第24話 守るために決めないで
父たちが帰った日の午後、私たちは王都を出て、青薔薇館へ戻った。
翌朝、私は信託の帳簿を開いた。
母方の年金は、春と秋にそれぞれ一度ずつ振り込まれる。金額は多くない。館の屋根を直し、庭師と料理人へ賃金を払い、冬の薪を買えば、残るのは慎ましい暮らしを守れる程度だ。
けれど、それは母が私へ残してくれたものだった。
帳簿の最後の入金欄に指を置く。次にあるべき秋の数字が、空白になっている。
「法律家へ確認を頼みます」
そう告げると、公爵家の家令はわずかに目を伏せた。
「すでに、旦那様が照会を」
「アレクシスが?」
「……奥様のお耳へ入れる前に、事実を確定させるようにと」
家令は嘘のつけない人だった。困った時ほど、背筋が正しくなる。
私は帳簿を閉じた。
「ほかにも、私の耳へ入っていないものがありますね」
返事の代わりに、彼は鍵のかかった書類箱を持ってきた。
中には、ベルフォール家から届いた手紙が七通、ジュリアンから三通、青薔薇館の法律家から二通。いずれも開封済みで、封筒の隅に秘書の整理番号が振られていた。
私は、一通ずつ机へ並べた。
最初の手紙で、継母はフローラの婚礼用ヴェールに合う刺繍図案を求めていた。二通目で父は、私が欠席したため親族が不審に思っている、病気だったことにして詫び状を書けと言った。三通目はフローラからで、私が夫に愛されているという新聞記事は誇張だろう、本当のことを教えてほしいと書かれている。
ジュリアンの一通目は命令、二通目は非難、三通目だけが謝罪の形をしていた。ただし結びは、フローラが公爵家へ失礼をしないよう一度話してやってほしい、だった。
読み進めるうちに、右手が冷たくなった。
家令が水を持ってこようとしたので、私は首を振った。今は、この身体の反応まで誰かに片づけてもらいたくなかった。椅子へ腰を下ろし、足の裏が床に触れているのを確かめる。ここは青薔薇館で、扉の鍵は私が持っている。手紙は紙で、父の声ではない。
そう何度か心の中で言ってから、最後の封筒まで自分で開いた。
父の召喚状が届いた時、私は一通だけだと思っていた。実際には、その前にも後にも、帰れ、説明しろ、妹の夫婦仲を直せ、母の財産を家族で分けろと、同じ命令が形を変えて届いていた。
私の手は震えなかった。
震えないことの方が、怖かった。
昔、父は私の手紙を先に読んだ。気に入らないものは暖炉へ入れ、「お前のためだ」と言った。継母は私の部屋へ入る前に扉を叩かなかった。フローラが欲しがれば、引き出しの中身まで家族のものになった。
ここでは、私のためという言葉が、同じ鍵をかけていた。
執務室へ行くと、アレクシスは机から立ち上がった。私の手にある書類箱を見て、言い逃れを探すような顔はしなかった。
「隠していたのですね」
「ああ」
「どうしてですか」
「君がようやく眠れるようになったからだ。手紙が届くたびに、食べられなくなった。吐いた夜もあった。先に事実を調べ、必要なものだけを渡すつもりだった」
正しい説明だった。
だからこそ、私は息が苦しくなった。
「必要かどうかを、誰が決めるのですか」
アレクシスの眉が動いた。
「私ですか。それとも、あなたですか」
「エレノア」
「父も、私には知らなくてよいと言いました。婚約者が妹を愛していても、妹の手紙を私が書いていても、青薔薇館のお金が使われても。知れば傷つくから。お前のためだから、と」
「私を、彼らと同じだと言っているのか」
低い声だった。怒鳴られてはいない。それでも私は肩をすくめかけた。
逃げたくなった。謝って、あなたは違いますと言えば、この人を傷つけずに済む。
その癖を、私はもう愛だと呼びたくなかった。
「同じ人だとは思いません」
一語ずつ、喉から引き出す。
