第25話 隠している傷
目を開けると純白な世界がアリエッタの視界を支配していた。アリエッタは痛む頭から何が起こったのか思い出そうとする。確か魔術を使用していたっけ。
さらに視線をずらせば心配そうに見つめる青年と目があう。
そばにある机にはティアサからもらった黒いリボンが、壁にもたれかかるようにロードナイトの杖が置かれていた。更に、今まで着ていた服は脱がされ、代わりに白いネグリジェを着ていた。
「起きたか。……おはよう」
「……」
アリエッタは自分がこの状況に置かれた理由をすぐに察知できなかった。倒れた気がするがどうしても思い出せない。
「……あの」
「魔力切れの反動で少し倒れてしまっていたようだ。……改めて。俺を救ってくれてありがとう」
そうか。ネフィシーの身体を治癒するために魔術を使っていたのだっけ。
「着替えはアメリアとエルラがしてくれた。それは、エルラのお下がりらしい」
「そうですか。後でお礼を言っておきますね」
別に今までの服のままで全然問題ないのだが。エルラのものだと言うネグリジェをじっと見つめる。とても綺麗で今も大切に使われていそうだった。何だか申し訳ない。
ネフィシーはすかさずポットから何か飲み物を入れた。湯気が立っているから熱いものだろう。アリエッタに差し出してきた。
「倒れたなら、白湯を飲めば治ると聞いたことがある。……飲んでくれないか?」
カップから白い湯気が湧き出ている。頭を抑えながらもアリエッタは起きあがろうとするが体力が抜け落ちているのか上手く身体が動かせない。
「いけるか?」
ネフィシーが手を差し出してくるがそれを見事綺麗に払いのける。ぎゅっと腹に力をいれて自力で起き上がった。彼はやや眉尻を下げつつもアリエッタに白湯を与える。
アリエッタはふう、ふうと息を吐き白湯を冷ます。正直ネフィシーから貰ったものなど口に運びたくないが仕方ない。白湯は魔力切れに効果抜群なのだ。
密かに白湯を嗜んでいるとベッドの隣に座るネフィシーが何やらそわそわしていた。だがそれを気が付かないふりをして堪能する。
「……あの」
頭を掻きながらものすごく申し訳なさそうに口を開いた。アリエッタは何ですか、と無言のまま表情で会話する。
「本当にすまない。怒らないでほしい」
「はあ」
分かりやすくため息をつく。こういう時は大体怒らせるような碌なことを言わないというと相場が決まっている。怒る準備をしておいた方が良いだろうか。
「アリエッタが倒れた時。俺の部屋からこの部屋までは少し距離がある」
「そりゃあるでしょう。それがどうしたのですか?」
ネフィシーではなく白湯を眺めながら口を開く。出てきた言葉は驚くほど感情が乗っておらず、冷淡なものだった。
「その時……運ぶ時、アリエッタに触れてしまった……すまない」
「触れた、とは? ちょっとした下心で触れてしまったと今から述べたいのですか」
確かに激怒案件だ。少しずつ剣呑な空気になっている気がする。
「違う、そんなのではない。……この部屋まで運ぶ時。本当に少しの間だけなんだが、アリエッタの背中と膝元に少し手を。許可もなく。本当にすまない」
ネフィシーは床につく勢いで平伏する。しかし、触れる場所が妙だと思った。その場所に触れてアリエッタをどうやって運ぶのだろう。おぶって運んだにしては明らかに場所がおかしい。
「そんなことは言わなくて良いのです。私は気が付かなかったのですから。意識を失った私の落ち度なのですよ。謝る必要なんてないと思います」
知らない方が良かったのかもしれない。これはネフィシーの心の奥底にしまっておいてほしい。
「それと。ネフィシーさまの行動は私の生存において必要な過程だったのでしょう? 触るところはおかしいですが。あなたの記憶の片隅に残っておくことだけで良いのです」
ネフィシーは顔を上げて意外だな、とでも言いたそうな顔をする。
「私は怒りませんよ。……聞かなかったことにします」
そもそもの話だが、ネフィシーはずっと外すことなく黒い手袋をつけ続けている。素手でアリエッタに触れた訳ではないのだから。気にしすぎだと思う。
ネフィシーにカップを押し付けてアリエッタはベッドに横になった。
「大丈夫ですので。もう帰ってください。ひとりで良いのです。むしろひとりが良い」
まだ体調が優れないので大人しく休もうとした。誰かがいるより、ひとりの方が落ち着くのだ。
「どこか、痛むところはないか?」
「……ないですよ。もう帰ってください」
そう言われて反射的にアリエッタは自分の額を抑えてしまう。すぐに気がつき、慌てて手の位置を動かすが。
「痛いんだな」
たった一瞬の動作だったのに。見事に見抜かれてしまった。彼はよく人を観察する。
「違います。少しだけ前髪が目にかかっただけでたまたま……」
「魔力切れは。程度が酷ければ酷いほど身体に影響を及ぼす」
アリエッタの苦し紛れの言い訳を遮ってネフィシーは言葉を放つ。彼は人の言葉を遮るような人だっただろうか。
「アリエッタの症状は程度が大きめの魔力切れだ。魔力っていうのは人によって体内に入れ込める量が違う。魔力を受け止める皿の大きさが違うっていうのは聞いたことがあるだろう」
