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第21話 期待なんてしないで

 突如として現れた黒曜竜はネフィシーの手によって片付けられた。

 最後はフィナーレと言わんばかりに氷の大弾を黒曜竜にぶつけていた。

 服従は、無理だったか。今でも本当に黒曜竜を選ぶだろうか。


(見殺しは流石に……)


 アリエッタは目を逸らす。

 大量の竜をたったひとりで討伐した青年、ネフィシー・ラピスラズリが杖を握りしめたままふわりと急降下してきた。

 アリエッタの隣に音を立てることもなく妖精のように近づく。


「お疲れさまです。大健闘でしたね」


 一応それらしい言葉はかけておく。


「ああ。……俺だけじゃなくて、アリエッタも」


 ネフィシーは視線を彷徨わせながら呟く。ずっと隠していた目元が顕になって戸惑っているのだろう。


「少し怒っているように見受けられましたが、何に怒っていたのですか?」

「あ、ああ。それは……。いや、良い。もう、気にしになくて」


 ネフィシーは優しく微笑む。本当についさっきまで怒っていたのか、彼は。

 感情を隠してよく分からない奴は苦手だ。何を抱いているか分からないネフィシーよりもエルラのように盛大に感情を表す人間の方がアリエッタは好きだ。


「そういえば黒曜竜の死体は残っていないそうですが、一体どういうことなのですか?」


 ネフィシーはぎゅっと胸元あたりのローブを握りしめて不安気に呟いた。


「……っ。嗤わないと。馬鹿にしないと約束してくれるか?」

「はい、馬鹿にしませんし。あはは、と笑わなければ良いのでしょう」

「そういう意味じゃないが。まあ、良い」


 ふう、と息を吐いた後、ぽつりと語り出した。


「俺が持っている魔導具の暴走で、黒曜竜を誕生させてしまった。あれは本来この世に存在してはならない魔物であり、討伐しなければならなかった」


 そもそもこの黒曜竜は意思を持たない、竜と言っては烏滸がましいほどの生物だったらしい。そんな竜を生物といっても良いのだろうか。


「俺が……いや。魔導具と俺は直結している。もし服従していたら。運が悪ければ俺が死んでいたかもしれない」


 「それでも、アリエッタが死んで欲しいのなら死ぬけど」と本当にひとりごとのように呟いた。


「馬鹿言わないでください。私は死んでも良いと思いますが、あなたは死にたくなかったのでしょう? 服従は諦めましたからこの話はやめましょう」


 本当は、謝るべきなんだと思う。酷いことを言ってごめんなさい、って。あの時のエルラのように。

 でも、アリエッタにはどうしてもできない。酷く惨めで、自分の負けを認めてしまうようで非常に嫌なのだ。


 改めてアリエッタはネフィシーの横顔を見る。長い紺色の髪、透き通る宝石のような瑠璃の瞳、長年外へ出ていないことが伝わる雪のような白い肌。とても化け物とは似つかないいたって普通の青年だった。


 アリエッタは懐から切り裂かれてしまった仮面を取り出す。


「あの、これなのですが。割れてしまいましたね。修復を試みようと致しましたが私には難しいようです。……諦めてください。お返しします」

「あ、ああ」


 ぎこちなく呟き、すぐにアリエッタから目を逸らす。本当に人の目を見ることが苦手なのだろう。大事そうに仮面を受け取った。


 それとこうして不本意とはいえネフィシーの素顔が暴かれてしまった以上アリエッタは守らなければならない約束があった。分かりやすく盛大なため息をついて重い口を開く。


「ほとんど事故のようなものですが。顔を見せていただけたら、私はあなたのことを敬称なしで呼ばなければなりませんでしたね。本当に仕方ありません。ネフィ……」

「いや、いい」


 せっかく嫌々ネフィシーと呼ぼうとしてあげたのに。もう頼まれても呼ばないことにする。

 ネフィシーは恐れながらもアリエッタの方をきちんと見つめてきた。


「無理やりではなくいつか。自分の意思で俺の名前を呼びたくなった時に呼んでほしい。……心がこもっていない義務的なものではなくて。もっと。心の奥底から呼んでほしいんだ」


