第17話 無詠唱魔術
「ネフィシーは化け物だった? ちゃんとした人間だった?」
下の階の居間に降りた途端、エルラが飛びつく勢いで声をかける。令嬢らしいとかもう考えていられないのだろう。
「エルラ。ちゃんと自分で見るべき。アリエッタを頼らない」
アメリアが剣呑な表情をして叱責する。淡々とした声が逆に恐ろしくさせる。
「でも、でもね、アメリア……」
「でも、じゃない」
有無を言わせぬ声はエルラを黙らせるには十分だった。エルラのためにならないと思って叱責しているのだろう。アメリアはこう見えて面倒見がありそうだ。
「あたしだってネフィシーに会おうと思えば会えるよ。興味がないだけで」
「はい、私も興味はありませんが。きちんと会えました」
興味がなくても会える。やりたくないことだってやらねばならない。少なくともエルラはふたりと違ってネフィシーに興味があるのだからやればきっとできるはず。
「わたしも別に。興味はないのよね……」
「では会わなければ良いではありませんか。それで話は解決ですよね? 化け物か否かもどうでも良いってことですよね」
「あたしもそう思う。アリエッタと同意見」
エルラは言い返せなくなってしゅんと縮こまった。アメリアはふーんと息を吐き、親指を立てる。
「アリエッタ。そういえばネフィシーとお出かけすることになったの?」
「不本意ながら。どうしてこうなったのでしょうかね」
アリエッタ自身が引きこもり体質なこともあると思う。あまり乗り気ではないが、誘いを断れなかったのも事実だ。
……否、断ることはできた。だが、断る必要性を感じなかったから了承しただけにすぎない。
「良いね。年頃の男女が一緒にデート……えへへ」
「違います。変な勘違いはやめてください。ネフィシーさまの外世界に出るための練習です。分かりますか?」
アメリアは何を想像したのか楽しそうに笑う。
断じてデートなどではない。エルラが変なことを言わなければこうはならなかった話。そもそも友達すらひとりもいないアリエッタにはまだまだ遠い未来の話だ。
「でも、何だかんだ楽しみなんでしょ? 顔に出ているよ」
「楽しみではありません。ただ、誰かと出かけるのは、母親と父親以外なかったので。そういう意味では楽しみです」
幼馴染も兄弟姉妹もいない幼少期を過ごしたアリエッタには父と母しか話す相手がいなかったという悲しき過去を持っている。
そういえば最近、アリエッタに妹ができたという話を風の噂で聞いたような気がするが。
「そっか……。まあ、楽しみなよ」
♢♦︎♢
アリエッタは塔の外に出て最上階の方を見てサインを送る。それを受け取った人物は最上階の窓の開き戸を開けた。
そうしてその人物は詠唱もなしにふわりと降下していく。ローブが翻ってひらひらと舞う蝶のようだった。
全身を黒いぶかぶかのローブで覆い、目元を仮面で隠す青年ネフィシー・ラピスラズリが現れる。黒くて地味な杖をぎゅっと握りしめて猫背気味の青年はどこか不安気で何かを恐れていた。
「魔術が使えて良かったですね。使えなかったら他の面々と顔を合わせなければなりませんでしたよ」
「いや、蔦を利用して降りるから問題ない」
ネフィシーは、塔に巻き付かれた蔦を指差す。軽い嫌味も華麗に流されてしまった。ネフィシーは黒い杖を振り翳してしまいこむ。中央には深い瑠璃の宝石が嵌め込まれており、そこだけ輝いていた。
ネフィシーが魔術を使えることよりももっと驚いて大事なことは。
「魔術を無詠唱で展開していましたが、あれはどうやってやるのですか! もし良ければ私にもご教授くださいっ」
「ああ、まあ。良いが」
無詠唱魔術は最高級魔術と呼ばれていて特別な才能と研鑽がないとできないと言われている。それをいとも簡単にやってのけるとは。
エルラに続いた魔術仲間ができそうだ。この調査、引き受けて良かったのかもしれない。
「やった、嬉しいです。無詠唱魔術は格好良いから、やってみたかったのですよね……!」
「格好良い……?」
ネフィシーが疑問を持った。若干照れている気がする。ネフィシーではなく無詠唱魔術が格好良いと言ったのだが。勘違いも甚だしい。
「ええ、格好良いですよ! あの、何も言わずに突如として現れ、静謐な空間で沈黙が場を支配するあの空間が。周りが凍りつき皆が無詠唱魔術に夢中になる瞬間が……」
気がつけば口走っていた。無詠唱魔術を使える者は王国の最高機関にしか存在しないと思っていたのだ。
「あ、ありがとう……」
消え入りそうな声でやや萎縮しながら礼を言うネフィシー。何故ネフィシーに感謝されなければならない?
