第26話 盛大な勘違い
少しだけ眠くなってきたから微睡みの世界に行こうとした時。
「ねえ、聞いたわ! あなた体調がすぐれないのね」
ノックもなしに扉が大きく音を立てる。眠気を一瞬で吹き飛ばすほどの声が場を支配した。
入室してきたのはお盆を持ったエルラだった。何だか嬉しそうで飛びついてきそうな勢いだ。体調が悪いことは喜ばしいことではないのだが。
あれからずっと部屋を出て行かず看病してくれているネフィシーはエルラを見ると分かりやすくあたふたしていた。椅子を部屋の隅に移動させて縮こまっている。
そういえばネフィシーはエルラという人間が怖いと言っていたっけ。
エルラは英雄と勘違いしているネフィシーには目もくれずアリエッタに一直線だ。お盆をそばにある机に置き、木製の皿を手に持つ。
「元気になれるかなと思って粥を持ってきたの。わたしの手作りよ。食べる?」
「……美味しそうですね。せっかくだし頂こうと思います」
粥を食べるため、起きあがろうとしたがうまく力が入らない。いつになったら体力が回復するのだろう。
エルラは無言で手を差し出してきた。僅かに逡巡したものの彼女の手を借りて起き上がる。エルラは満足そうな笑みを漏らした。
粥を受け取ろうとしたが、エルラはなかなか渡してくれない。ちょっとした意地悪をしようと企んでいるのか。
「本日限定の甘えとしてわたしが特別に食べさしてあげるわ。あーん、ってね。どうかしら。異論や文句はある?」
アリエッタの返事を待つことなくエルラはふう、ふうと息を吐いて冷ます。エルラはスプーンをアリエッタの口元まで運んだ。まだ何も言っていないのに。
「わたしがこんなことをするなんて本当に少ないのよ。さあ、口を開けて」
抵抗しようと思ったが諦めた。仕方がない、大人しく犬になろう。少しだけ口を開けばエルラが嬉しそうに粥を運んでくれた。
「……美味しいですね」
「そうでしょう、美味しいでしょう? わたしは料理の天才よ。何でも完璧なのだからね」
胸を張るエルラは生き生きとしていた。更にエルラは食べさせようとするが……。
「もう、大丈夫です。自分で食べられますから」
アリエッタは粥を受け取ろうと手を伸ばす。いつまでもエルラの好き勝手にする必要はないと思う。
「食べてくれるの?」
先ほど自信満々に料理の天才だと言った人物の発言だとは思えないほど弱弱しく自信のない発言だった。
「ええ。せっかく作って頂けたので。残すのも勿体無いですし。エルラさまが作る料理は好評だと聞きました。……頂きます」
そう言って素直に受け取る。ネフィシーが以前エルラの料理は本当に美味しいって絶賛していたのを忘れていない。
実際美味しかったし。粥と言えば味気ない料理というイメージがあるが、それを払拭するかのような甘みととろけた食感があった。
「このネグリジェも怒って脱ぐことがなくて良かったわ。わたしのお気に入りだった服なの」
「なぜ、勝手に服装を……」
「だってそうした方が治るのが早いかなって。魔術でどうにもならないのでしょう? ならできることをやった方がいいと思ったの」
治癒魔術は主に怪我の治療にしか効果を得られない。頭痛、腹痛発熱などは薬で代用するしかない。
「優しいのですね。エルラさまは」
「……そうかしら? そんなことはないと思うけれど」
僅かに頬を紅潮させている。分かりにくい優しさだろうけれど。優しさの欠片がほぼ皆無のアリエッタに比べたら随分ましだろう。
「ねえ。あなたにぜひ見てもらいたくて、持ってきたものがあるのよ。見てちょうだい」
お盆の上に置いてあった額縁を手に取る。エルラに渡されたのは彼女が描いていた英雄の似顔絵だった。ついに額縁まで用意してしまったか。
一度描いた線は消すことはできないのに。しなやかな線で描かれた絵はネフィシーの儚さと繊細さを両立させていて非常に美しいものだった。
