第10話 微かな伝手
さっきまで晴天だった空は次第に濃い灰色の雲に移り変わっていった。もうじき雨がふるだろう。
エルラはというと嗚咽を滲ませながら走って塔の中へ逃げていった。
アリエッタはどうしてエルラが怒り狂って叫び倒しているのか分からなかった。人との関わりの少なさから人間の感情の本質を見抜くのはまだ難しい。見えた表面なら大体当たるのに。
「アリエッタはどう思う?」
じっと無表情にアストロラーベを見つめながらアメリアが口を開く。しばし逡巡したのち、正直に伝えた。
「私にはよく分からないです。エルラさまの言動全てが。どうして急に私に牙を向けるようになったのでしょう」
きっかけが思いつかなかった。何となくの推測はつくが、辻褄が合わない気がして口に出すのを躊躇ってしまう。
「そう。……頑張って」
どこか他人事のように呟いてから鼻歌を歌いながら塔の中へ帰ってしまった。
何故か分からないがどこか空気がどんよりしている気がした。
♢♦︎♢
アリエッタは自主的に魔術を練習した。が、しばらくしたのち雨足も強くなってきたので仕方なく塔の中へ入る。
中は静寂な空間に包まれていた。エルラもアメリアもいなかった。
よく分からない令嬢エルラの事がもっと知りたいと思ったのか、アリエッタは半ば無意識に階段を登り始める。そうして目的の場所に到着したら、軽く扉を叩く。
「アリエッタです。どうでしょう。お元気ですか?」
アリエッタは扉の奥にいる主に声をかける。ネフィシーの様子を見にいく。
正直当てにならない。だが、まともに答えてくれそうなのがネフィシーしかいなさそうだった。恐らくアメリアは笑って抽象的表現で誤魔化しそうだし。妥協案だ。
「ああ……まあ」
力ない声で低く呟いた声はネフィシーのものだった。今回は筆談ではなく口での会話を選択した。
声を出してくれるだけでも有り難いのだができれば対面で話して貰えないだろうか。アリエッタとしても相手が嫌がる事をするつもりは微塵もないのだが。
しばらくすると扉がほんの少しだけ開いた。その奥に暗い人影が見える。
「会ってくれるのですか」
「……お前が良ければ」
ネフィシーは面会の許可を相手に委ねる。相手に決めさせずもっと自分の意見をきちんと持って欲しい。彼はとても自信がなさそうだ。
「私は構いません。というか扉越しの会話の方が不自然なのですからね?」
「……分かっている」
飛び出た声は意外にも普通の言葉だった。分かっているから少しずつ頑張っているのか。
だけど少し開いたままでなかなか扉は開いてくれなかった。あまつさえ過呼吸まで聞こえてくる。そんなに人と会うのが怖いのか。何かを抱えているのだろうか。
ふう、と深い呼吸が聞こえたのち、そっと扉が恐る恐るといった感じで開けてきた。
「何か用だろうか?」
出てきた姿はやはりフードを目深に被り、よく表情も素顔も見えなかった。
エルラは化け物と言っているが一体どこが化け物なのだろう。どう見ても対人関係に不安を抱える青年そのものだ。
「確か名前は……。アリエッタ、だったろうか」
「ええ、はい」
しばしの逡巡はあったが意外だった。ネフィシーがきちんと名前を覚えているだなんて。どこぞの占星術師の名前が分からなかった自分とは大違いだ。
もしかしたら、人との関わりを断ちたい訳ではないのかもしれない。
「立ち話も何だし、部屋の中に入ろうか」
「ええ。そうですね。入りましょう」
まだあまりよくネフィシーを知らないがこんなに流暢なのか。これまでの勝手なイメージが少しずつ覆されていく。どこか舞台の台本感があるのは否めないが。
中に通された部屋は想像の倍広かった。ひとり用の部屋にしては大きすぎる。大金持ちの屋敷のように何でも揃っている。
だが、残念な事にとても汚かった。紙切れや魔導書などがそこら中に散らばり正直足場を取るのさえ厳しい。アンティークものが飾ってあるが汚すぎて映えていない。
さらには禁術に関する魔導書もあった。禁術書の焼き討ちが数年前に大々的に決行されたが、ここに置いてあるのは難を逃れたものだろうか。
正直回れ右して帰りたかったが、致し方ない。情報を得るためには多少の我慢も必須だ。
「とりえあず、この机に……」
ネフィシーが勧めるのは丸型の机と椅子だった。海のような淡い青が煌々と輝く机だった。
机の上にはやはりというか魔導書が積み重ねられている。それをネフィシーは近くの床に放り投げるようにしておいた。
「そんなのだから部屋が汚くなるのです。決めた場所に戻す。……後、物は大切に扱ってください。せっかくの魔導書ですのに汚れたらどうするのです」
「別に構わない」
魔導書は本当に貴重な物だ。複製のされていないただ一冊だけの魔導書もあるのだからもっと宝を持ったように大切に扱ってほしい。
「お茶を出す」
そう言ってまでポットに茶葉を淹れて、茶を配合する。想像以上に社交的だ。ずっと引きこもりだったらしいがどこで身につけたのだろう。
アリエッタは素直に勧められた椅子に座る。
「飲んでほしい」
縋るような声でそっと差し出されたものはナーリア王国原産茶のトールナティーだった。貴族御用達の茶で茶会や花見会など様々な場面で活躍する便利な茶だった。
ナーリア王国にしか生息されていないトールナ草を使ったとても甘味な茶なのだ。
一口飲んで見る。正面に座るネフィシーはじっとアリエッタの方を見つめていた。
「美味しい、です。ネフィシーさまは茶を入れるのがお上手ですね」
「ネフィシーでいい。敬称など俺には不要だ」
お茶を褒めたのだが、返信は何故か呼び方についてだった。
ネフィシーで良い、とは。敬称と敬語によって適切な距離が保たれ、踏み込めないようにしていたのに。
「いえ、私には恐れ多いお願いでございます」
何しろネフィシーは他称塔の主だ。身分は未知数だが平民より上のように見える。何より敬称なしとか不敬極まりない。相手が望んでいたとしても。
「そうか」
ネフィシーはややがっかりそうに頷いて視線を戻した。
その後は沈黙が降りる。ネフィシーはごそごそと動き、謎な動きをする。それをアリエッタは白けた顔で見つめていた。
一通りトールナティーを堪能した後、アリエッタは目的の質問を伝える。
「ネフィシーさまに質問が。エルラさまとは一体どんな人物なのでしょう」
アリエッタがエルラという言葉を発した瞬間、目の前にいる青年はびくりと身体を震え上がらせた。




