第24話 救世主
彼の腹部の傷口からは今も血が滝のように流れている。その赤いものは止まることを知らない。アリエッタは化け物を見るかのような視線と動作でゆっくりと彼に近づく。
「どうして……ここにきた……っ」
ネフィシーが最後の力を振り絞るように声を出す。口を開けば血が噴き出すので出来れば喋るのを控えてほしいが。仮面はもう脱ぎ捨てたようで瑠璃の瞳が前髪に隠れながらも見えていた。
「アメリアに連れてこられてしまいまして。私ひとりでしたら、恐らく来ていませんね」
来ても何を話せば良い。約束はどうする。アメリアに断り損ねたのだ、仕方ない。
ネフィシーは自分がアメリアと呼び捨てしたのを聞いて僅かに眉を動かした。自分のことはネフィシー、と敬称なしで呼ばれないのにとさぞかし不満を持っただろう。これに関しては許してほしい。
「アリエッタは……来ないと、思っていた」
そう思うのが妥当だろう。アリエッタ自身もこんなにも早くネフィシーとまた会話するとは思わなかった。可能なら今すぐに戻りたい。
彼がこんな姿ではなければ。
「再度伝えていきますが、これは自分の意思ではありません。私を哀れなネフィシーさまを救った救世主だなんて勘違いはしないでください」
アリエッタはそう言いつつも言葉とは裏腹にロードナイトの杖を取り出す。アメリアは「アリエッタ、救おうとしている、格好良い」と若干小馬鹿気味に言ってくる。こうやって笑うだけならもう帰ってくれないか。
「……救ってくれるのか?」
ネフィシーが驚いた顔とそれでも嬉しいという気持ちが入り混じった複雑な表情をした。
「まあ、私は別に死んでも構いませんよ。……何とも思いません」
「アリエッタ」
アメリアが真剣な表情で嗜めてきた。少し酷い言い方だっただろうか。だが、事実を伝えただけだ。アメリアやエルラが死のうと悲しまない自信がある。
「ですが。ネフィシーさまは生きたいのですか。死にたいのですか」
本当の英雄ならここで有無を言わずに治癒魔術や薬を用意していただろう。だが、アリエッタにはそんな英雄感性は持ち合わせていない。
死にたければ死ねば良い。生きたければ生きれば良い。
個人の抱く感情は大切にしたいのだ。
「少し前までは死んでも良いって思っていた」
ネフィシーは腹部を抑えながら頑張って言葉を紡いでいる。もう限界は近いだろうか。
「だけど……今は。生きたい」
「そうですか」
アリエッタは自分から聞いたくせにつまらなそうに返事をして杖を構えた。仕方ない。ネフィシーがまだ命を繋いでいたいと言うのなら。救ってあげても良いだろう。無論、アリエッタの魔術で救える保証はないが。
「分かりました。ではネフィシーさまを出来る限り救うよう尽力致しましょう。……今からの行動は全てネフィシーさまの意思によるものです。私の意思ではありませんので。お間違えなきよう」
「アリエッタも肝が据わってるよね。普通の人間なら悲鳴をあげるか、すぐさま救うかの二択なのに。死にそうな人に問答させるなんて、凄いじゃん」
アメリアはえへへとアリエッタの脇腹をつつく。ここまで何もせず傍観してきた人に言われたくない。アメリアの場合は占星術で何かみえたのかも知れないが。
「ネフィシーは救うことにするんでしょ。じゃああたしは薬を調合するよ。アリエッタは治癒魔術をお願い」
救うことにする、という言い方もなかなかだ。よっぽど人間に興味がないと出てこない言葉だ。善人は、見ず知らずの他人でも倒れていたら助けると聞く。顔見知りでも助けようとしないふたりは善人はおろか普通の人間ともかけ離れていた。
アリエッタは軽く詠唱をして治癒魔術を展開する。淡い白の光が傷口を優しく包み込む。
「……ありがとう」
ネフィシーは嬉しそうにはにかんだ。まだ完治していない。これで救えなかったらお礼してもらっても複雑だ。
「……相当深くまで抉られていますね」
アリエッタが普通の治癒魔術よりも精度の高い上級治癒魔術を使っても尚、傷口は塞がることを知らない。