「お上手ですね。私が描けばどんな怪物が誕生してしまうのでしょうね」
「うーん……。少なくとも人間にはならなそうね。四肢動物になりそう」
「それは流石に。少し馬鹿にしすぎですよ」
そうしてふたりは、ふふ、と口元に手を当てて声に出して笑う。時間があれば描いてみようか。
するとガタリと椅子から転げ落ちるような音が聞こえた。今まで静かに見守っていたネフィシーが鳴らしたものだ。
「何の音かしら? ……ってあら。あなたはあの時の!」
エルラがようやくネフィシーに気がつき、言葉をかける。エルラは瞳を輝かせてネフィシーに詰め寄ってきた。
「竜を討伐した英雄よね? わたしはエルラ・メイランドというのよ。あなたは?」
「……」
このエルラの反応が演技なら秀逸だが、恐らく素なのだろう。本当にネフィシーが分からないのか。ネフィシーは明らかにがっかりして黙り込んでしまった。
アリエッタは笑いを抑えてふたりのやりとりを聞くので精一杯だ。
「良いわね。答えないのも美学。英雄としての矜持。素晴らしいわ!」
何でも肯定マンになり、瞳を輝かせる。エルラはあ、と声をあげて額縁を手に取る。
「先ほどあなたの話をしていたの。とても素敵な絵が描けたから是非見てちょうだい。格好いいでしょ?」
「そうか。……格好いい、か」
ネフィシーは自分自身の絵をじっと見つめる。その反応は割といつも通りのネフィシーだと思うのだが。
「ええ、こんなに格好いい人はいないと思うわ! わたしはここからあなたの活躍を双眼鏡を使って見ていたわ。大量の竜相手にも怯まず魔術を次々放つ……その姿に感化されたの」
恋する乙女のようにうっとりとするエルラ。これが世にいう一目惚れたるものだろうか。まあ、この恋も正体が暴かれれば儚いものになるだろうが。
「まったく怯んでいなかったわけじゃない」
「そうなの? でもわたしには格好良く見えたわ。ねえ、ひとつ質問いいかしら?」
ネフィシーは非常にひきつった表情のまま小さく縦に頷く。早く正体を明かせばいいのに。何故ネフィシー本人まで彼女を泳がせている。
「どうしてあんなにも勇気のある行動ができたのかしら?」
「……使命だから、か。それが俺のやるべきことだと思った」
そう呟けばエルラから黄色い悲鳴が上がった。きゃー、という甲高い声だ、どうやったらそんな声が出てくるのだろう。
「聞いた? 竜討伐が彼にとっての使命らしいわ!」
「使命ですか。格好いいですね」
とりあえず適当に返事しておく。興奮した者は話を聞き、何と返そうが相槌を打ってくれるだけで喜ぶのだ。
竜討伐以外にもネフィシーは何か他の使命も抱えていそうだが。あくまで推測に過ぎないし黙っておく。
「わたしがいるこの塔には。ひとりの男性がいるのだけれど。その者とは本当に大違いで。あなたは本当に素晴らしいわね」
「……っ」
ネフィシーは軽く息を吐き、大きく目を開ける。少しだけ潤んでいた。
「彼はずっと引きこもっていてわたしにすら会ってくれないの。あなたは国のために。いいえ、民のために頑張っているのにね」
「エルラ……」
ネフィシー自身もエルラのいう彼の存在が誰のことを指すのか分かったのだろう。俯き、猫背で弱々しいいつも通りのネフィシーの完成だ。この姿を見てもエルラは格好いいというのだろうか。
「わたしの名前を呼んでくれるなんて。嬉しいわ」
エルラは本当に嬉しそうな表情をする。エルラは大事な事実を忘れている。夢を見過ぎだ。
どうして名前も知らない英雄の青年がここにいると思うのだろうか。
普通に考えれば英雄は会いにくる可能性など限りなく低い。多少の教養があれば英雄の正体に気がつきそうなものだけど。
どうしてもここの主と英雄のイメージがかけ離れてその可能性すら抜け落ちているのだろうか。
