第2話 怪しい令嬢
アリエッタ・ローズナイトは謎多き毒闇の塔を見上げていた。首が痛くなるほど上を向かなければならないほどの高さの塔だ。サンドレアの命令通りに翌日には既に毒闇の塔へ向かった。
基本的に決断と行動が素早いアリエッタにとって何もせず立ち止まるのは珍しい。非効率極まりない。
蔦が一面に巻かれ、ろくに管理の行き届いていなさそうな塔の中に本当に人はいるのだろうか。
さっきから扉に手をかけ、ノックしようとしてはやめるという動作を繰り返している。これがアリエッタが行っている行動だとはにわかに信じがたい。
誰が幽霊や魔物が平気でいそうな場所に進んで入ろうと思うのか。
中には魔術研究所があると聞くが嘘に決まっている。人のいる気配がまったくないのだ。
誰か連れて来た方が良かったか、と思ったが。悲しきかな。そもそもアリエッタには友人どころか知り合いすらまともに存在しないのだった。
アリエッタは息を大きく吸い、覚悟を決めて扉を叩こうとしたその時。
「あら。こんなところに知らない人がいるなんて珍しいわ。客人かしら?」
背後から可憐で上品な女性の声が響き渡った。
突然聞こえた声が不気味に聞こえ、アリエッタはびくりと身体を震わせる。本当に幽霊が現れたと思った。驚くからやめてほしい。
アリエッタが振り返った先には黒を基調とした学園の制服を着た少女がいた。制服の上には上質なマントを羽織っている。手首や耳元の装飾品も見るからに高価そうだ。
淡い緑の長い髪は上質な絹のようだった。遠目からでも分かる。相当な美女だ。神秘的な雰囲気を漂わせている。
恐らく彼女は少女ではなく令嬢と呼ぶべきなのだろう。アリエッタは自然と顔が強張っていくのを感じた。人は苦手だが、貴族令嬢はもっと苦手だ。
「驚いた表情をしたと思ったら急に真顔になって。わたしに対して良い印象を抱いていないようで残念だわ」
余裕そうな笑みを浮かべこちらへゆっくりと近づいてくる。
彼女は高貴そうな見た目には似合わない農民や商人が持っていそうな竹製の籠を持っていた。中には薬草だろうか、ここからはよく見えないが、緑の葉のようなもので覆い尽くされているものが入っている。
優雅な足取りで近寄る彼女はあっという間にアリエッタの目と鼻の先になった。
口角を上げる角度、目線の位置、作り込まれた繊細な表情が全て完璧にアリエッタの前で演じられる。役者になったら大儲けしそうだ。
「こんにちは。ええと、あなたは……」
「アリエッタ・ローズナイトです」
「そうそう、アリエッタ・ローズナイト。もちろん存じているわ」
やや慌てた様子で必死に言葉を繕っているように見受けられた。本当にアリエッタのことを知っているのだろうか。
今年の生徒会は学園の注目の的サンドレア王子が会長になるということで、メンバー全員、いつも以上に全校生徒に名が知れられてしまった。地味なアリエッタもおまけの景品のようにセットで巻き添えにされ、生徒に認知されてしまった。
アリエッタの名前を知らない者はよほど人間に興味がないか、学園にそもそも来ない人物である。
「わたしはエルラ・メイランド。ご存知?」
先ほどの失態を隠すかのように明らかに上から目線で嘲笑されている気がするのは気のせいだろうか。気のせいではないと思う。
エルラ・メイランド。エルラという名は知らないが、メイランドという家名なら聞いたことがある。ナーリア王国の北方地方にある有名な魔術師を多く輩出する伯爵家だったはずだ。
エルラという少女は爵位を持つ家の娘である令嬢という肩書きの持ち主である。
「いえ。存じ上げておりません」
お貴族さまは何も知らない平民を「無知が」とか「無能」だとか言って罵るのが一種の遊戯だと聞いたことがある。
貴族のご機嫌どりのためにもここは無知なふりをするのがいいだろう。
「そう。つまらないの」
そう吐き捨て、ぼろぼろの扉に手をかける。伯爵令嬢がこの名前からして怪しい毒闇の塔になんの躊躇いもなく入っていくとは。とても令嬢には似合わない場所なのに。
アリエッタは驚きで、その場に硬直する。よくクラスメイトなども、毒闇の塔のことを会話の種として取り上げていた。それは好意的なものではなく蔑みを含んだ酷く嫌らしい言葉だった。
「あなたは客人かしら? 何もないところだけど。お茶をもてなすことくらいはできるわ。立ち話もなんですしせっかくだから中でお話ししましょう」
貴族令嬢とのことだからてっきりアリエッタを馬鹿にしてくるのかと思った。が、意外にも歓迎と受け取れそうな言葉を並べてくれる。エルラに続いてアリエッタも塔の内部に入っていく。
これより、アリエッタの調査が始まろうとしていた。
塔の中は想像の倍以上綺麗な空間だった。廃墟のような空間が広がっているのかと思えばそんなことはなく管理がきちんと行き届いている。もしかしたらアリエッタの部屋より綺麗かもしれない。外装からは想像できない空間だ。内装だけ見れば、塔が畏怖され、近づかれない理由がまったく分からない。
埃ひとつ許されないような空間だ。
調査、と言われたが一体何をすれば良いのか。壁の材質や、置かれている家具を販売している商店の名前。はたまた魔導具や魔導書について調べたら良いのか?