「けれど今、同じことをされて、私は怖いです」
アレクシスは口を閉じた。
窓の外では、冬を越した青薔薇の枝を庭師が整えていた。鋏の乾いた音が、遠くで一度鳴る。
「あなたに守られることは、嬉しい。でも、守るためなら私の手紙を隠してよい、私の返事をあなたが決めてよい、とは思えません」
「君を苦しませたくなかった」
「苦しむかどうかも、決めさせてください」
言ってから、膝から力が抜けた。
アレクシスは手を伸ばしかけ、途中で止めた。私がうなずくまで、触れなかった。
「すまない」
短い言葉だった。
「君の家族へ腹を立てるあまり、君が自分で扉を閉められることを忘れた。私が外から鍵をかければ安全だと思った」
「はい」
「言い訳はしない。これが届いたもののすべてだ。今後、君宛ての手紙は未開封で渡す。危険があると思えば、そう伝える。読むなとは言わない」
彼は机の引き出しから、もう一つの封筒を出した。
青薔薇館の法律家からの正式な報告だった。年金の一部は、私の名を使った許可書によって、フローラの婚礼費用へ回されている。同じ許可書には、青石の首飾りを婚礼当日まで貸し出すという文言まであった。首飾りはすでに青薔薇館の金庫へ移していたため、館の者が引き渡しを拒み、未遂に終わっている。
署名の写しを見た。
私の名前だった。けれど私の署名ではない。恋文を代筆した時の、フローラが好んだ丸い文字を真似ている。
「選べる道は三つある」
アレクシスは説明した。
「非公開で返還を求める。公の審理を申し立てる。あるいは、何もしない。どれを選んでも、青薔薇館で暮らす権利も、私との結婚も変わらない」
彼は、都合の悪い部分も続けた。
非公開の交渉なら早く、私の名が新聞へ載る可能性も低い。公の審理なら、代筆恋文や家での扱いまで質問されるかもしれない。ベルフォール家は体面を守るため、私を冷酷な姉、財産へ執着する娘として語るだろう。何もしなければ、当面は穏やかに暮らせる。ただし偽造された書面が残り、また使われる危険がある。
どの道を選んでも、傷つかずには済まない。
アレクシスは、最も楽な道を私のためだと選ばなかった。
以前の私なら、何もしなかっただろう。
家族を悪く言われたくない。妹の婚礼を汚したくない。たかが金と宝石なのだから、私が我慢すればいい。
けれど、青石の首飾りを最後に身につけたのは、母の葬儀の日だった。冷たい額へ口づけたあと、父が私の首へかけてくれた。今は青薔薇館の金庫にある。あの日の父は、まだ私だけの父だった。
「公の審理を選びます」
自分の声が、よく聞こえた。
「取り返したいのはお金だけではありません。私の名前を、妹が好きに使ってよいものにしたくない」
口にすると、怖さは消えなかった。けれど怖いままでも、選んだことは消えなかった。
「審理の日、公爵夫人としてではなく、青薔薇館の所有者として証言します」
「そう手配する」
「あなたの爵位で、相手を黙らせないでください」
一瞬だけ、アレクシスは不服そうな顔をした。
「難しい注文だ」
「できませんか」
「できる。だが、君の父が君を傷つけた時に黙っている自信はない」
「黙っていなくてもよいのです。ただ、私より先に答えを出さないで」
彼は、今度は迷わずうなずいた。
「分かった」
「ただし、お願いがあります」
アレクシスが待つ。
「私の前に立たないでください」
彼の顔から、わずかに血の気が引いた。
「隣にいてください。私が話せなくなったら、代わりに決めるのではなく、話せるまで待ってほしいのです」
長い沈黙のあと、彼は私の前ではなく、横へ一歩動いた。
「隣にいる」
差し出された手は、私を引くための位置ではなかった。
私はその手を取った。
翌朝、王都へ向かう馬車に乗った。書類箱は私の膝の上にあり、鍵も私が持っていた。