それくらいアリエッタも知っている。今から馬鹿にするつもりなのだろうか。『自分はお前より魔力量が多いよ。お前は雑魚だな』という風に。
「今のアリエッタの状態は残っている魔力を使い切った。更には使い切りではなく通常の魔力量を超過した量を消費してしまっている」
「そんなことは可能なのですか?」
魔力消費が激しかったり魔力残量が少なくなったら体内で実感できるはずだ。アリエッタはこれまで計画的な魔力消費を心掛けていたので魔力切れの回数も片手の指に収まるほどだった。
「ああ。思いと強さと信念があれば。体力を犠牲に魔術使用ができる。今のアリエッタは本来の力以上の魔術を使ってしまった」
ネフィシーはぎゅっと拳を握り、嬉しそうに口を開いた。
「俺のために。……ありがとう」
「別にネフィシーさまのためではないと思います」
アリエッタは淡々と言い放つ。これは自分にやっただけ。ネフィシーのためなんて勘違いはしないでほしい。
「それと、私の話をちゃんと聞いていましたか? 早くここから出ていってほしいのですが」
「頭痛がするのだろう。それは魔力切れがもたらした作用だ」
ネフィシーは大人しく従うことはせず一見無関係な話を続けてくる。
「アリエッタがこうなってしまったのは半分俺のせいだ」
話を切りやめるどころか俺のせい、と自分を悲観してきた。そんなことないよって言ってほしいのだろうか。
「どうだ? 魔力は回復しているか」
「いえ。まったく。この状態で魔物に襲われては間違いなく死んでしまうでしょうね」
とても分かりやすい例えをしたがネフィシーは分かりやすく顔を歪めた。彼は逡巡したのち、意を決してアリエッタの瞳を見つめてきた。
「すまない。……本当に。もし許されるなら、俺の魔力を少し分け与えても良いだろうか?」
魔力共有と呼ばれるものだ。魔力切れをおかしたものに効果的で危機的状況を一時的に回避する役割を持つという。他人の魔力は本来身体に良くないが魔力切れの時のみ共有して良いと定められている。
「結構です。もう少しで元気になりそうな予感がするのです。……それと魔力共有はお互いの手を素手同士で触れて行います。手袋を外しますよ、よろしいのですか?」
本当は元気になるまでかなりかかりそうだった。魔力共有をしたら半分の時間で元気になれるだろう。
正直瞼が重い。かなり苦しい。だが、そんなことをネフィシーに暴かれる方が嫌だった。
手袋越しでも申し訳なさそうにアリエッタに触れたらしいのに素手同士で躊躇いなくできるか怪しいところだ。
「構わない。元々手袋なんてする必要はないが。これは、……を隠すためで」
何を隠すためなのか肝心なところが聞き取れなかった。ネフィシーは右手の黒い手袋を外した。そこには日に焼けていない白雪のように綺麗な手が露わになる。まだ魔力共有の許可を出していないのに。
「俺がアリエッタのために。力になりたいんだ。……どうか俺の魔力を」
ネフィシーは縋るように手をただ伸ばす。
「私のためというならさっさと部屋を出ていってください。それが私のためです。力になりたいなんてお戯れを。あなたの力は他の方に使ってください」
彼は本当に分かりやすく眉尻を下げる。
アリエッタはそう言った瞬間、目の前が真っ暗になり、大きく瞳を開いた。底なし沼に吸い込まれそうに身体が沈んでいく心地がする。アリエッタの周りには黒い靄が包み込まれ邪悪な雰囲気を漂わせた。魔力切れによる反動がまだ残っていたのか。
「アリエッタ!」
ネフィシーは叫び、アリエッタの許可をとる暇もなく手を合わせた。ぎゅっと包み込むように優しく。彼は外すのを躊躇っていた左手の手袋まで外して。
「少しだけ、我慢してくれ」
ネフィシーはぎゅっとアリエッタの両手を握って祈るように目を閉じる。彼が念じれば淡い白い光が手首を包み込む。魔力共有が許可もなく行われた。
「……っ。ネフィシーさま……」
ネフィシーの左手の甲には、刺青だとは片付けられないほど深い傷があった。何かの宗教の紋様を入れられているようだ。この印には見覚えはない。
だから、ずっと手袋をはめていたのかと、腑に落ちる。
しばらく魔力共有すれば、ネフィシーは「すまない」と謝って手を離す。すぐに黒い手袋をはめた。左手の傷を隠すように。
アリエッタも魔力共有のおかげで頭痛もだいぶ治ってきた。
「あの、ネフィシーさま……いえ、何でもありません」
どうして紋様があるのか聞こうと思った。だが、ネフィシーは頑なに見せようとしなかったものだ。深く詮索はしてほしくないのだろう。見なかったふりをしようと思う。
「怒りたいなら怒れば良い。全部聞く」
「違います、その……」
アリエッタが口を噤んだのは勝手に手を触ったことに怒りたかったからだと解釈された。
手の紋様について聞きたかっただけなのに。アリエッタは怒ってなどいない。そのことを伝えたくて。
「特別に、この部屋にいても良いですよ」
気がつけばこんなことを口走っていた。こんなつもりではなかったのに。今更撤回しようが受け入れてくれないだろう。
ネフィシーは驚きつつも瑠璃の瞳を煌々と輝かせた。