「エルラ。塔にいる引きこもりっていうのはどういう人なのだ?」
アリエッタは目を丸くして声を出しそうになるのを必死に抑える。自分で自分の首を絞めようとしなくても。エルラのとてつもない罵倒が目に見えている。
「あなたには。とても似つかない本当に駄目な人なのよ。その青年はネフィシーっていうのだけれどあなたは知っている?」
「……」
ネフィシーは肯定も否定もせずにただじっとエルラの方を見つめていた。
「そうね。答えないのも良いわね。ネフィシーはね。もう。本当にわたしがいくら話しかけても無視するのよ。やっと口を開いたかと思えば筆談。当たり障りもなく対人関係に慣れていない感じ満載。本当に酷いのだからね」
「そこまで酷いことは言わないのだな」
「当たり前じゃないの。あなたにわたしが問答無用で人を蔑む人だと思われたくないわ」
自分のことを貶されるネフィシーはどういう心情なのだろう。だがこれは自分で作りにいった傷。アリエッタが干渉して良い場面ではない。
「あなたは竜に飛び込んだけど。ネフィシーは。多分わたしにしがみついて倒そうとすらしないわ。というか塔から滅多に出ないからそういう場面にも遭遇しないのでしょうね」
すごい解像度だが、微妙にアリエッタもその様子が想像できてしまう。
「そう思わせてしまったのなら……すまなかった」
自分から謝ってきた。いくら鈍感なエルラでも流石に気がつくかと思われたが。
「何であなたが謝るのよ。ネフィシーに自己投影しすぎよ」
と、半笑いで言葉を放ち、目の前の青年の正体に気がつくことはまったくなかった。ネフィシー本人は視線を彷徨わせて口を開きかけては閉じてを繰り返している。
「弱気で頼りなくて良いところなんてひとつもないネフィシーだけど。わたしは可能なら、高望みなんてしないから。久しぶりに会って話してみるのも悪くないと思うわ。筆談ではなく直接顔を見合わせてね」
「……ああ。や、やろう」
そこまでいってアリエッタは声を出して吹き出しそうになり、慌てて咳払いをして誤魔化す。ネフィシーも何故そこで肯定する。
というかそもそもエルラの望みはもうすでに叶っている。
「化け物だってわたしはずっと怯えていたのだけれどね。まあ、化け物だったら討伐するまでよ。一度出陣しようかしら」
ネフィシーはようやく言う決心がついたのか、そっと口を開く。
「俺は……」
「粥を食べ終えてくれたのね。完食してくれたのね。良かったわ。今度わたしが作った別の料理も食べて欲しいわ」
ネフィシーが口を開きかけた時にはもうエルラの興味の視点は変わっていた。これが三人での空間の嫌らしいところであり、もどかしいところでもある。
「はい、ぜひ。よければまた」
ついつい本音を言ってしまいエルラに木製皿を手渡した。エルラは深く拒絶すると殻に篭ってしまいそうなのだ。どこかそんな脆い部分を感じられる。
「さっきより元気そうね。良かったわ。……じゃあね、アリエ……ええ!」
いつのまにかアリエッタはアリエええに改名させられてしまった。
エルラは軽く優雅な貴族の礼をした後、去っていった。
「言えなかった……」
ネフィシーはがっくり肩を落とす。不発に終わったといえ、頑張って言おうとしたことだけは評価してもいいかもしれない。
「自分で言ってくださいよ。私は何も言いませんからね」
「ああ。分かっている」
エルラが真実を知った時、彼女はどのように叫ぶのだろう。少しだけ反応が楽しみだ。
「エルラは。思っていたより怖くなかったな。……ちゃんと俺のことを見てくれそうだ」
「それはエルラさまにいってあげてください。喜ぶのではないでしょうか」
ネフィシーは傷のある左手をぎゅっと握り、震えながら。
「俺には英雄なんて似合わない」
なんて言葉通りの弱気な自分を吐いた。
似合わないと思うのならさっさと否定すれば良い。それに尽きる。




