第15話 瑠璃の瞳
塔の最上階には不穏で静謐な空気感が漂っていた。
「ねえ。何よ。ここ。以前より闇の魔力が増している気がするわ」
びくびく震えている姿は完璧な令嬢とは程遠かった。思わずエルラに向かって呆れのため息を吐きそうになる。
アリエッタが感じる魔力は別に闇ではない、至って普通の魔力だが。心情によって魔力探知が上手くいかないこともあるらしい。
「うるさい。怖がりすぎ」
興味ないと言いつつちゃっかりついてきたアメリアが叱責する。思ったことをそのまま言い過ぎだ。
「でも、でも、でもっ! この中からネフィシーがおおよそ人間ではない姿で現れたらどうするのよ」
もっともな指摘だと思う。ネフィシーに直接会ったことがなければ同情していただろう。
「アメリアは達観しすぎよ。それと……あ、アリ……いえ、あなただってあの時の声は聞いたことあるでしょう」
「はい、あの時は疑いと恐怖が混じっておりましたが」
そんなことよりアリエッタの名前が呼べないエルラの方が気になった。途中言い淀んだのは呼称に迷ったためだろう。別に何と呼ばれようがまったく興味、関心はないが。
おろおろしているエルラを横目にアリエッタは扉をノックする。
「こんにちは。アリエッタです。本日も……」
慌てて口を噤む。必要以上に情報を漏らす必要はない。エルラは無反応だったがアメリアは「ふーん」と何だか意味深な声を出した。
「……っ」
微かな息遣いが伝わってくるだけでネフィシーは無反応だった。そうだった。ネフィシーはエルラが怖いと言っていたか。魔力か何かで彼女の存在を察知できるのだろう。
「では。話せないのなら。文を書いてください。筆談を致しましょう」
アリエッタは扉の下の隙間の方へ跪く。エルラが提案したネフィシーと一緒にお出かけの文言を達成するためにここに来たのだっけ。
『構わない』
文字で会話することを決めたようだ。エルラが怖いっていうのは本当だったようだ。
「何よ。構わないって。あいつが無理だから提案してあげたのに。上から目線も甚だしいわ」
ネフィシーが話せないのはあなたがいるからですよ、という言葉は喉につっかえたまま言葉にならなかった。あと筆談を提案してあげたのはエルラではない、アリエッタだ。自分の提案のように話さないでほしい。
「どうしてエルラさまは私にネフィシーさまとお出かけを勧めたのですか?」
純粋な疑問を問いかける。
「どうせ。あなたとは話せているのではないだろうかって思ったのよ」
そう言った瞬間、奥から大きく息を飲む声が聞こえてきた。エルラは憎き表情をしてアリエッタを睨みつける。悪いのはアリエッタではない、圧倒的にネフィシーなのに。
「そうですか。彼とお出かけとは飛躍しすぎですよ。私を何だと思っているのですか。……行くならエルラさまとの方が良いです」
ネフィシーとお出かけなんて。想像したくない。エルラともそこまで仲を深めた覚えはないが、行くなら彼女との方が遥かに良い。
「星は輝きを選ばない」
不意にアメリアがアストロラーベを浮かせてぼそりと呟いた。
「え?」
「何でもない。気にしないで」
そうだった、アメリアは占星術師だった。何か未来が見えたのだろう。気にしないことにする。
「思い込みで話したら駄目」
アメリアはふたりと目を合わせて言う。やはり彼女は時々怖い。妙に的をついているのだ。
「で、あなたさっき何を言ったの? わたしの方が良いって。正気かしら?」
疑いの声を向けてくるが表情が本当に嬉しそうだ。頑張って隠そうとしているけど。
「はい。少なくともエルラさまが化け物扱いするような方とは。いくら私でも躊躇います」
部屋の奥からは何かが崩れ落ちる音が聞こえてきた。彼は人の話をちゃんと聞いているのか。意外だ。
「そうよね……。化け物は怖いもの」
「ええ、そうですよね。化け物は怖いですものね」
そう言った瞬間、扉ががたがたと何かを訴えかけるように揺れた。何か言いたいことでもあるのだろうか。残念ながらはっきりしてくれないと分からないのだけど。
