第19話 楽しんでほしい
上を見上げれば雲ひとつない晴天が。下を見れば街を行き交う人々が。アリエッタとネフィシーは食事を終えたのちに街にある高台から景色を眺めていた。
「久しぶりに外の空気を吸ってみた。新鮮だな」
ネフィシーは欄干にもたれかかってぽつりと呟く。
「新鮮ですか。外は悪くないでしょう?」
「ああ。悪くないな」
そう言った途端しん、と沈黙が降り立った。ネフィシーもそこまで会話が得意ではないのだろう。
アリエッタは業務や魔術になればある程度口が回るが、気の利いた雑談は専門外だ。ここで調査や魔術の話をするのも気が引けてアリエッタはずっと黙っていた。
今はただネフィシーが物珍しさに心が動いていればそれで良いと思う。
「俺の父親は。もういない父は」
ネフィシーは眉尻をそっと下げて口を開く。急に自語りが始まった。もういない父とは何と残酷な。ちなみにアリエッタはこれでも父母ともに健在だ。
「ずっと。ひとりで無感情に突きつけられていた使命を淡々とこなしてきた。部屋に引きこもって誰とも会わない。俺とだって顔を合わせず筆談を徹底するそんな人物だった。……否、そんな人物に仕立てられていた」
アリエッタは重い口を開く彼を黙って見つめていた。思うところはあるが今は黙っておこう。
「父が亡くなって俺が代わりを担うことになった。……父によれば塔の中に人を匿うことも本当は駄目らしい。父は俺以外を中に決していれようとしなかったし」
エルラとアメリアが塔内にいることは、父にばれないようにネフィシーが徹底して隠し通してくれたらしい。
「『死ぬまで他人に会うべからず。ただ孤独に生きよ』……これは父の遺言だ。あいつが死ぬ時の最後の言葉がこれだなんて。本当に、残念だ」
世の中には親から愛されない子供もいるものだな、と思った。アリエッタは、逆だった。親は子供に愛情を注いでいたが、子供側が愛情を拒否していた。
愛、とか言われてもよく分からない。
「……俺は、遺言を破ってしまったな。どんな天罰がくだるのだろう」
ネフィシーは仮面を被ったままそっとアリエッタの方を見る。どうして急に語り出すのか分からず戸惑いの方が打ち勝って何も言えなかった。感傷的になっているのか。
「それは。私には分かりかねますが。お父さまの遺言を守りたいのですか? 破りたいのですか?」
「守らなきゃって思いと。でも。それでも俺は。誰かと笑って他愛もない話をして時に言いあって……。そんな普通の日々を、送ってみたい」
ゆったりと話す姿は思いのままに語っているようだった。
「では。破ったら良いのです。後、予め言っておきますが。普通の日々を送るなら私はあまりおすすめしません。残念ながら私は皆様が思い描く普通がよく分からないので。……他の者を探した方が良いかと」
中身のないただの雑談の何が楽しくてやっているのだろう。知り合いと食事をしたり、買い物をしたりすることの何が楽しいのかまったく分からない。
時間の無駄そのものではないのか。
「……っ」
ネフィシーは苦しげに声を出した後、こちらへ向いてきた。
「それで良い。アリエッタと。……まだまだ話したい。俺も皆の普通がよく分からないから」
「そうですか。ちなみに私はまったくネフィシーさまと一緒に過ごしたいとは思いませんがね」
「え……」
ネフィシーは硬直してしまった。変に期待させるより最初からはっきり言って感情を区別しなくては。線引きは大事だ。
「……アリエッタは。今の時間は酷く無駄で要らないものだと思っているのか?」
しばらく経ったのち。ネフィシーが沈黙を破ってきた。
「まあ。私にとっては酷く無駄で要らないものですが。あなたにとっては必要なものなのでしょう? その相手に他でもない私を選ぶなら付き合うくらいはやりますよ。ですが。それまでです。それ以上の感情は受け付けておりませんから」
ネフィシーとの関係を言語化するのは難しい。だがそれで良いと思う。友だちや恋人がいないアリエッタにはよく分からないのだ。曖昧なままで、良いと思う。
それにアリエッタはネフィシーだろうが誰とでも深く関わるつもりはさらさらない。
「それでも良い。俺は少しだけ、楽しいって今思っている」
「私は別に……。いえ、何でもありません」
「それはお世辞でしょう」だなんて言えなかった。どうせ楽しいだなんてとってつけたような言葉だろう。
だが、ネフィシーのはにかむような本心を思いのままに語る姿は何を考えても嘘偽りなく見えてしまったのだ。
まあ、そういうやり口で相手の懐に入り込もうとする輩はゆうにいるが。
「何を言おうとしたのだ?」
「はい?」
先程言いかけた言葉だろうか。言う必要を感じさせないから口を閉じただけなのに。アリエッタははあ、と軽く息を吐く。
「お気になさらず。こういうのは気にしないのが筋です。聞いても誰も答えてはくれないんです」
「そうか。だけど俺は。アリエッタにも楽しんでほしい」
アリエッタはじっとネフィシーの表情を見つめる。アリエッタ自身の瞳が少しだけ揺れている気がする。何故だろう。
「……ではそろそろ行きませんか」
踵を返して階段を降りようとする。ネフィシーは慌ててアリエッタの隣に並んできた。わざわざ隣にこなくても。
さらにネフィシーは階段を降りる途中、床につくまでのローブを思い切り踏んでしまい躓いてしまった。幸いこけるのは免れたが格好悪い。悪すぎる。
「さっきのは見なかったことにしてくれ……」
頬を僅かに赤らめてネフィシーはぼそぼそ呟く。
「はい、何も見ておりませんよ」
アリエッタはこの手のお願いがきたら面倒なので適当に了承しておくことにしている。本当に忘れる、なかったことにするかはさておき。
「仮面を取ったら視界は開けて良いでしょうね」
「……」
ネフィシーは何も言わずにそっと仮面に触れて立ち止まった。まずい、余計な一言だったか。
「あの、先ほどの言葉は間に受けないで、今すぐに忘却の彼方に……」
そう言いかけた瞬間ゴゴゴという音と共に人間とは思えない化け物のような声が響き渡る。ネフィシーには申し訳ないし怒られるかもしれないが、あの時彼が出していた獣のような咆哮の声に非常に近かった。
ネフィシーはアリエッタより先に先程の高台へ戻り出す。よほど切羽詰まっているのか何なのかまた躓いていた。本当に格好悪いんだから。
アリエッタもネフィシーに続く。下を見れば街にいる人々が悲鳴をあげて逃げている。空の方を指差しながら。
上を見上げれば竜、だろうか。見慣れない生物が数十頭旋回していた。
「黒曜竜……! っ、あの体躯は……」
ネフィシーはどうやら見たことある生物らしい。アリエッタは竜を見るのが初めてだ。大きな翼を広げて空を支配している。真っ黒い体躯を持つ竜は時折雄叫びをあげながら旋回する。
竜は村をいとも容易く滅ぼす災いの種だと言われている。そんな強力な魔物を目にして、アリエッタが抱いた感情は……。
「格好良い……!」
だった。絶対的な王様感が素晴らしい。竜となら仲良くしても良いかもしれない。いや、絶対に服従させて仲間にしたい。
ネフィシーは興奮しているアリエッタを横目に漆黒の杖を取り出して身体を宙に浮かせる。
「討伐してくる」
どこか怯えているような申し訳なさそうな表情をして駆け抜けていった。




