第29話 変わること
アリエッタは世話焼きというわけではないが最近は、ネフィシーに会いにいくことが多くなった気がする。わざわざ最上階にまで階段を使って登っていっているのだ。
そして今日は。無詠唱魔術について教えてもらおうと思い塔の最上階まで出向いていた。
人間の本質を知るのは何気ない出来事だったりするものだ。
「アリエッタです。……本日も参りました」
「……ああ」
ネフィシーは短く返事する。返事があれば気兼ねなく開けて良いと以前言われた。アリエッタは扉を開く。
「あの……」
アリエッタは戸惑いの声を上げる。ネフィシーはというととても情けない姿でハサミを持って震えていた。誰か人でも殺さなければならないのだろうか。おろおろしているのはある意味いつも通りだが。
「ネフィシーさま。人を殺めたいならお手伝いいたしますよ。それと、ハサミは向かないかもしれません。新調のナイフを用意した方が切れ味が良いかと」
「……違う」
ネフィシーの消え入りそうな声は無視してアリエッタは続ける。
「もしかして暗殺でしょうか。それとも予告殺害? 人ではなく魔物を。魔術でなく人工的に殺める? 新しい発想ですね」
「違う」
何だか事件の香りがしてきて興奮してきた。微妙に声が上擦ってくる。
先ほどより本当に少しだけ声を上げてネフィシーは言う。それでもまだまだ弱々しいが。ネフィシーはこれでも声を張り上げた方だ、とか言いそうだ。
「違う、とは。一体何をするつもりだったのですか」
令嬢たちが好む社交界ものではなく暗殺が主流な世界の小説を読んでいたアリエッタにとって、凶器は人を殺すためのものにしか見えない。
「髪を。髪を……を切ろうとしていた」
ネフィシーは長い前髪をそっと指差す。目元を見せてくれるようになったとはいえ、前髪はまだ長いまま。時々前髪が瞳にかかって非常に邪魔そうだ。長い後ろ髪は、最近後頭部できちんとひとつに結ってまとめている。
「でも。大失敗が怖くて……切れなかった」
どこまでも正直だ。よく失敗が怖いとか言えるものだ。ある意味感心する。こう言う時は「今切ろうとしていた」と適当に言ってはぐらかせば良いものを。どうして自分の恥を躊躇いなく晒せるのだろう。
「なるほど。断髪はひとりの方が集中できますものね。では私は失礼いたします」
無詠唱魔術を教えてもらうのはまた別の機会にしよう。ネフィシーの時間をアリエッタが奪っているのだから。彼のやりたいことくらいは優先してあげようと思う。
そうして踵を返そうとしたがアリエッタが動く前にネフィシーはぎゅっとアリエッタの腕を掴んだ。許可もなくアリエッタに触れて平伏していたネフィシーはどこに行ったのだろう。まるで別人だ。
彼は自信なさげに俯いていく。嫌な予感がした。素早くこの場を去らなければ、面倒ごとに巻き込まれてしまう。
「あの、私は忙しいので。失礼します」
「俺の髪を。……良ければ、切って欲しい」
負けた。彼の方がほんの少し強かった。いつもの彼らしくおどおど挙動不審になっていればいいものを。しばらくじっとネフィシーを見つめて考えていると。
「駄目……か?」
アリエッタに縋るように。アリエッタしかいないと言いたげなように。
面倒な人だ。大人しく丁重に断れば良いものを、アリエッタは。
「失敗しても良いのですか?」
なんて言葉を放っていた。今すぐに撤回して退出したい。
「……っ」
ネフィシーはびくりと体を震え上がらせた後、小さく怯えるように頷いた。これは失敗したら駄目な時の言動だ。
アリエッタははあ、とため息をつきながらもネフィシーからハサミを受け取った。
「後で文句を言うとかはなしですよ。受け付けません」
「……」
ネフィシーは黙ったままだ。自分の本音を押し曲げてまで取り繕わなくても良いのに。