アメリアはじっと何も言わずに扉の方を見つめていた。
「何の音かしら?」
「さあ。何の音でしょうね」
恐らくネフィシーが鳴らす音だろう。今は会話をしているのだから妨げないで欲しいのだけれど。妨害の天才か。
「ふたりとも。紙がきたよ」
アメリアがネフィシーからの筆談の紙を手渡す。そこには……。
『本当に誤解しないでほしいけど。誤解されるのも致し方ないと思う』
と書いてあった。ネフィシーは何に誤解されていると思うのだろう。
「仕方ないなら。誤解しても良いってことかしら?」
文脈通りに読み解けばそういう解釈になる。だが……。
「恐らく言いたいことをはっきり言えない質なのかもしれません。分かりませんが。まあ、解釈は自由ですからどうぞ。ご自由に」
ネフィシーは化け物というのは誤解だ、可能なら誤解しないでほしい。
こう訴えているような気がする。以前彼が言っていた言葉と照らし合わせても。でも解釈は何通りもあるのだからエルラの意思を尊重したい。
「あなたはネフィシーと直接会って話したことはある?」
「まあ……」
向こうからの接触だった。多少怯えはあったものの拙いなりに頑張っていた。本当にどうしてこんな所で引きこもっているのか疑問に思うほど、普通の人間だった。
「じゃあ、もう一度会ってネフィシーが化け物か、否か。直接見て確かめてきてちょうだい」
「ええ。確かめるだけなら。構いませんが」
エルラは「じゃあ、決定ね」と高らかに宣言する。だが、次に発した言葉は弱々しかった。
「わたしとはもう、会う気がないってことよね。縁を切るのが筋ってことよね。ネフィシーはもう、あなただけと仲良くしていればいいわ」
そう言って階段を駆け抜けていく。まだ断定するには根拠が足りていない気がする。
「アリエッタ。エルラの言うことなんて聞く必要ないよ」
アメリアが少しずつ近づく。ネフィシーが化け物か否かを確かめることについてだろう。
「……そうですか。でも、考えてみれば確かに。エルラさまにはきちんと向き合っていただきたいですね」
「話の分かる子」
明らかに年下と思われる少女に頭を撫でられ、複雑な気分になる。実は中身が見た目以上なんてことはないだろうか。
「意外なものが、変えるのね。蝶に舞う花のよう」
そう言い残しアメリアは階段を降りていく。急に詩人めいたことを言ってきた。何か意味ある言葉なのだろうか。直後の彼女による鼻歌ですべて台無しになったけど。
「……誰もいなくなったか?」
残されたのがアリエッタだけになるとやはりネフィシーは口を開く。こういう対応をするからエルラに嫌われるのではないか? 彼は平等、公平という言葉を知らないのか。
「はい、私ひとりですよ」
そう言えば風が吹き込む勢いで扉が開いた。急に何を、驚かせようとしているのか。ネフィシーはアリエッタにしがみつく勢いで屈む。何ならアリエッタのスカートの裾を握りしめていた。切羽詰まっているとはいえ、相手は年頃の少女だ。元々興味ない人だが呆れてくる。
「俺は……俺は……」
息切れを起こして最後のひとかけらのような声を出される。言いたいことは分かったから落ち着いてほしい。
「化け物なんかじゃ、ない」
アリエッタに訴えかけるようにネフィシーは見上げた。予想通りの言葉を感情的に述べた。アリエッタはため息をつきそうになるのを我慢した。危ない、流石に不敬だ。
アリエッタのスカートの裾を握る手をそっと離す。こちらの方が不敬だろうか。
顔の見えないネフィシーに視線を合わせる。
「知っていますよ。そもそも私は化け物だなんて。あなたはエルラさまの戯言を信じすぎです」
「……っ。だが……」
ネフィシーは上手く反論出来ずに狼狽える。
彼は相当焦っていたのかフードは被っていたものの深く被れていなかった。故に長い前髪の隙間からほんの少しだけ目元が見えた。
綺麗な、瑠璃色の瞳だった。




