そのものではないか。去るなら今だ。
アリエッタは唇を歪めたままネフィシーのことを見ることなく部屋を去っていった。
儚い夢だった、だが、もう諦めはついた。これからはもっと違う魔術を極めよう。
「何も。天才だって一発でできるものじゃない」
ネフィシーの最後の足掻きの声は、アリエッタの耳に届くことはかった。