「驚いた? もっと歪で古臭くて埃まみれな部屋を想像していたでしょう?」
「ええ。まあ。外観のイメージから」
アリエッタは思ったままに伝える。失礼になるかもしれないが。
これで文句を言われようが知ったことはない。そもそも最初に喧嘩を売ってきたのはエルラの方ではないか。
勧められたのは上質な椅子だった。貴族が座っていそうな椅子にアリエッタは腰掛ける。ふかふかの材質の椅子がアリエッタを包み込む。立ち上がるのが困難になりそうだ。
「こちらはお茶よ。紅茶。つまらないものだけど、飲んでちょうだい」
お盆を持って、エルラはお茶をもてなす。アリエッタの前とその向かいの席の側にふたつ茶を置く。
エルラはお茶をテーブルに置いたのち、アリエッタの目の前に座る。彼女はアリエッタを一瞥した後、カップを手に持って紅茶を一口啜る。アリエッタに見せつけるように。
正直に言って振る舞われるお茶は明らかに毒魔女が調合したかのようなどす黒い色をしたとても飲み物とは言い難いものが出てくると思っていた。だが、見たところ普通のお茶だ。綺麗で澄んだ色味をしている。さらに匂いも丁度良く、鼻腔をくすぐる。
飲みたくなってしまうではないか。
アリエッタが大きく頷きカップに手をかけると対面の令嬢はにやりと口角をあげる。それが非常に気味が悪い。
「どうぞ、嗜んでちょうだい」
エルラの言葉を無視し、アリエッタはカップを鼻先に持ってきて匂いを嗅ぐ。信用できない者が振る舞う茶ほど怪しいものはない。念入りに確認しなくては。
(異常はなし。見た目も良い……)
匂いを嗅いだだけで毒の判別は難しい。実際に飲んでみないと分からない毒の方が多い。
(毒味役はいつもこの危険と恐れと隣合わせなんだ……)
顔も名前も知らない毒味役に共感する。
アリエッタはそっと一口、紅茶を飲む。甘い紅茶だった。多分蜂蜜と砂糖が使われている茶だろう。
「美味しい」
気づけば毒のことを忘れて素直に紅茶を嗜んでいた。
「そうでしょう、美味しいでしょう? これは蜂蜜がふんだんに使われているハニーティーよ。とても甘いの」
このお茶はエルラが淹れたものだろう。機嫌が良いのが伝わってくる。自分で言った言葉なのにエルラは「蜂蜜……」と顔を歪めた。完璧な表情と仕草は何処へいったのやら。まるで別人のような佇まいだ。
「そういえば。蜂蜜はあの人が……」
「どうされましたか?」
「いえ、何でもないわ」
そう言いつつ、エルラはぽんぽんと自分の両頬を叩く。「もう、本当にわたしは駄目ね」と自分を戒めていた。
「毒の心配はいらなかったようで安心しました」
気づけば本音が漏れてしまっていた。エルラの機嫌が損なわれてしまう。そっとエルラの表情を見れば分かりやすく眉尻が下がっていた。申し訳ない。
「そうよね。やはり怪しいわよね。いつもそう。初めて会った人は恐ろしいなど、幽霊屋敷のようだなどと言うのよ」
下がった眉尻、どこか不満そうな顔は本物だった。
この毒闇の塔は皆が怖がりすぎなだけかもしれない。
得た情報は忘れないように記録しておこう。アリエッタは制服の懐から手帳を取り出す。
『情報はちゃんと正確に全て伝えるんだよ』
サンドレアの言葉が不意に反芻された。彼の言いつけを守るためにもメモは必須。
エルラの目の前で羽目ペンを走らせる。
『毒闇の塔は、外見は恐ろしいが内見は綺麗で普通の部屋と同じ。エルラという令嬢はまだ本音が見えていない。本当に魔術研究所なのか。それが、嘘か真かは分からない』
メモする内容はこんなところか。アリエッタは長考してペンを走らせる。
「ねえ。急に何をしているの。わたしとの会話はもう良い。つまらないって?」
皮肉めいた声が聞こえてきた。
いけない。エルラという令嬢のことを忘れていた。
エルラは探るような瞳でそっと目を細める。
「それとも。お忍びの調査といったところかしら?」
アリエッタは図星を突かれ瞳を大きく見開いてしまう。これだけで察しが良い者には気づかれてしまうがエルラは無反応だった。
しかし、サンドレアは口外禁止といった趣旨の発言はしていなかった。つまり、隠す必要はないと捉えて良いだろう。
「私は普段から日記を書いているのです。今日あった出来事を忘れてしまわないように何かあったらすぐメモするのを癖にしています」
「そう」
エルラはつまらなさそうに返事する。
素直に自分の置かれた状況を言えば良いものを。咄嗟に口に出た言葉は思いついた言い訳極まりない台詞だった。
「わたしにも協力させて。みんなに塔について知ってほしいの」
その言葉がすべてだった。