 ネフィシーは柔らかい声で告げる。彼は約束のことを忘れているのだろうか。ネフィシーと呼んでほしいのか否かどっちなのだ。自分で自分を覆さないでほしい。


「そう言うのであれば。そうしますが。……私が呼び捨てにする時なんて一生来ませんよ。それで良いんですね?」

「ああ。構わない」


 逡巡などせずにすぐに答えた。

 だけど。不公平ではないのか。アリエッタだけが得をし、ネフィシーは損をする。何だか借りを作っているようで居た堪れない。


「あの、素顔を見られてしまったのはネフィシーさまにとって損なことです。あなたのことがひとつ暴かれました。私は何をしたらよろしいでしょうか」


 いたって真面目な質問をしたはずなのに首を傾げられた。


「だから。ネフィシーさまが顔を見せる条件として私にも条件があったじゃないですか。その条件が不成立になってしまったので、私にも対価を何か。払わせてほしいんです」


 ネフィシーは何故か笑いを堪えているように見えた。面白いことはひとつも言っていないのに。


「対価など。何も求めていない。……ただそばにいてくれたらそれで良い」

「そうですか。そんなくだらないつまらない面白みもない。私のことが何も分からない対価で良いんですね?」


 何も返せていない。何かを与えるか、教えるかしないと。


「それで良い。……それが良い」


 ぎこちなくはにかむネフィシーは風に揺れて淡い光に照らされていた。

 その言葉の重要性にアリエッタもネフィシーも気がついていなかった。

 どうしたら交換条件をなしにできるか。アリエッタは名案が思いつき、手のひらをぽんと叩く。


「仮面はなくなってしまいましたが、フードを被ったらいかがでしょう。そうしたらすべて元通りです。私たちは何も変わってません。そうしたら約束もまだ果たされていない……っ!」


 らしくない。損得勘定を考えていると興奮してきた。この抜けた穴を埋める感覚が良いのだ。


「そうしたら。ネフィシーさまが心からフードを脱ぎ、素顔を見せて頂けたらっ。私は約束していた何かを返しましょう。今度こそ呼び捨てで呼んであげましょうか?」


 ネフィシーは何も言わずに何かを含んだ瞳で見つめていた。


「いや、フードはもう良いかな。アリエッタの隣なら少しだけ勇気が出てきた」


 アリエッタはその場に崩れそうになるのを必死に堪える。


 ネフィシーは変わってしまった。臆病でびくびくしていて常に震えているネフィシーではなくなってしまった。これは誰のせいなのか。十中八九アリエッタのせいだろう。

 そんな彼が少し怖くなってしまったのかもしれない。


「すみません。私が変に。ネフィシーさまに踏み込みすぎて。私はあなたを変えたくないのです。私のせいで、とかおかげでとか言わないでほしいのです。私は変に他人に介入してはいけないと思うのです」


 もしアリエッタのひとことでネフィシーが壊れてしまったら。彼が戻れなくなってしまったら。アリエッタは責任を取らなければならない。

 前にも言ったがアリエッタはネフィシーには変わってほしいと思う。だが、あくまで自分で変わってほしいのだ。


「私、今少し頼まれていた調査がありまして。それで今ここにいるんです」


 サンドレア王子に頼まれた毒闇の塔調査のことだ。彼は口止めをしていなかったからこのことを伝えても問題ないだろう。

 こう言うのが一番早く理解してもらえるはずだ。


「私が突如として塔に来たのも調査のためなんです。そしてあなたたちは調査対象です」


 ネフィシーは突然のことに困惑して何も言い返せていなかった。


「調査が終われば私は毒闇の塔を去ります。そしてあなたは私のいない元通りの生活に戻るのです」


 だからできるだけ仲を深めないように気を付けていた。仲良くなってもどうせ別れるだけだから。


「ですから、期待なんてしないでください。これは忠告です」


 変に期待されて惜しまれるくらいなら最初から期待しないでほしい。仲を深めようとしないでほしい。誰かのきっかけになんてなりたくない。

 ネフィシーは瞳を揺らして硬直していた。


「良いですか。もう隣にいたい、とかそばにいたいとか言ってはなりません。あなたは私に心を開きすぎです。もっと警戒心を持ってください。私が悪人だったらどうするのです」


 彼が期待できなくなるまで。もうアリエッタと一緒にいたくないとそう思えるまで。どんな酷い言葉だってかけてあげよう。これで少し距離が空いて、ただの調査対象となれば万々歳だ。


 アリエッタはもう二度と友だちも心を開く人も作らないと決めている。裏切られた時の損失は大きいから。


 いずれアリエッタはネフィシーを裏切ることになる。その時、昔のアリエッタみたいになってほしくないのだ。これはアリエッタの見えない優しさなのだ。彼は、気がついてくれるだろうか。


「分かったなら早く頷いてください。期待しない、踏み込まない、心を開かない」


 彼は決して頷こうとはしなかった。あからさまにアリエッタに対して怯えている。怯えるくらいなら、距離を取れば良いものを。まさにうってつけの提案ではないのか。


 ネフィシーは左手をぎゅっと握りしめて震える声で一言。


「それはちょっと……嫌、かな」

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