「ああ。恐らくもう、助からないと思う……」
ネフィシーが悲しそうに、苦しそうに眉尻を下げる。まだ悲観するのは早い。意識はあるのだからどうにかなる気がするのだ。
それに相当喋っている。喋りすぎだ。本当に怪我を負ったのか疑わしいほどに。
「ネフィシー。ハーブティー持ってきたよ。アメリア特製の良い調合。飲んでみて」
何だか怪しげに口角を上げてアメリアはネフィシーに手渡す。何となく飲みたくないと思った。毒でも平気で盛っていそうだ。
「……」
しばらくじっとハーブティーを見つめていた。ネフィシーは本当に美味しくなさそうに目をぎゅっと瞑って飲み干した。少しだけ彼の出血は治ってきた。ハーブティーの力は偉大だ。魔力も消費しないので、田舎の方では主流の治療方法だったりする。
だが、依然として傷口は塞がらない。
その間もアリエッタはやめることなく上級治癒魔術を展開する。アメリアは「アリエッタすごい」と邪魔してくる。
魔術強度、傷口補強、威力、治癒力、魔力。持てる力全てを最大にしてもまだ治らない。今は治療することだけを考えよう。そう誓った矢先。
「アリエッタ、残念なお知らせ」
早速集中力を途切らせるには十分な騒音が聞こえてくる。
「アリエッタが善人だったら良かったね。全然綺麗に終わらないよ」
何か含みのある声で言われた。また碌でもない未来でもみたのか。だから占星術は嫌いなのだ。占いはあたるとか言っているくせに核心なことは頑なに口を開かない。
綺麗に終わらないとは。まさか、救うことはできないということか? 嫌な予感が頭によぎる。
先ほど魔術を使うことに躊躇っていたのは嘘かのようにただ一心に治癒魔術を発動させた。もう、運を味方につけるしかない。どうにか、彼が助かるように。
アリエッタは救う一心で懸命に治癒魔術を施し続ける。
「もう大丈夫だ。これではアリエッタの方が……」
しばらく経っただろう。ネフィシーの傷はだいぶ塞がってきた。彼はそれでもういいのか終わらせても良いと言ってくる。これでは駄目だ。腹部に傷痕として残ってしまう。
傷痕は名誉あるものとして称賛されるものもあるが大抵は厭い、嫌われ、人を離れさせる。
それに、ネフィシーに傷を負ってはほしくなかった。綺麗なままで生きていてほしい。
「約束は守りますよ。あなたは生きたい、という願いを口にしました。この状態でも十分生きられるでしょう。ですが私はこだわりが強くて。やると決めたら最後までやるのです」
中途半端に投げ出すなどみっともない。
だからアリエッタは毒闇の塔の調査というやりたくないことも弱音を吐かずやり切ると決めている。
この治療だって別にやりたいことではないが、彼を見殺しにはどうしてもできなかった。
「だが、アリエッタの魔力が……」
魔力切れを心配しているのだろうか。数刻不便になるが命の支障はないはずだ。魔力切れはそこまで生命の持続に直結しない。ここは迷宮ダンジョンではない。ただの毒闇の塔だ。だから、少しくらいなら無理しても大丈夫。
さらに治癒魔術を展開し続け。
「出来ました」
ネフィシーの傷は完治した。あざになることもなく綺麗な日に焼けていない肌になった。傷口も塞がりもう大丈夫だろう。
「……ありがとう」
はにかむように礼を言われ、ネフィシーは微笑む。これで元気になってくれるのならそれで良い。
(あ、あれ……?)
問題はアリエッタだった。魔術使用を辞めると途端に瞳が重くなり意識が朦朧としてきた。
魔力切れか。そう悟ったが魔力切れは倒れるほど深刻な症状ではない。
魔力切れになれば当然魔術は使えなくなる。だから、すぐに気がつくことができる。アリエッタの魔力は今、少しも残っていなかった。使い切ってしまったらしい。どうして倒れそうになるのだろう。
ぼんやりと考えていたアリエッタはロードナイトの杖を握りしめたままその場に倒れた。
「アリエッタ!」
意識が消える前、誰かが慌てたように自分の名前を呼んでくれたような気がした。




