↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
「愛することはない」婚約者は、妹に譲ります  作者: 星舟能空


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
22/27

第22話 姉なのだから妹を助けろ

 父娘の縁を切る、と書かれた手紙を読んだ翌朝、父と継母が公爵邸へ来た。


 こちらから返事を出す前だった。


「ご親族ですので、青の客間へお通しできます」


 執事はそう報告し、私の返答を待った。


 断ることもできる。


 先触れもなく押しかけた客を、玄関で帰してよい。昨日の宴で疲れていると伝えても、誰も公爵夫人を責められない。


 それでも私は、逃げたくないと思った。


「お通ししてください。ただし、アレクシス様にも同席をお願いします」


「承知いたしました」


 執事が退室すると、アレクシスが隣の椅子から立った。


「私が話してもいいし、一言も話さなくてもいい。途中で終えたくなったら、合図を」


「私が答えます」


「分かった」


「でも、隣にいてください」


「もちろん」


 父の前へ出れば、私はまた、二十三年間逆らえなかった娘へ戻るかもしれない。ならば、今の私を知る人に隣へいてほしかった。


     ◇


 青の客間へ入ると、父は暖炉前の長椅子へ座っていた。


 本来は屋敷の主人夫妻が使う席だ。継母は隣で香水のついた扇を動かしている。二人とも喪に服すような暗い色を着ていた。


「エレノア」


 父は立ち上がり、悲しげに両腕を広げた。


「こんな騒ぎになる前に、なぜ私へ相談しなかった」


 抱き締められるところを想像し、足が止まった。


 幼い頃、父が腕を広げるのは、私がフローラへ何かを譲った後だけだった。青い人形を渡した日。暖炉のある部屋を明けた日。誕生日の舞踏相手を譲った日。


 今も、何かを差し出せば抱き締めてもらえるのだろう。


 アレクシスの手が、私の背へ触れない距離で止まっている。支える用意はあるが、前へ押し出さない手だった。


 私は父の腕へ入らず、自分の席へ座った。


「昨日のことでしたら、相談を受ける立場ではありません。フローラとジュリアン様、二人の問題です」


 父の腕が下がった。


「姉がそんなに冷たいことを言ってどうする」


「まずはお茶をいただきましょう」


 継母が会話を整えるように微笑んだ。


 家政婦が茶器を運び、私へ最初の一杯を注ぐ。継母は、自分より先に私の前へ置かれたカップを見た。


「公爵家では、ずいぶん大切にしていただいているのね」


「はい」


 申し訳なさを添えず答えると、扇の動きが止まった。


「だからこそ、余裕のあるあなたが助けてあげるべきでしょう。フローラは慣れない侯爵家で疲れているの。昨日の手紙も、ほんの心細さから書いただけよ」


「既婚の妹が、私の夫へ二人だけの面会を求めたのです」


「悪い意味に取らないで。あの子は昔から、あなたのことが心配なの」


 心配する妹は、姉の夫へ自分の住所を書くだろうか。


 以前の私なら、その疑問を口にせず飲み込んだ。


「では、今後は心配しないよう伝えてください。私は夫と話し合えます」


 父が卓へ手を置いた。


「言葉尻の問題ではない。昨夜の醜聞を消さなければ、モンテーニュ家との関係が壊れる」


「私に何を求めていますか」


「まず、ジュリアン君へ手紙を書け。フローラの手紙は、姉を心配しただけだと説明するんだ。次に今週中、二人を公爵邸の晩餐へ招き、仲睦まじい姉妹として客の前へ出なさい」


