第16話 使命を持つ者
このまま帰ってしまいたかった。化け物ではないという主張なんてもういらないから。
気がつけばネフィシーの部屋に足を踏み入れていた。「もう帰りますから。さようなら」と言うのはすごく簡単なはずなのに。
「だが、化け物が怖いって言っていたではないか……」
恐る恐るといった声音で口を開く。ぎゅっとフードの先を握りしめながら。別に瑠璃のような良い瞳をしているのだからフードを脱げば良いのに。
「私はネフィシーさまが化け物だなんて言っておりません。化け物は怖いという自論を展開したまでです。変に勘違いしないでください」
「ネフィシーでいい」
何回言ったら気が済むのだろう。ネフィシーと呼び捨てで呼び合う関係を築いた覚えはない。
「有り難いお言葉ですが、お断りさせてください」
前にも距離を置くことで踏み込まないって思ったのだが。調査対象に肩入れするつもりなんてない。
「そうか……」
そう言う声が明らかにがっかりしていた。とても居た堪れない。そもそも了承したら良いだけの話。まだ早い気がするけど。
「では、私と会う時はフードを脱いでよく顔を見せてください。前髪で目元を隠すとかはなしですよ? それができるなら私もネフィシーと呼びましょう」
条件を提示しなければアリエッタは何も得しないではないか。別に距離を縮めることは望んでいないし。
「……っ」
ネフィシーはフードの先を跡がつくくらいぎゅっと握りしめている。アリエッタのどうでも良い一言で逡巡するくらいなら最初から顔を見せれば良いのに。
「ああ、それと。私は先ほど顔を少しだけ見てしまいましたが。……とても綺麗な瞳をしていましたね。別に隠す必要はないんじゃないでしょうか」
美醜に詳しくないのでよく分からないが、サンドレア王子と同等の美形なのではないだろうか。浪漫的な令嬢がいたら黄色い悲鳴をあげそうだ。隠しているのが勿体無いと思うほどには。
正直、ずっとフードを被っているのは、目元に隠さなければならない傷や損傷があるのかと思っていた。綺麗で澄んだ瑠璃の瞳は、穢れのものではないと思う。
「俺には美しい顔も表情だっていらない。感情だって本当は無くすべきだ」
フードを掴む手は微かに震えを持つ。
また面倒なことを言い出した。そんなことないよ、って否定してほしいのだろうか。つまりは、アリエッタの提案は拒否します、と暗に言っていると解釈する。
「分かりました。この話はお預けですね」
ネフィシーが顔を見せないのなら。アリエッタだって呼び捨てにする必要はない。
そう言えば少し残念そうに頷いた。結局どっちなんだ。言っていることとやっている行動が違いすぎる。
「……感情を無くすべきなら、私と距離を詰めるべきではありませんね。私がネフィシー、なんて呼んだら嬉しいっていう感情を持ってしまうでしょう?」
アリエッタ自身も感情の機微には疎い方だが、常識を考えて語る。これが一般論かなど分かりやしないけど。ちなみにアリエッタは呼び捨てで呼ばれようがまったく嬉しいとは思わない。
ネフィシーはしまったと言わんばかりに大きく息を飲んだ。そしてゆっくり首を横に振る。彼は非常に分かりやすい。
「私はあなたが抱える状況など微塵も興味はありませんが。規則に則って自分を殺すくらいなら、私は破るべきだと思います」
ルールは破るために存在するんだよ、高らかに笑う輩の言葉を思い出す。胡散臭さの塊の生徒会長の言葉だ。
「俺がどういう状態になってしまっているのか、知っているのか?」
「はい?」
至って普通の人間だし。過去に何かあったのだろうとは推測されるが。何か病でも抱えているのだろうか。そういえば薬草を用意してもらっていたな。詮索するつもりはないが。
「良い。見当がつかないなら。……深掘りしないでほしい。忘れてくれ」
「はい、分かりました。記憶の奥底に残らないようにしっかり消去致しますね」
そう言ったものの引っかかる言葉だ。自分は何か異常状態を抱えていますと宣言しているようなものだ。彼を救うつもりはないが一応言葉はかけておく。
「何かどうしようもなく辛くて苦しいのなら、言ってくださいね。まあ、言ったところで何も解決しませんでしょうけど」
要は言うな、ということだが、気づくだろうか。ネフィシーが馬鹿ではないことを念頭に。