ハサミを手に持ってネフィシーの顔の前に立つ。彼は目を逸らして顔を動かした。
「動かないでください。失敗しますよ」
「……良い匂いがする」
「変態ですか?」
見栄を張るためだけではないが、一応女性の嗜みとして香水をつけている。
「ローズの香り」
「私に切ってほしくないのですか?」
フローラルのローズの香り。残念だが正解だ。引きこもりなはずだが香りに妙に詳しい。ネフィシーはゆっくり首を横に振った。
「じゃあ黙って成り行きを見守っていてください」
「ああ」
ネフィシーは目を瞑ってアリエッタに髪を預ける。きっと世間から見れば深窓の令嬢のようだと比喩するのだろう。
アリエッタはじっとネフィシーの前髪を見つめた。どのくらいの長さにすれば一番ネフィシーに似合うかを自然と考えていた。頭の中で設計が終わった後、アリエッタは髪に手をかける。彼は震えようとしたが頑張って抑えたようだ。
人の髪を手にかけるのは初めてだ。慣れない。少しずつ切りすぎに気をつけながら髪に触れる。
「心地いい」
意外にもネフィシーから飛び出た言葉は否定系ではなかった。
「心地いいですか」
黙れ、とも言えずアリエッタはネフィシーを一瞥した後、髪を切っていく。多分鏡を向けられたらアリエッタの真剣な顔が露わになるだろう。
髪が切られる音とともに妙な緊張感が走る。ネフィシーを生半可な姿に変えることは許されないと思った。
何度も彼の前髪を見て少しずつ僅かなずれを修正していく。
髪を整える魔術でも使えたら良いのに。
「出来ましたよ、これで文句ないですか?」
文句は言うなと伝えたが。文句の一言が飛び出てもよしとしよう。それほど、今のアリエッタは自信がなかった。
銀細工の手鏡をネフィシーに手渡す。彼はすぐに鏡を見て驚いた表情をして、前髪を極限まで引き伸ばそうとする。それでも目は完全には隠れない。
ネフィシーの前髪は目元がはっきりと見えるくらいの長さに調整する。瑠璃色の透き通った綺麗な瞳を見せないのは勿体無い気がした。
彼はきっと眉を見せることを嫌いそうだから。眉より長く。目を見せて。それを意識して切ってみたが、どうだろう。
彼はおろおろと鏡を見つめてはあたふたしている。そんなに動揺するなら最初から切ってなんて言わないでほしいが。
「アリエッタの表情が前よりさらに見えるようになった」
ネフィシーは怯えながらアリエッタと視線を合わせる。その視線をアリエッタは離すことなくじっと見つめる。
「少しだけ。世界が見えるのは。怖い、かな」
驚くほど正直に、ぽつりと決して飾られていない言葉で告げられる。よくもまあ、怖いとか平気で言えるものだ。アリエッタなら上手く誤魔化すものを。
「だけど。俺の中で何かが広がった気がする。……ありがとう、アリエッタ」
純粋で穢れなききっと本心であろう言葉が綴られる。アリエッタはそんなお礼を言われたことがなく、そっと目を逸らした。
「私は。頼まれたことをやっただけにすぎません。お礼を言われる筋合いなんてないと思います」
もっと本音を見せた言葉をかけられたらどれほど良いだろう。ネフィシーが良かったならそれで良いって。
「いちいち些細な事で、喜ばないでください」
その言葉はネフィシーのありがとうという嬉しさを掻き消すほど剣呑で鋭い声色だった。さっきまで嬉しそうに世界が見えると言ったネフィシーは一瞬で闇の世界へと誘われてしまった。
ネフィシーは俯いて、自嘲するような笑みで。
「アリエッタがもう関わるなって言われた事がすごく嫌だったけど。もう関われないのかって思って本当に……」
嬉しい、悲しい? それとも苦しかった? 気がつけばアリエッタは次にネフィシーが放つ言葉を予想していた。
「アリエッタは。お前はもう、俺とは関わり合いたくないんだな」