 父は、決定済みの予定を伝える声で続けた。


 「フローラには、侯爵夫人として必要な返書と帳簿の見方を教えればいい。お前なら一月で済むだろう。ジュリアン君も、お前が間へ入れば落ち着く」


 継母が足元の鞄を開いた。


 中から出てきたのは、返事の書かれていない招待状、領収書、使用人の勤務表。赤い紐で三つに束ねられ、私の前へ積まれた。


「持ってきたから、今日から始められるわ」


 継母は、針仕事を頼む時と同じ調子で言った。


「フローラは昨夜のことで気落ちしているの。今、難しい書類を見せるのはかわいそうでしょう。あなたが下書きをして、あの子は清書だけすればいい」


 束の一番上には、侯爵家の使用人から給金の遅れを訴える嘆願書があった。これは花の色や客順ではない。誰かの暮らしに関わる責任だ。


「私が書けば、フローラの名前で送るのですか」


「家族で助け合うのに、名前へこだわる必要がある?」


「あります」


 私は書類へ触れなかった。


「返書を書いた人が、返事の内容へ責任を負うからです。私は侯爵家の夫人ではありません」


「なら、隣に座って言葉を教えるだけでもいいわ」


「それも仕事です。本人が学びたいなら、侯爵家が教師を雇うべきです」


 継母の口元から笑みが消えた。


「妹から授業料を取るつもりなの?」


「私は授業を引き受けません」


 「私が妹の手紙を書き、夫婦喧嘩を仲裁し、家政も教えるのですね」


「姉なのだから当然だ」


 その一言を、私は何度聞いただろう。


 姉なのだから暖炉を譲れ。


 姉なのだから誕生日を我慢しろ。


 姉なのだから妹名義の恋文を書け。


 姉なのだから、婚約者を奪われても祝福しろ。


 父は同じ言葉で、また私の時間と夫を妹の暮らしへ組み込もうとしている。


「助けません」


 父は聞き取れなかったように眉を上げた。


「何だ?」


「手紙は書きません。晩餐へも招きません。フローラへ家政を教えず、ジュリアン様を宥めることもしません」


「感情的になるな」


「昨日から考えました。今、何を求められるか一つずつ伺って、同じ答えを出しました」


「フローラの結婚が壊れてもいいのか」


「私が壊した結婚ではありません」


「お前が婚礼準備を放り出したから、あの子は追い詰められた!」


 父の声が客間へ響いた。


 アレクシスが動く気配がした。私は卓の下で、彼の手へ自分の手を伸ばした。


 止めてほしいという合図ではない。まだ私に話させてほしいという合図だ。


 彼の指が一度だけ握り返し、力を緩めた。


「私は、婚約解消後に婚礼を延期するよう勧めました。フローラは延期しないと選びました。招待状も誓詞も、本人が用意すると決めたのです」


「あの子には難しいと分かっていただろう!」


「ならば、お父様とお母様が助けるべきでした。私が戻らなければ成立しない結婚を、お二人はなぜ止めなかったのですか」


 父が息を呑む。


 継母は扇を閉じ、冷たい目で私を見た。


「公爵家へ嫁いだから、家族より偉くなったつもり?」


「いいえ。偉くなくても、自分の時間を誰へ使うかは決められます」


「アレクシス様」


 継母が夫へ向き直った。


「この子は昔から頑固なところがございました。夫として、家族を助けるよう諭していただけませんか」


 アレクシスは私を見た。


 許可を求める目に頷く。


「妻の返答は聞かれたはずです」


 彼が言ったのは、それだけだった。


「公爵家としてベルフォール家を助けない、と?」


「公爵家の支援について質問されたなら、私が答えます。今、あなた方が求めているのは妻個人の無償労働だ。決めるのはエレノアです」


 父の顔が赤くなった。


「ならば、父として命じる。拒むなら、お前をベルフォール家から勘当する」


 昔なら、その言葉だけで膝をついただろう。


 家族でなくなれば、誰にも愛されないと思っていた。


 今、私の腰には公爵邸の鍵がある。寝室には自分で選んだ青いドレス。隣には、私が何もできない夜も離れなかった夫がいる。


 けれど、それらがなくても、父に従わなければ人間でなくなるわけではない。


 「私は成人し、婚姻によって別家へ移っています。勘当という言葉で、私の財産も夫も奪えません」


 言葉にすると、首から下げた小さな鍵の重みを感じた。青薔薇館の玄関と文書庫を開ける、私だけの鍵だ。


 父の許可がなくても帰れる家がある。私が選んだ夫がいる。何より、どちらを失っても私の「嫌だ」は消えない。


 「財産?」


 父が乾いた笑いを漏らした。


「青薔薇館があるから強気なのか。あれも元はベルフォール家が管理してきたものだ」


「母から私へ遺された信託財産です」


「家族の祝いに使って何が悪い」


 心臓が一度、大きく鳴った。


「何の話ですか」


 継母が父の袖へ触れたが、彼は振り払った。


「お前が婚礼準備を放り出したせいで、費用が余計にかかった。フローラの体面を守るには仕方がなかったんだ」


「青薔薇館の年金へ触れたのですか」


「許可書があった。今さら他人のような顔をするな」


「私は署名していません」


「署名なら、確かにあった」


 父は立ち上がり、最後まで自分が正しいと信じる顔で私を見下ろした。


「青薔薇館の年金は、もうフローラの婚礼へ使った」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。