「壁を壊すのも悪くないかもしれない」
口元がにやりと口角を上げた。余計な一言を放ってしまっただったろうか。アリエッタは普段は滅多におかさない失言をした。ネフィシーは変わってほしいが、アリエッタの一言で変わってほしくないのだ。自分の意思で変わってほしい。矛盾しているように聞こえてしまいそうだが。
「そういえば。俺とお出かけしたい、なんて言っていたよな?」
改まって話題を転換した。すごく嫌な予感がする。丁重に断る準備をしなければ。
後、お出かけしたいなんて言ってない。あくまで勧められただけだ。
「望みではありませんが。まあ、しても良いでしょう」
「お前が良ければ、俺はお出かけをしても良いかなって思っている」
黒い手袋越しに左手の甲をさすりながらぽつぽつ喋りだす。外に行くのなら尚更フードを脱いでほしい。
ネフィシーは木製で出来た棚の引き出しを開けてがさごそ漁った。そうしてそのまま探し終えたものを手に取る。
それは金属でできた目元を隠す仮面だった。
「どうせ、フードを脱がないと一緒に歩かないとか言うんだろ? 妥協案だ」
仮面をそっとつける。絶対に目元は見せた方がいいと思う。フードを被り目元には仮面を。怪しかった見た目はさらに怪しくなってしまった。
「私は別にネフィシーさまとのお出かけを許可しておりません。勝手に話を進めないでください」
このままではネフィシーと外に出ることになる。ネフィシーはアリエッタの言葉を無視してフードに手をかけた。仮面がなければ完璧なのに。
変わっているようで何も変わっていない。
「こうしたら幾らかましだろう」
フードを脱ぐ気はないようで浅く被っている。確かにこの姿なら街へ出られるかもしれない。仮面は長い前髪に隠れていてほとんど見えない。
だがこの格好は……。
「使命を持つ者ですね」
国の為に動いた者を指す言葉だ。この王国では国家の為の行動故に何かしらの傷が残ったもののことを指す場合が多い。それは名誉ある傷とされ、誇りになる。その誇りは見せびらかす必要はないと思われ、基本的に見せることはないというのだ。
「あなたがそうではないのなら今すぐに仮面を外すべきだと思います。ときたまおしゃれでやっている人を見かけますが。まあ、痛い目で見られますよ」
使命を持つ者か否かなどは見た目だけでは判断できない。だが、その人物の佇まいや風格で大体分かるという。
「大丈夫。俺も捉え方によっては使命を持つ者だ」
「本当ですか」
大変疑わしいので信用しないことにする。こういうのは自分で調べるべきだ。
使命を持つ者かどうかは特別書物を見たら分かるがただの生徒会副会長風情がおいそれと見れるものではない。国の宝物庫に厳重に管理されているのだ。
ネフィシーは仮面を手で直してアリエッタのほうを逸らさずに見た。
「アリエッタは……そんな容姿をしていたのだな」
ろくにアリエッタの顔も見ていなかったことが判明した。アリエッタはネフィシーの人間の恐れように乾いた笑いしか出てこない。よくこれまで生きてこれたな、と別の意味で感心する。
それと彼には申し訳ないが気安くアリエッタと呼ばないでほしい。呼び捨てできないアリエッタが後ろめたくなるではないか。
「怖くなくて良かった。もし良ければアリエッタの表情や仕草をこれから見ても良いか?」
「はい? 許可など要りますか? 必要なら勝手に見れば良いじゃないですか」
意味不明な質問だ。アリエッタの顔を見るのにいつから許可が必要になった。一流のスターでもあるまいし。もてはやされる舞台役者になった覚えはない。
そう言えばネフィシーは明らかに安堵したようにほっと息を吐いた。
「あり、ありがと、う……」
つっかえたようなお礼を言われる。すらすら言えれば良いが。対人経験が少なくなればこうなるのだろう。
ネフィシーは真剣な佇まいでアリエッタの方を見つめてきた。
「もし良ければ、俺と一緒に外に出てくれないか?」
ぷるぷる震えながら黒い手袋越しの手を差し出してきた。アリエッタはその手をしばらくじっと見つめたのち、彼の手を握った。
「まあ、仕方ありませんね。そんなに行きたいのでしたら、付き合うことにしましょう。私はまったく嬉しくありませんがね」