「あの、どうしてお礼を? 不必要なお礼は要らないですよ」
魔術について語り終えてまだ興奮は残っているものの冷静になったアリエッタは矛盾と疑問を提示する。
「魔術を使った俺を褒めてくれたのだろ……?」
やはり勘違いか。はあ、とため息をつきつつ正直に答えた。
「決してネフィシーさまを褒めたのではありません。無詠唱魔術を褒めました。強いていうなら無詠唱魔術を最初に発明して使用した者を褒めています。つまらない勘違いはしないでください」
「そうか……」
ネフィシーは明らかに声に抑揚がなかった。しゅんとしていて今すぐに消えてしまいそうな雰囲気だ。アリエッタは悪くないと思う。変に誤解したのはネフィシーだから。
だがもう、魔術の話を人前でするのはやめた方が良いだろうか。いつものアリエッタとはかけ離れた姿を無意識に晒すことになるし。
アリエッタは両頬をぺちぺち叩いて自分に言い聞かせた。
「もうっ。なんだか私らしくありませんね。自分の高揚と興奮なんて時間の無駄そのものですよ」
「いや。無駄ではないと思う……」
ネフィシーが弱々しく否定してきた。
「好きなものを全力で否定する必要なんてないだろう。好きなものを好きなように楽しめるなんて最高ではないのか?」
ネフィシーの言う通りだと思う。平民でありながら魔術学園に通わせてもらい自分の好きなことに囲まれて生活を謳歌する。アリエッタは生まれた境遇にしては恵まれている方だと思う。
「ですが。効率は本当に大事なのですよ。本当に、効率よくすればできる物事がひとつ増えるかもしれません」
「そんな理由で、好きなことが語れないのは少し悲しい、かな」
ネフィシーはフードと仮面がしゅんとなる勢いで言う。自分のことではないのに悲しいって。どれだけ共感性が強い人物なのだ。
ネフィシーがどうして悲しいって言ったのかあえて考えないことにした。それを紛らわすようにアリエッタは口を開く。
「歩きましょう。少し散歩がしたいのです」
「悪くないな」
そうしてふたりはどちらともなくゆっくり歩みだす。ふたりの間には小さな子供がすっぽり入るくらいの絶妙な距離が空いていた。
「ネフィシーさまはお出かけと言いますが、街に出たいのですか? それとも庭園散歩でもしたいのですか?」
「庭園、が安心するけど。アリエッタはどうせ街って言うんだろ……?」
どうせ、とは何だ。アリエッタのことをよく分かっていないくせに適当なこと言いやがって。鼻につく言い方だ。
「好きにしてください。私は何でも良いです。何なら早く魔術を教えてほしいです。あてもない外出でも私は十分だと思いますが」
様々な選択肢を提示したから後は自分で選んでほしい。ネフィシーにとっては久しぶりの外出のはずだ。あまり無理をするのもよくないと思う。
「ネフィシーさまは、外に出るのはいつぶりなのでしょうか? 三ヶ月ぶりくらい?」
「いや。三年ぶりかな。……太陽が眩しい」
想像以上の引きこもりぶりだった。いくら生粋の引きこもりとはいえ、どれだけ外の世界が嫌いなのだろうか。
ぶかぶかのローブで誤魔化しているつもりなのだろうか知らないが、隙間から見える手首は本当に細かった。首筋も痩せ細っており、何だか不健康だ。本当に三年間外に出ていなかったのだろうと見受けられる。
体つきについて触れるのは不敬だな、と思い口を噤む。彼はエルラからの食事をきちんと摂っていないのだろうか。普通、食事だけとって運動しないなら、ぽっちゃりした体型になりそうだけど。
何となくアリエッタはネフィシーの仮面越しの様子を横からを覗き込む。いつもと雰囲気が違うような気がした。
「首元がなんだかすっきりしているような気がしますが、何か特別な手入れを?」
「いや、別に特に何もしていない」
横から流れる長い紺色の髪は綺麗にまとめられている気がした。横髪だけがさらりと流れているのだ。
ネフィシーは軽く息を吐いた後、フードに手をかけた。ゆっくりと恐る恐るフードを脱ぐネフィシー。さらりと流れる紺色の長い髪は後頭部に束ねていた。いつもの手入れがされていない姿ではなく、しっかり髪をまとめたその姿は儚くも凛々しくそれでいて美しい部類に入りそうだ。
どうしてネフィシーは急にフードを脱いだのかの疑問の方が打ち勝つ。
「随分と身嗜みに気を使っていらっしゃるんですね。意外です」
「まあ……。外に出るから。生半可な姿は見せられないなって」
フードを脱ぐことによって目元以外はよく見えた。不安気な表情でこちらをじっと見つめてくる。より一層人間味が出てきた気がする。
「仮面がとれたら。完璧だったな」
自嘲気味に笑ってネフィシーは歩き出す。十分大きな一歩だと思う。いきなり顔の全貌を見せれば背伸びしすぎな気もする。
まずは小さな一歩。それができるだけで凄いのだから悲観する必要はないと思う。




